昭和一七年(一九四二)にはじまった、神奈川県の特高警察による言論弾圧事件。「改造」に掲載された細川嘉六の論文に端を発し、同時期にスパイ容疑で検挙された川田寿の事件等と関連づけられ、同一九年までに雑誌編集者など約五〇名が治安維持法違反で検挙され、激しい拷問を受け数名が獄死した。「改造」「中央公論」は同一九年に廃刊に追いやられた。 太平洋戦争下に特別高等警察によってでっち上げられた最大の言論弾圧事件。1942年(昭和17)総合雑誌『改造』8~9月号に掲載された細川嘉六(かろく)の論文「世界史の動向と日本」は、内務省の事前検閲は通過していたが、陸軍報道部長谷萩那華雄(やはぎなかお)(1895―1949、戦犯として刑死)によって共産主義宣伝論文であると批判された。これをきっかけとして神奈川県特高は細川を検挙、さらに細川の知人や関係者が次々と検挙された。その検挙者の一人の家で1枚の写真が発見された。