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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (25)

  • 「いつも異性選びで失敗する」→「自由意志に逆らうしかあるまい」 - シロクマの屑籠

    キラキラ婚活沼の人達がこういうカード引いてたりするのをみると、人間ってのは意外と上手にマッチングするもんだなぁとは思う。ナンパ師とナンパされ子もそうっちゃそうなのかもしれん。人間はくっ付くべき人間とくっ付く。人類みな生まれながらにしてスタンド使いである。— 高須賀(* ॑꒳ ॑* )⋆*⛅ (@takasuka_toki) 2021年12月27日 人間は、くっつくべき人間とくっつく。 これは当のことである。 人には好みがあり、同じタイプの異性に惹かれ続け、その傾向は簡単には変わらない。だから学生時代や社会人一年目の恋愛で大失敗した人が、二十代の後半になっても、三十代の半ばになっても、同じ傾向を持った異性を選好し続けて、疲弊し続けることはまったく珍しくない。むしろそれが娑婆の因縁メカニズムに基づいた平常運転なのだとさえ思う。 ここで、娑婆の因縁メカニズムという変な言葉を使ったが、これは、私

    「いつも異性選びで失敗する」→「自由意志に逆らうしかあるまい」 - シロクマの屑籠
    meeyar
    meeyar 2021/12/27
    親戚に恵まれていないとかそもそも少数or生き残っていないとか職場がブラックだった場合は詰みってことか。でも「いつも失敗」の人の環境はそうしたものになりやすい。
  • 社会適応や役割が嘘や自己否定になってしまう人の世界と、そうでない人の世界(のわかりあえなさ) - シロクマの屑籠

    ta-nishi.hatenablog.com リンク先の文章には、弱者男性論者は社会適応に対してあまりにも潔癖すぎる、といったタイトルになっている。が、タイトルどおりの内容ではなく、 ・筆者自身の社会適応に対する潔癖性の話 ・過去の脱オタクファッション (略して脱オタ) の話 ・過去の脱オタと最近のいわゆる恋愛工学の近しさの話、それと就活の話 が混じっている。議論としてはゴチャゴチャしているが、個人ブログの述懐としては良さがあって、こういう文章が読めるのが個人ブログだったよね、などと思った。 釣られて私も個人ブログっぽい述懐をしようと思う。脱オタが語られていた頃に感じていた小さな違和感を出発点として。 脱オタする人は何を望み、非モテ論者は何を怖れていたのか 90年代後半から00年代にかけて、脱オタなるものがネットの小さなムーブメントになったことがあった。脱オタについて詳しく知らなくても、

    社会適応や役割が嘘や自己否定になってしまう人の世界と、そうでない人の世界(のわかりあえなさ) - シロクマの屑籠
  • 「TPOのできた発達障害な人でも働きにくい社会」とそのコンセンサス - シロクマの屑籠

    私の場合、診察室はもとより、私生活でも「大人の発達障害」と診断された人によく出会う。私が好きで好きでしようがないインターネットやサブカルチャーの領域にも「大人の発達障害」と診断される人がごまんといて、彼らなりに活躍していたり苦労していたりする。 「大人の発達障害」と診断される人々に診察室で出会っても、プライベートで出会っても、彼らの大半は礼節や礼儀作法をしっかり身に付けている。少なくとも、そういったTPOがなっていない人にはあまり出くわさない。もちろん、空気を読んで当意即妙の発言ができる/できないであるとか、会話中の手足の挙動とか、そういった部分から発達障害の特性が垣間見えることは、ある。けれども古典的な自閉症のような重度の発達障害ならいざ知らず、「いまどきの大人の発達障害」と診断されている人のなかには一定のTPOを身に付けている人がたくさんいるし、そのおかげでプライベートな付き合いが成立

    「TPOのできた発達障害な人でも働きにくい社会」とそのコンセンサス - シロクマの屑籠
    meeyar
    meeyar 2021/02/18
    どこも何も、「身近にいてほしくない人」扱いされてるのが今の発達障害と思う。診断つきました、じゃあ福祉(そっち)へ行ってよろしくやって下さい、こっち来ないで的な。診断が排除のお墨付きになっている。
  • 週末の国道には空気の読めない車がいっぱい - シロクマの屑籠

    「IQ」ではなく「コミュニケーション能力」こそ、真の意味での知的能力なのかもしれない。 | Books&Apps リンク先の記事は、対人コミュニケーションが関与するさまざまな仕事や場面で「他者の考えていることを類推する能力」「社会的知性」が重要であることを紹介している。このあたりがコミュニケーション能力の大事な要素というのはたぶんそのとおりだろう。 ここからお役立ちっぽい話もできそうだけれど、今日は日曜日なので、週末の風景の話をする。 週末になると、地方の国道沿いに建ったショッピングモールに向かって乗用車の長蛇の列ができあがる。地方ではお馴染みの風景だが、ほかの車の挙動を観察していると「他者の考えていることを類推しながら運転しているドライバー」と、「他者の考えていることを類推せずに運転しているドライバー」がいることに気づく。 「他者の考えていることを類推しているドライバー」は、他の車の細か

    週末の国道には空気の読めない車がいっぱい - シロクマの屑籠
    meeyar
    meeyar 2019/10/27
    運転の場合は、本来の運転操作をしながら周囲も見る、なので運転技量がそもそも足りてないとか経験不足だと周りへの注意どころじゃない、の面もあると思う。そうした車が増えやすいのが週末。
  • 駅チカに、効率至上主義なブルジョワの夢を見る - シロクマの屑籠

    タワーマンションと駅徒歩何分のお話 - novtanの日常 リンク先の文章を読んで、駅徒歩数分といった、いわゆる「駅チカ」と呼ばれる住まいの魅力を私はかえって理解したような気がした。駅チカ、都会生活に最適化されている人には非常に魅力的な住まいなんじゃないだろうか。 リンク先のNOV1975さんは、以下のようにおっしゃる。 駅直結のタワーマンションで云々、という広告を見るたびに「へー誰が住むんだろうね」という感想をみんなで漏らしながら、その街の良さはどこだったろうと心を巡らすのだ。 言ってみれば、駅徒歩何分にこだわるということは、都会の忙しさに直結する住まいを選択するということにほかならないのではないか。魂を都会というものに縛られている。 ここでいう「都会の忙しさに直結する住まい」とは、都会の忙しさに最適化した住まい、と言い換えることができる。ここでいう都会の忙しさの正体は、時間とお金のコス

    駅チカに、効率至上主義なブルジョワの夢を見る - シロクマの屑籠
    meeyar
    meeyar 2019/10/19
    えっ、駅チカって「駅の地下」じゃなかったの(本文読んでない)
  • 「俺らが生きづらい社会」は「あいつらが生きやすい社会」 - シロクマの屑籠

    すごい勢いで世の中が悪くなっていると我々が感じているということは、逆側に立つ人は「世の中どんどんよくなってるな」と感じているのだろうか。— 方便 (@ryohoben) 2019年8月5日 このtwitterの文章を読み、「世の中ってそんなものだよね」と思いつつ、社会の変化に思いを馳せた。 この文字列から、私は二つの連想をせずにいられない。 まず、小さな問題として、日をはじめとする先進国で起こっている混乱。 少子高齢化と経済的停滞の続く日はもちろん、アメリカアメリカで、ヨーロッパはヨーロッパで、現代の社会問題にのたうち回り、その解決の目処は見えない。 他方で、途上国と呼ばれていた国々の所得は向上し、生活水準も良くなっているという。 私は少し悲観的に考える癖があるので、資主義的な豊かさが国単位で安定するためには、国と植民地、先進国と途上国のような政治的・経済的勾配が必要だと疑ってい

    「俺らが生きづらい社会」は「あいつらが生きやすい社会」 - シロクマの屑籠
    meeyar
    meeyar 2019/08/06
    言いたいことはわからんでもないけど「あいつ出来てないな」と疎外するのはハイスペックな人以上に、そんなに出来てない「普通の≒主流派の」人々だと思う。自分が取り残される心配よりも既にそうなってる人への態度
  • で、あなたは「本当に自分の好きなこと」を知ってるの? - シロクマの屑籠

    いつの間にか「好きなことをしていい」時代から、「好きなことをしないと豊かになれない」時代に変わった。 | Books&Apps リンク先の文章は、「好きなことをしないと豊かになれない時代」の到来を告げる内容となっている。 ちょっと前まで、「みんな自由に仕事が選べるようになって」「好きな仕事を好きなように」「あなたのライフスタイルにあわせて働く」ことが持て囃されていた時期があったように思う。ひょっとしたら今でも持て囃されているかもしれない。 それは決して短期的な流行ではなく、バブル景気の前、それこそ「フリーター」がブームになっていた頃からそうだった。バブル景気が終わってもなお、「好きな仕事を好きなように」は流行のフレーズで、個人主義社会の正しさにかなったフレーズでもあった。「好きじゃない事をするのは格好悪い」みたいな物言いをする人は、現在でもインターネットにごまんといる。 では、そうやって好

    で、あなたは「本当に自分の好きなこと」を知ってるの? - シロクマの屑籠
    meeyar
    meeyar 2019/07/26
    自分の思い通りにする「やりたい」と、ある局面に立った時の意志的な「やる」は違う。前者だけ追いかけてたら詰むのは当然。真に見出すのはその「時」に全身で直面する瞬間だと思う。それがいつかは予測できない。
  • 現代人にインストールされた「適切な努力をすべし」という規範意識 - シロクマの屑籠

    現代人は、適切な努力を積み重ねるよう求められている。 我々は、いつかは「適切でない努力には意味がない」という現実と向き合わなくてはならくって、子どもの頃は努力するというスタンス自体を身に着ける為に「努力なら何でも褒める」という方針でも問題ないんだけど、どこかで「努力は適切なやり方でするべき」という切り替えも多分必要なんだと思う— しんざき (@shinzaki) 2018年11月8日 で、「努力は無条件で尊い」から「努力は適切なやり方でやるべき」に転換する為の、一つの機会というかタイミングが受験なのではないだろうか— しんざき (@shinzaki) 2018年11月8日 [詳しくはこちら→]我々はどこかで、「努力は無条件で尊い」から「適切でない努力をするべきではない」に思考を切り替えないといけない: 不倒城 「適切でない努力には意味がない」という現実は確かにあって、とりわけ大学受験は、適

    現代人にインストールされた「適切な努力をすべし」という規範意識 - シロクマの屑籠
    meeyar
    meeyar 2018/11/08
    逆パターンも。本当に「適切な」努力が必要な人は、 具体性ゼロで「とにかく気をつける、頑張る」の根性論で何とかしようとする。案の定上手くいかないのだけどそれを周りのせいにして適切な努力を他者へ要求する。
  • 「小説家になろう」を読んでいると「どけ、俺が書く!」と言いたくなる

    屋外はうだるような暑さのなか、エアコンの効いた部屋でスパークリングワインを飲みながら物語を読むのは至福のひとときだ。疲れた頭でも読みこなせる読み物が、いまどきはweb上にたくさんある。 そんなこんなで、「小説家になろう」を読む。 我が家のPCには「小説家になろう」のブックマーク入れがあって、ここに、なろう小説がどこからともなく集まってくる。のどを鳴らしたくなる作品が入っていることもあれば、水っぽいワインのような作品が入っていることもある。何がブックマークされているのかはわからない。ともあれ、自分で一から探すのに比べればありがたいことではある。 で、エアコンの効いた部屋でスパークリングワインを飲みながら読んでいるせいで、ときどき、「どけ!俺が書く!」と言いたくなることがある。 「中世~近世ファンタジー風に書くなら、透明感のあるワインを居酒屋で出しちゃあ駄目だ、そんなのは最高級品だ」 「蒸留酒

    「小説家になろう」を読んでいると「どけ、俺が書く!」と言いたくなる
    meeyar
    meeyar 2018/08/14
    世界観ツッコミまくりでも面白かったと思わせるのが物語の物語たる所以と思うけど。あと書き手が強調したいこと=読み手にとって面白い、読んで良かったと思えることとは限らない。
  • 「ダイレクトな怒りがタブーになった社会」 - シロクマの屑籠

    togetter.com 昨年末に、「今の世の中では怒りをコントロールすることに高い価値が置かれている」というtogetterを見かけた。@marxindoさんの投稿を中心に、怒りの表出が困難になった現代社会についてあれこれ書かれている。 marxindoさんの投稿は私もリアルタイムで読んでいて、以下のようなツイートを書かずにはいられなかった。 今の人、怒りをコントロールしているっていうより怒りを遠ざけているだけだな、と感じる。もちろん昭和の人々が怒りをコントロールできていたとは限らない。しかし社会に怒りの表出が少ないからといって、コントロールできているのか、さっぱりわからない。— p_shirokuma(熊代亨) (@twit_shirokuma) 2017年12月27日 怒りをダイレクトに表出するのは、現代社会ではタブーとなっていて、そういうことをやると、やれトラウマだハラスメントだ虐

    「ダイレクトな怒りがタブーになった社会」 - シロクマの屑籠
    meeyar
    meeyar 2018/08/02
    怒るのは自分のあり方が否まれている、ありのままに表わせていないことへの異議申し立てと思う。職場でも学校でも家庭でも。わだかまりを無くそうというなら怒りを表現せよだけじゃなくて受け止め、共感の姿勢も要る
  • ブログ書くなら、余所のブログより本を読みなさい - シロクマの屑籠

    ゆうべ、遊たろうさんというブロガーの方から、以下のような質問をいただいた。 @twit_shirokuma 初めまして、いつもブログ楽しく読ませていただいています。突然すみません、よろしければ教えてください。シロクマさんのような、文章主体で自分オリジナルの思いや考えを綴るブログが好きなのですが、シロクマさんがご自身の書き方と似ていると感じるブログはありますでしょうか?— 遊たろう (@yutaro446) 2018年2月24日 これに対して、「強いて似ているといえば、しんざきさんの『不倒城』」や、Books`Apps に投稿しているブロガーじゃないでしょうか」と答えたけれど、その後、考えが変わったので、以下にまとめてみた。 長続きしているブログは、お互いに「あまり似ていない」 考えてみれば、Books&Appsに投稿している人々のブログスタイルはやっぱり違う。 テキストサイトの芸風で長文を

    ブログ書くなら、余所のブログより本を読みなさい - シロクマの屑籠
    meeyar
    meeyar 2018/02/26
    写経と聞いて般若心経とか観音経とかを連想したけど、自分で写せ、の方ね。重要な事がひとつ抜けてる。キーボードではなく自分の手で書く。でないとただの作業になって頭にも体にも入らない。
  • 子どもの権利を守りながら出生率を増やすなら、核家族的な子育てをやめるしかないのでは - シロクマの屑籠

    p-shirokuma.hatenadiary.com 先週公開した、「母親が儲かるようにならない限り、個人主義社会の少子化解決は無理」というブログ記事にはアクセスが集まって、はてなブックマークにも色々なご意見が寄せられた。 だが、全体の半分しか書いていないので、続きを書いておくことにする。 前回は、「女性個人が子どもを産むほど、また、上手に育てるほど、お金が儲かる仕組みにならない限り、女性個人は子どもを育てない」と書いたが、そこではメリットの話しか書いてなくて、責任や負担の話が書かれていない。 はてなブックマークのコメントにも、そのことを察知している人が散見されている。 個人主義社会の少子化対策は、母親が儲かるようにすべきだが、できないので日の衰退待ったなし - シロクマの屑籠 いや、女性は割と少なからず、「自然に」産みたいと思うケースも多いんだよ。ただ、にもかかわらず増えないのは、「

    子どもの権利を守りながら出生率を増やすなら、核家族的な子育てをやめるしかないのでは - シロクマの屑籠
    meeyar
    meeyar 2017/11/16
    「子供を産むならこのように完っっ璧に子育てしなければまともに親として認められない」のイデオロギーが当事者や社会を縛ってる感ある。
  • “承認ミニマリスト”というライフスタイル - シロクマの屑籠

    togetter.com リンク先のtwitterまとめでは、「ミニマリストは、流通や情報の発達したテクノロジーに乗っかったライフスタイルで、脱-経済成長や脱-テクノロジー的なものではない」という佐々木俊尚さんのツイートに賛同の声が集まっている。 対して、はてなブックマークには、いつものように色々なメンションがつけられ、目を楽しませてくれる。が、ミニマリストというライフスタイルが、流通技術や情報技術の発達に依拠していて、一見、モノの消費から遠いようにみえて、消費社会を突き詰めたようなライフスタイルであるという論旨は否定しようがあるまい、と私は思った。 「なるべく人間関係を持たずに承認を稼ぐ」 それより、ふと思ったのは、「そういえば、ミニマリストの理屈って、人間関係とか、承認欲求とか所属欲求とか、そのあたりにも当てはまりそうだ」ということだった。 ミニマリストがモノをたくさん持たずに生活でき

    “承認ミニマリスト”というライフスタイル - シロクマの屑籠
    meeyar
    meeyar 2017/07/17
    ネットの承認って「すごいこと」への肯定であり、そうでなくても…の承認はリアルの(できれば対面の)でなければ難しい気がする。言葉以外でのつながりは基本ネットじゃ無理。
  • 「あなたのセックスの正しさ」が問われる社会が近づいてくる - シロクマの屑籠

    先日、twitterのタイムラインで共感したくなる文章を発見した。 生殖や性病等についての知識は必要と思うが、行為としての正しいセックスを「教育」するのか。まずは優しく抱き締めてキスするのが、部屋に入るなり服を脱がせるより優れているのか。そんなのは当事者間の問題だし、私は私のプライベートな事柄を勝手に規定されたくないと考える— 鴨島の宗教へようこそ (@kamozi) 2017年7月8日 私のセックス観も、これに近い。性行為がどうあるべきかは、カップルそれぞれが決めれば良いことで、自由なカップルの在り方、自由な性行為のありかたがあって良いはずだ、と私も叫びたくなる。 しかしプライベートな関係は、介入を受け続けてきた。 だが、私達の社会の変化や常識の変化を思い出すと、「性行為はプライベートなカップルのもの」という現代の感覚が、いつまで通用するのか怪しく思えてくる。 かつては、家庭の問題の多く

    「あなたのセックスの正しさ」が問われる社会が近づいてくる - シロクマの屑籠
    meeyar
    meeyar 2017/07/10
    世間的に正しいではなく、当事者にとって望ましいあり方は何かじゃないの?性暴力は相手の尊厳を剝ぐのだから単に技術やマニュアル揃える以前に「お互いの尊重」をこそ広く知らしめ嫌な事には声あげてよいの肯定から
  • 発達障害のことを誰も知らなかった社会には、もう戻れない - シロクマの屑籠

    精神医療が世の中を変えて、世の中が精神医療を変えていく。 そういう視点で、精神医療と世の中の相互作用を眺めていると、つい、ブロガーっぽいことを考えたくなる。 1.昔の精神医療には「狂気」しか無かった。 「発達障害」も「社交不安性障害」も「境界性パーソナリティ障害」も昔は存在していなかった。今日ではよく知られている心の病気が出揃ったのは、20世紀になってからのことだ。 十八世紀には、たったひとつしか心の病気が存在しなかった。狂気 insanity である。狂気という診断が意味していたのは、今日の臨床家が精神病という語で意味しているもの、あるいは口語的に「狂った crazy 」と言われているものだった。「狂気」とは、多くの場合妄想や幻覚を伴ったり、重いメランコリ―や高揚状態を伴うなど、患者が現実となんらかのかたちで接触を失っている状態のことを意味していた。 (中略) 狂気というひとつの病気だけ

    発達障害のことを誰も知らなかった社会には、もう戻れない - シロクマの屑籠
    meeyar
    meeyar 2017/07/04
    専門外の人が安易にアスペとか発達障害と宣う裏には「病院行きなよ」と言うことで問題を専門家へ丸投げし「私とは関わらないでくれ」のダブルシグナルがありそう。勿論適切な診断治療が重要なのは大前提で。
  • 遊びや趣味でメンタルを癒せなければ、生きていくのは難しい - シロクマの屑籠

    この世の中を、生き抜いていくために必要なものは何だろうか。 ある人は、勉強ができる能力、効率良く努力する能力を挙げるかもしれない。確かに。そういったものがなければ、学歴やスキルや資格は手に入らないだろう。 また、別のある人は、コミュニケーション能力を挙げる。他人とわたりをつける、他人に共感する、空気を読んだり操ったりする。なるほど、転勤や転職の多い、あちこちで新しい出会いをこなさなければならない現代社会では、コミュニケーション能力が重要なのはそのとおりだと思う。 でも、努力する力やコミュニケーションの力だけで当に十分だろうか? 遊びを持たない者・趣味を持たない者の弱点 私は、自分のメンタルを癒す……というより自己回復させる力を持っていない人は、努力する力やコミュニケーション能力に恵まれていても、世渡りがなかなか厳しいのではないか、と思うようになった。 たとえば、うつ病や適応障害にかかった

    遊びや趣味でメンタルを癒せなければ、生きていくのは難しい - シロクマの屑籠
    meeyar
    meeyar 2017/06/09
    無趣味≒この世界に「いてもよい」の居場所を見つけられてない風に見える。宗教抜きに、当事者の観測周囲に「いてもよい/してもよい」の場が増えないと一歩踏み出すの難しいと思う。
  • 「できる事」をどんどん捨てないと生きていけない - シロクマの屑籠

    三十代から四十代にうつる間に、私は、できることがものすごく増えた。 今まで蓄積してきた知識の量が増え、それと関連書籍をリンクさせながら読書するようになったことで、一冊の書籍から汲み取れる情報量が飛躍的に増えた。十年前の私と現在の私では、読書の方法と効率がまったく違う。 読書だけでなく、ゲームを遊ぶ時のプレイ集約性も、オフ会に参加する時のノウハウもますます高まった。自分で言うのもなんだが、この十年間で、私は驚くほど成長したと思う。体力や集中力の衰えを埋め合わせて余りあるものを、私は獲得してきた。 ただ、できることが増えたけれども、体力や集中力が減った結果として、「できるけれども諦めなければならないこと」が増えた。 あのゲームもこのゲームも面白そうだからやりたい。 でも、体力や集中力が続かない。もちろん時間も足りない。 今なら、あのスポーツもこの芸事も、若い頃よりよほど効果的に始められるだろう

    「できる事」をどんどん捨てないと生きていけない - シロクマの屑籠
    meeyar
    meeyar 2017/05/19
    こう言えるのは日々バイタリティに溢れている証拠。可能性をあげられる=自分の目が様々な方へ向いている、だと思うので。やる・やらない何れにしろ選べること自体が恵まれている。
  • 「見えない通貨=信用」にはメンテナンスが必要。だから挨拶や礼儀作法は超重要 - シロクマの屑籠

    syakkin-dama.hatenablog.com 借金玉さんのブログ記事は、世間の人があまり意識していない、けれども社会適応を大きく左右するような“法則性”を見抜いたものが多いと思います。今回の「見えない通貨」のお話も、古代社会から現代社会にまで通用する、深甚な内容だと思いました。 通貨の歴史を遡って考えるなら、「見えない通貨」と喩えるより、そもそも通貨とは「信用が可視化され、しかも譲渡可能なかたちになったもの」と言い直したほうが事実に即しているのかもしれません。 [参考]:https://hikakujoho.com/manekai/entry/20160809 しかし、お金の価値を誰もが信用し、当たり前のように使っている現代社会では、通貨=信用という前提は意識されにくいでしょう。だからコミュニケーションに媒介される人と人の間の信用を、「見えない通貨」と表現するのは、現代人にはわか

    「見えない通貨=信用」にはメンテナンスが必要。だから挨拶や礼儀作法は超重要 - シロクマの屑籠
    meeyar
    meeyar 2017/04/15
    昔(たぶん)「弁護士のくず」でありがとうごめんなさいを長らく使わなかったら腐ってた、の寓話あったのを思い出した/あなたを大切に思っています、尊重してますの出だしが挨拶と思った。義務というより配慮。
  • なるほどオタクは死んだわけだ。なぜなら、1人ではいられなくなったから。 - シロクマの屑籠

    オタクが死んだ」という言葉は、今までにも散々語られてきたことだし、今更、オタクなどという言葉に拘ってもあまり意味は無い。 ただ、ここ2~3年、「オタクがカジュアル化した」というお決まりの言葉ではカヴァーできない次元でオタク的ライフスタイルが難しくなったと感じる場面が増えたので、そのあたりについて今の考えを述べてみる。 【オタク=1人で過ごす時間の長い愛好家】だった 1970~90年代からオタク的な愛好家生活をしていた人には当たり前で、2010年代からオタク的な愛好家生活をしていると思っている人には当たり前とは言えない、大切なことがある。 それは、オタク趣味生活とは、長い時間を、1人で楽しむものだった、ということだ。 漫画オタクであれ、ゲームオタクであれ、アニメオタクであれ、オタクというのは自分1人でも楽しめる趣味を1人で楽しみ、好きに追いかけていくようなライフスタイルだった。 それがた

    なるほどオタクは死んだわけだ。なぜなら、1人ではいられなくなったから。 - シロクマの屑籠
    meeyar
    meeyar 2017/04/10
    たまたま同趣味の人が周りにいないから一人なのであって仲間がいたらがっちりつるむのがオタクだと思ってたけど。昔:コンテンツそのもの目的/今:他人からの高評価目的、になってる感はある。ジャンル選び含め。
  • 「来週のアニメを観るまでは生きろ」 - シロクマの屑籠

    menhera.jp リンク先の文章を読んで、そういえば「来週のアニメを観るまでは生きろ」ってフレーズをどこかで見たなぁと思い出し、まあ、そういうもんだよな、思った。 「人はなぜ生きるのか」。 この、「人はなぜ生きるのか」「どうして死んではいけないのか」という問いは、罠である。深く考えるとだいたいロクなことにならない。そもそも、こういう事を深く考えてしまう状況自体がロクなもんじゃない。 世の中には、自分の天命のために生きている人もいるかもしれないが、そんな人は例外で、欲望に引っ張られて生きているか、義務に背中を押されて生きている人が大半ではないだろうか。 で、「来週のアニメを観るまでは生きろ」「新作ゲームをやるまでは生きろ」である。 生き甲斐なんて、アウトソースしようが自社開発しようがたいした問題ではない。 欲望と義務の板挟みのなかで生きていく人間が、ほんのすこしでも生きる意味なるものをで

    「来週のアニメを観るまでは生きろ」 - シロクマの屑籠
    meeyar
    meeyar 2017/02/03
    朝ドラ毎日見てるけど救われたことはないな…これ逆に言えば「見たいものがない無趣味な人間は生きられない」じゃないのか。あと自分が好きなものがあったとしても、それが周囲の共感得られないような場合も。