新美南吉「ごんぎつね」の道 まっすぐな道を人が行き交う。知多半島のほぼ中央にあって海運や酢、酒造りで栄えた半田の市街へ向かう通称大道(おおみち)。その道は夭逝(ようせい)の童話作家、新美南吉(にいみなんきち、1913~43)が生まれ育った畳屋の近くから南東に延びていた。 生家に塀や生け垣はなく、屋内からでも道はよく見渡せた。幼いころは遊び場にもなったという。 大道は本屋や喫茶店に行くとき、安城高等女学校(現・愛知県立安城高校)の教員時代は通勤路として歩いた。行き帰りに子どもたちのしぐさや表情を目にし、沿道にある池の鳥や、赤レンガの工場で働く人々の姿も胸に刻んだことだろう。結核で療養中は外の空気を吸うために散歩した。 大道などふるさとの田舎道について、新美南吉記念館の学芸員、遠山光嗣さん(47)は「人間観察の眼(め)はここで磨かれた」と語る。南吉は、牛で荷を運ぶ牛飼いの物語「和太郎さんと牛」