江戸時代、五箇山地区(南砺市)から険しい峠道を越えて加賀藩の金沢へ鉄砲火薬原料の硝石を運んだ「塩硝(えんしょう)の道」と呼ばれる輸送路の整備事業が4日、南砺市の小矢部川上流域に今も残る道の跡をたどって行われ、参加者たちが道筋を確認して修復しながら、秘められた加賀藩の歴史に思いをはせた。 (元編集委員・中島健二) 地元の南砺市太美山地域づくり協議会の関係者をはじめ、沿道にある刀利(とうり)ダム湖に水没したかつての集落出身で今は同市や金沢市に住む人ら18人が参加。鎌やのこぎりを手に急な山道を登り、南砺市の旧福光町中河内(なかのこうち)から下小屋(しもごや)に至る約6キロを踏破しながら、冬の間に倒れた木や既にたっぷり伸びていた雑草を取り除いて古道を再生した。 「塩硝」は、五箇山の合掌造りの床下で硝石が作られていたこと自体、加賀藩の重要な軍事機密だったことから、塩を印象付けてカムフラージュするため