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前の記事 回転翼はニレの木:中国の青年がヘリコプターを自作 4500万年前の酵母を使ったビール:醸造所の画像ギャラリー 次の記事 世界を変えた「1955年のソニー製品」 2009年8月11日 Daniel Dumas Photo: Sony 冷戦が始まったばかりで、「共産主義者をやっつけること」とホームドラマ『Leave It to Beaver』を見ることに米国の人々が快感を覚えていた時代、日本製の電子機器は、米国製やヨーロッパ製の製品と比べるとかなり見劣りする、安っぽい二流品というレッテルを貼られていた。 だが、1954年になって状況は変わり始める。 その年、東京通信工業株式会社(東通工)が、日本でトランジスタラジオを製造するために、トランジスタの特許を持っていた米ベル研究所およびその親会社である米Western Electric社とライセンス契約を結んだのだ。 東通工とは、ウォークマ
日本のモノづくりの復権が言われてもう3〜4年経つ。 90年代の長期不況とデフレ経済の辛酸をなめて、日本の経済人も技術者ももう皆すっかり意気消沈していた時代があった。 99年にある経済セミナーに参加した時に、日本を代表する日立のしかるべき立場にある技術の専門家が 「今日本にはよって立つべき技術は何もない。 自動車はたまたま外貨を稼いでいるが、これだっていつかは構造不況業種に転落する時代が来ることは歴史が示している。 その時に次の産業は何があるか? 何もない! あえて言えば、iモードのヒットに関連して、モバイル通信の技術にかかわるものだけが今日本の唯一誇れるものだ。 ここに一点突破で集中するしか日本が生き残る道はない」 といっておられたことに大変ショックを受けた。 日本のモノづくりの第一線におられる人が、ここまで自信を喪失しているということに驚きを感じたからだ。 私たち高度成長時代に少年時代を
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