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lifeと大学に関するmoritataのブックマーク (2)

  • テトリス

    小6の時、親が離婚して母子家庭になった。父親とはその前からずっと別居していたから、家庭内に際立った変化は感じなかったけれど、苗字が変わったのがきつかった。同級生から好奇の目を向けられるのがとにかく嫌で、一時期、友達と遊ばなくなった。授業が終わると逃げるように家に帰った。 それで何をしていたかというと、部屋でずっとテトリスをしていた。布団に寝そべり、枕を高くして、毎日、何時間も。 そうこうするうちに、いつのまにか新しい苗字に馴れていた。同級生も僕の苗字のことなんて大して気にしてないことがわかった。僕はまたみんなと遊び始めた。 大学受験に失敗して浪人が決まった時も、ずっとテトリスをやってた。朝から晩まで一日中やってた。起き上がる気力もわかなかった。2週間ぐらいそうして過ごした。そのあとゆっくりと受験勉強を再開して、徐々にペースを上げ、翌年にどうにか志望校に合格することができた。 大学2年の時に

    テトリス
  • 33歳のとき、一命をとりとめた教員が伝えたいこと

    私は現在、大学教員ですが、その頃は、アメリカの大学院留学に挫折感を覚えて、日に帰国していました。 ストレスからでしょうか、2009年から免疫の病気である膠原病を患い、博士論文も書けなくなり、恋人もおらず、就職先もなく、収入もなく、ステロイド剤で顔がパンパンに腫れて姿も醜くなり、当時の自分としては考えうるかぎり一切の希望が断たれたなかでの自殺未遂でした。 あのときは死ぬことしか考えられませんでした。私が10年以上すべてを賭けてきた学問の道に挫折したと思ったからです。 あのころは、街を歩けば飛び降りるビルなどを探していましたが、私の実家は今思えば、幸いにして二階建ての一軒家で、高いビルではありませんでした。 一方、電車に飛び込めば、家族に迷惑がかかりますし、体が粉みじんになることは怖かったのです。そうして私は消極的に、首吊りを選びました。そしてカーテンレールが折れたのです。 何度も自殺未遂す

    33歳のとき、一命をとりとめた教員が伝えたいこと
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