この連載コラムもこれが最終回となるので、社内では現役最年長の編集者として、自分が経験してきたコンピュータ雑誌について語ろうと思う。 筆者はこの9月で63歳。1967年のビートルズのアルバム「Sgt. Peppers Lonely Hearts Club Band」でポール・マッカートニーが歌った曲の年齢まであと1年だ。ヴィーラ、チャック、デイブという名前ではないが、孫も2人生まれた。 「人生が二度あれば」の欠けた湯呑み茶碗を使っている父親の年齢まで2年。60歳から定年後再雇用で編集部に所属しているが、それも8月いっぱいで終わり。次の道へ進む予定だ。仕事を終わらせるめどがついたので、週末に2人目の孫に会いに自転車で25km走ってきた。 アイティメディアに限らず業界全体を見ても、筆者より年上のコンピュータ雑誌/メディアの編集者はほとんどが引退しており、同年代でも現役は数えるほどしかいない。記憶
NEC PC-8001 プロトタイプの重要さに関してはこのコラムでも何度か書いてきたが、それを特に強く実感した体験がある。 日本で最初に爆発的な成功を収めたPCはNECのPC-8001である(1979年9月発売)。NECとしては初のキーボードと本体の一体型PCであったが、海外ではすでにApple II が発売されており、日本でもシャープがすでにMZ-80KというPCを販売していた。PC-8001が変えたのは、それまでは自分でプログラムを書くような「パソコンマニア向けのもの」だったPCの地位を、ゲームを遊んだり仕事に使う「一般消費者向けの製品」にした点にある。 市場での成功は、単に「良い製品」を作っただけでは勝ち取れない。特にPCのようなプログラマブルな製品の場合、その製品の持つ可能性を市場に訴え、その可能性に期待して製品を購入する消費者と、その可能性の実現に寄与しようとするソフトウェア
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