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ブックマーク / kamiyakenkyujo.hatenablog.com (73)

  • 『ニッポン政界語読本 単語編』『会話編』『公務員の議会答弁言いかえフレーズ』 - 紙屋研究所

    政治家や役人が使う言葉の異常さ・奇妙さは、日々SNSで指摘され、ネタにされている。中には「ご飯論法」のように、公式の答弁としての基礎を破壊してしまうような重大性を抱えている言葉の使い方さえある。 書はイアン・アーシーという、一見すると「ずいぶん怪しい名前」(p.3)だが、「正真正銘のへんな外人」(同前)として実在するカナダのフリー翻訳家が書いた、日の政界にはびこる特殊な単語・会話を取り上げて、それを理解し、うまく使いこなすためのである。練習問題までちゃんとついているワークブックなのだ。 ニッポン政界語読【会話編】 作者:イアン・アーシー 太郎次郎社エディタス Amazon ニッポン政界語読【単語編】 作者:イアン・アーシー 太郎次郎社エディタス Amazon ぼくが読んで「なるほど」と思ったのは、『単語編』の冒頭にある「原則として」と「総合的に」である。 まず「原則として」。東京

    『ニッポン政界語読本 単語編』『会話編』『公務員の議会答弁言いかえフレーズ』 - 紙屋研究所
    namawakari
    namawakari 2024/01/31
    なるほどねえ、などと思いつつ、ふざけた表現が大手を振ってまかり通っていることに怒りがわいてくる。
  • 幹部たちの“知的水準の衰弱” - 紙屋研究所

    休みで、いろんなを読んでいるが、読み返すものもある。 不破哲三『スターリン秘史』もその一つである。 スターリン秘史―巨悪の成立と展開〈5〉大戦下の覇権主義(下) 作者:不破 哲三 新日出版社 Amazon 不破はこの著作の中で、スターリンの問題点の根源を暴いているのだが、同時に、それを描くプロセスで、スターリンという指導者が持っていた「長所」というか、ある種の明晰さにも遠慮なく触れている。 スターリンがトリアッチ〔イタリア共産党指導者〕やトレーズ〔フランス共産党指導者〕にあたえた路線転換は、それぞれ成功をおさめて、イタリアでも、フランスでも、共産党が戦後政治で有力な地位を得ることに貢献しました。スターリンが求めた路線転換に共通しているのは、反ファシズム闘争の成果を強引に社会変革に結びつけることに固執せず、資主義的政治体制のもとで共産党がしかるべき政治的地位を獲得するという限定的な目標

    幹部たちの“知的水準の衰弱” - 紙屋研究所
  • 民主青年新聞で「水木しげる生誕100周年」特集でコメントしました - 紙屋研究所

    5月16日付の民主青年新聞で「水木しげる生誕100周年」特集があり水木しげるのマンガについてコメントしています。 水木の3冊のマンガもお勧めしました。 リアルということについて 当の水木自身は、「戦争コミック」と対比して「戦争想像コミック」というものしか日にはない、と述べたうえで「真実の『戦争コミック』は描きづらい」と述べています。*1 そもそもコミックというのは、オモチロイ(面白い)ことが第一に要求されるから、そこであまり面白くもない戦争の真実なんてものを描くと第一、編集者に「コレハナンデスカ」と言って質問された上、編集会議で「これはちょっと止(や)めておこうじゃないの」ということになる。 と、くだんの人をった調子で述べています。 これは、貸時代の水木の描いた戦記物は、史実に忠実なものではなく、娯楽性を高めるためにフィクションを意識的に相当加えたということです。したがって、この時期

    民主青年新聞で「水木しげる生誕100周年」特集でコメントしました - 紙屋研究所
  • 鯨岡仁『安倍晋三と社会主義 アベノミクスは日本に何をもたらしたか』 - 紙屋研究所

    新年は「新資主義」を掲げるの企業新聞広告のオンパレードだった。 年頭の岸田首相のメッセージを受けて、投資家もどきみたいな人たちが集まっている「市況かぶ全力2階建」は大騒ぎである。 kabumatome.doorblog.jp 「社会主義」だって? 岸田が? 岸田の年頭所感のどこが「社会主義」だというのか。 目指すべきは、日経済再生の要である、「新しい資主義」の実現 市場に過度に依存し過ぎたことで生じた、格差や貧困の拡大 資主義の弊害に対応し、持続可能な経済を作り上げていく 国家資主義とも呼べる経済体制からの強力な挑戦に対抗 「新しい資主義」においては、全てを、市場や競争に任せるのではなく、官と民が、今後の経済社会の変革の全体像を共有しながら、共に役割を果たすことが大切 一度決まった方針であっても、国民のためになると思えば、前例にとらわれず、躊躇(ちゅうちょ)せずに、柔軟に対応す

    鯨岡仁『安倍晋三と社会主義 アベノミクスは日本に何をもたらしたか』 - 紙屋研究所
  • 加藤聖文「日本にとって満洲支配とは何だったのか」 - 紙屋研究所

    「前衛」2021年10月号に載った加藤聖文へのインタビュー「日にとって満洲*1支配とは何だったのか」が実に分かりやすかった。 前衛 2021年 10 月号 [雑誌] 日共産党中央委員会 Amazon ぼくは、満洲に日から次々移民が送り出されたことは知っていたが、その理由は、「国内の農民が貧しく、それを反動的に打開するために満洲へ送り出し、開拓はもとより現地人の土地を奪った」ほどの理解であった。そして、「満洲は日帝国主義による朝鮮支配の後の、中国侵略のための第一歩である」というくらいの解像度の認識であった。 満洲支配が持っていた矛盾 加藤は、満洲支配がもともと持っていた矛盾を、おおむね次のように説明している。 ――そもそも日人が昔からいた土地でもなく、縁も薄いのに、日露戦争でさまざまな利権をロシアから奪い取ってしまい、経済活動が始まった。 日にとって、必然性のないところを取ってし

    加藤聖文「日本にとって満洲支配とは何だったのか」 - 紙屋研究所
    namawakari
    namawakari 2021/09/11
    “満洲からの引揚のインパクトが強すぎてしまい、どうしても被害者としての側面でしか語られてきませんでした。…何をやっていたかはあまり書かれていなくて、いかに自分は大変な目に遭ったかが一人歩き”
  • 英語を勉強しているんだが - 紙屋研究所

    英語を勉強している。 なんのために? いや…別に…意味もなく。 『超訳マルクス』*1をやった時には、辞書を引き引きという具合だった。 サラサラ読めたらカッコいいかな、くらいに。 しかし英語というものはいったん始めたら日課にしないといけない。 筋トレと同じである。 筋トレは週1日の休みを入れて毎日続いている。2017年の秋頃からだからもう3〜4年になる。だいたい30分あればできるほどのメニューだからだ。 ここに英語など入れることができるだろうか。 たぶんできないと思う。 日課を増やすと、一つ一つは小さくて、面白いことであっても、やはり「やらねば」という義務感が多少混じるので、下手をするとそれがいつか積もり積もって爆発してしまう。「あー、もー面倒くせえ!」ってなるのだ。だから日課を増やすことは慎重でなければならない。さしたる目的もないのに日課にするなどということは時間という資源の浪費である。

    英語を勉強しているんだが - 紙屋研究所
    namawakari
    namawakari 2021/05/15
    “しかし英語というものはいったん始めたら日課にしないといけない。 筋トレと同じである。”
  • 「ブラック校則」の「合理的理由」をしつこく問い詰める - 紙屋研究所

    福岡市の中学校の人権侵害の校則、いわゆる「ブラック校則」が話題になっている。 news.livedoor.com 「学校まかせ」では人権侵害がいつまでも解決しない ぼくは市内の中学校に娘を通わせる一人の親として強い関心を持ってきた。 ぼくがずっと感じている不満は、「校則は学校ごとの問題。学校ごとに決めればいい」という扱いをされることだ。結果的にいつまでたっても問題が解決しないのである。 学校という単位になると、一人の保護者が言えることは実に限られている。担任や校長に話したこともある。それで変わるかどうかはわからない。というか、悪意にとらえれば、「3年間、のらりくらりとかわしていれば、このモンペは子どもが卒業してしまうのでおさらばだ」と思われているのだろう。 PTAを通じた改革の可能性と難しさ PTAはどうか。福岡市でもPTAを通じて改革したケースはある。 news.yahoo.co.jp

    「ブラック校則」の「合理的理由」をしつこく問い詰める - 紙屋研究所
    namawakari
    namawakari 2021/04/06
    これを読む限りでは、現状で個々のプレイヤーの最適解はある種のクレーマーになる、ということになってしまう。ガキは3年我慢すりゃいいんだよ、変えるのめんどくせえ、ということ以外にこんなに頑なな理由は何なの
  • 「地域と人権」誌2021年4月号で紹介されていた『かわた村は大騒ぎ』が読みたい - 紙屋研究所

    「地域と人権」誌2021年4月号(No.444)をめくっていて、冒頭の丹波正史(全国地域人権運動総連合代表委員)「全国水平社創立百周年 部落解放運動100年の歴史 第3回」にあった『かわた村は大騒ぎ』という聞き書きの部落史の紹介に興味をもった。 ここで紹介する『かわた村は大騒ぎ』と題する書籍は稲田耕一氏が書いたものである。私は以前からこの書籍の存在を知っているが、今回の『100年史』の関係で読ませていただいた。久しぶりに胸が熱くなる思いで一気に読んだ。この内容は脇田修氏が書いているように「稲田耕一さんが、村の古老やご両親などから聞かれたこと、また若い日々の体験をふまえて書かれた部落の民俗誌・生活史である」と言ってよい。舞台は現在兵庫県宍粟市一宮町である。ここで紹介するのは、当時の村の獣類処理の仕事、「賤称廃止令」などを受けて村全体の意思として弊牛馬・獣類処理をしない取り決め、差別された村の

    「地域と人権」誌2021年4月号で紹介されていた『かわた村は大騒ぎ』が読みたい - 紙屋研究所
  • ヴィトルト・ピレツキ『アウシュヴィッツ潜入記』 - 紙屋研究所

    まもなくアウシュヴィッツが解放された記念日(国際ホロコースト記念日)である1月27日である。 私はアウシュヴィッツで危険なゲームをやっていた。いや、この文章は現実を正しく伝えているとはいえない。実際、私の経験は世間の人々が考える危険をはるかに超えるものだったのだ…… 書の冒頭に掲げられている著者ヴィトルト・ピレツキの言葉(文p.145に登場)である。 書を二度読み直して、このをどういうものとして伝えようかと考えた時、確かに「私はアウシュヴィッツで危険なゲームをやっていた」という規定がしっくりきた。 アウシュヴィッツ潜入記 作者:ヴィトルト・ピレツキ 発売日: 2020/08/18 メディア: 単行 なぜか。 「危険なゲーム書の著者ヴィトルト・ピレツキは第二次世界大戦期のポーランドの将校(大尉)である。同国は独ソに分割され消滅してしまっていた。ピレツキは抵抗組織に身を投じ、「

    ヴィトルト・ピレツキ『アウシュヴィッツ潜入記』 - 紙屋研究所
  • スポーツの本質的暴力性とどうつきあうか - 紙屋研究所

    リモート読書会は、川谷茂樹『スポーツ倫理学講義』を取り上げた。 このについてはすでに2005年に書評を書いている。 kamiyakenkyujo.hatenablog.com 例えば写真は、今年11月28日付の西日新聞夕刊の記事であるが、柔道の1984年五輪における山下・ラシュワン戦を振り返り、怪我をしていた山下の「右足は狙わないと決めていた」とするラシュワンの言葉を載せ、「その高潔な精神は世界で評価され、国際フェアプレー賞を受賞した」とする。1面のほとんどを使って、相手の弱点を狙わないことを「フェアプレー」として称揚している。 西日新聞夕刊2020年11月28日付(6面) 川谷は、この山下・ラシュワン戦を冒頭に題材にとり、「相手の弱点を狙わないことはスポーツマンシップに悖るのか」という問いを立てている。 川谷は、勝敗の決着こそがスポーツの内在的目的であり、それがスポーツのエトスだと

    スポーツの本質的暴力性とどうつきあうか - 紙屋研究所
  • 藤森毅「少人数学級の根拠の在り処」 - 紙屋研究所

    福岡市の高島宗一郎市長が、11月末の時点で福岡市をGoToトラベル事業から対象除外すべきかどうかを問われて、その必要はないと答えた。その後そのことを議会で問われ、次のように答弁している(2020年12月10日)。 11月末時点において他都市で第3波と言われます感染者数の急増が見られる中、福岡では大きな増加は見られず、特に重要となる重症者の病床稼働率も低い水準で推移しておりました。こうした感染者数の推移と宿泊者数の動向から考えると福岡市においてはGoToトラベルと感染者数に相関関係は見られなかったものと考えます。 GoToトラベルと感染者数の関係について議論がなされている中、福岡市においては第三次産業が9割を占めており、市民の生活にも大きな影響を与えることから、エビデンスに基づく冷静な分析が必要であり、感染者数の推移と宿泊者の動向についてデータに基づく事実関係をお伝えしたものであります。 「

    藤森毅「少人数学級の根拠の在り処」 - 紙屋研究所
  • レベッカ・ソルニット『説教したがる男たち』 - 紙屋研究所

    Zoom読書会でレベッカ・ソルニット『説教したがる男たち』を読んだ。 説教したがる男たち 作者:レベッカ・ソルニット,ハーン小路恭子 発売日: 2018/11/15 メディア: Kindle版 女性を何も知らない無知な存在と見下して説教したがる男性仕草を「マンスプレイニング」というが、その言葉のもとになった文章をおさめたエッセイ集である。文にも書いてあるが、「マンスプレイニング」という言葉自体はレベッカ・ソルニットの考案ではないが、そのもとになるエピソードと発想は全てソルニットのものである。ソルニットは厳密にそこを分けている。(それを読んで、上西充子が「ご飯論法」という問題の抽出を行なったのは自分だが、命名は紙屋である、とわざわざ厳密に分けたことを思い出した。) レベッカ・ソルニットの『災害ユートピア』については以前感想を書いた。 kamiyakenkyujo.hatenablog.co

    レベッカ・ソルニット『説教したがる男たち』 - 紙屋研究所
    namawakari
    namawakari 2020/08/03
    “最悪の批評は、最後の一撃を加えて私たちほかの読み手を沈黙させてしまう。逆に最良の批評は、終わりなど必要ない対話へと開かれている”最近よく使われる「考察」って前者だよなと思う。
  • 「学校に行きたくない」から考える - 紙屋研究所

    中学校に入った娘が「学校に行きたくない」と行って泣いて休んだ、というぼくのツイートが(ぼくにしては)バズっていた。 今朝も娘が中学校に行きたくないと言いだし、大泣きしていた。夫婦でいろいろ娘と話をしたけど、結局今日は休むことにした。理由のようなものがあるか聞いたが中学校の全てが楽しくないと言い、何も楽しくないところにあんなに長い距離、あんなに重いカバンを背負っていくのは嫌だと言っていた。 — 紙屋高雪 (@kamiyakousetsu) 2020年6月2日 例えば娘はサヘラントロプス・チャデンシスのことを挿絵付きでノートに書いているが、それにも「もっとすき間を埋めてね」だけ。いや…もっとなんかこう、「屍肉をっていたとか言われるらしいよ」とか、知的刺激を与えて何か書かせようという気は無いの? 隙間埋めればいいのかよ。黒く塗れば? — 紙屋高雪 (@kamiyakousetsu) 2020年

    「学校に行きたくない」から考える - 紙屋研究所
  • カミュ『ペスト』 - 紙屋研究所

    Zoom読書会をやっている。 このコロナの状況下なのでせっかくだから『ペスト』を読もうということで読んだ。 ペスト (新潮文庫) 作者:カミュ 発売日: 1969/10/30 メディア: ペーパーバック 記憶について いろいろ思うことはあるんだけど、とりあえず、この箇所。 ペストによって閉ざされた街で、ペスト被害に対するボランティアとして組織された「保健隊」でともに活動したタルーについて、その死後、医師リウーが思いをはせるシーン。 彼がかちえたところは、ただ、ペストを知ったこと、そしてそれを思い出すということ、友情を知ったこと、そしてそれを思い出すということ、愛情を知り、そしていつの日かそれを思い出すことになるということである。ペストと生とのかけにおいて、およそ人間がかちうることのできたものは、それは知識と記憶であった。(カミュ『ペスト』、新潮文庫、Kindle の位置No.5187-51

    カミュ『ペスト』 - 紙屋研究所
  • 異議は自分にとってどうしても必要なことだし、社会をよくすることでもある - 紙屋研究所

    つれあいがにわかに近所に売りに出された中古の家を見に行きたいと言い出してびっくりした。今ぼくらは賃貸マンションに住んでいるのだが、仮に戸建てや分譲マンションを買うにしても、それは定年間際でゆっくりと研究してからくらいに思っていたので。 数年前にもこういうことがあったのだが、物件の広告を見るのが好きなつれあいは、いったんそこにハマりこむと抜け出せないくらいの熱中を示してしまう。 居住者がいるお宅にお邪魔し、内覧させてもらう。いい家で「あそこで生活している自分たちがすぐに想像できた」(つれあい)というくらいピッタリの生活感があった。加えて、そこのおばあちゃんが披露してくれた話が*1興味深く、つい聞き入ってしまった。 しかし、あまりにつれあいの強引な展開に不安と若干の腹立ちを覚えていた。 ぼくは自分の人生設計で家を所有する可能性——家を買うことは何年も研究したり、実際にいろんな地に住んでみたり

    異議は自分にとってどうしても必要なことだし、社会をよくすることでもある - 紙屋研究所
  • 松竹伸幸『日韓が和解する日』 - 紙屋研究所

    書にある、 日は法的に立派に責任を果たした。韓国との間で日韓基条約と請求権協定を結び、これまで忠実にそれを守ってきたというのは、法的責任を果たしたということである。「法的に解決済み」という日政府の言い分にはいささかの間違いもない。(書p.156、強調は引用者、以下同じ) という一文を読んで、あなたは「あっ、これは右派のだな」と思うに違いない。 日韓が和解する日 作者: 松竹 伸幸 出版社/メーカー: かもがわ出版 発売日: 2019/10/31 メディア: 単行(ソフトカバー) この商品を含むブログを見る しかも書には次のような文章もある。 日韓基条約の締結過程で徴用工問題は議論され〔…中略…〕韓国側が「被徴用韓国人の……請求権」を求め、それをふまえた議論の末、日側が三億ドル(残り二億ドルは円借款でありインフラ整備に使われた)を支払うことになったということだ。それを韓国

    松竹伸幸『日韓が和解する日』 - 紙屋研究所
  • 『宇崎ちゃんは遊びたい!』献血ポスター問題を考える - 紙屋研究所

    『宇崎ちゃんは遊びたい!』を使った献血ポスターとそれをめぐっての太田啓子弁護士のコメント・行動が炎上しているな。 togetter.com 太田は詳しくは述べていないようだが、要するに宇崎ちゃんの「巨乳」強調のイラストが「無神経」であり「公共の場での環境型セクハラ」であるからという理由で赤十字に何らかの苦情を言ったものと思われる(くりかえすが、この理由は推測に過ぎない)。 これに対するツイッターなどのネット上のコメントを見ると、「あいちトリエンナーレ」の騒動と重ね合わせて、これも表現の自由に対する攻撃ではないのか、という意見がけっこう目立った。 「巨乳強調」は女性の人権を侵すか そもそもの問題として、巨乳を強調したイラストを大勢の前に掲示するのは女性の人権を侵すこと、「環境型セクハラ」になるのか。 結論から言えば、「環境型セクハラ」=法令上の人権侵害とは思えないが、女性を性的な存在とのみみ

    『宇崎ちゃんは遊びたい!』献血ポスター問題を考える - 紙屋研究所
    namawakari
    namawakari 2019/10/20
    “社会運動をする側はいつでも理解が及ばない人にていねいに説明しなければ理解は広がらない”
  • 「不自由展」には入れなかったけど「あいちトリエンナーレ」は観てきた - 紙屋研究所

    あいちトリエンナーレに行った。むろん再開された「表現の不自由展、その後」に行くつもりだったのだが、3回抽選に挑戦し、結局当選できなかった。 抽選を待っている間、愛知芸術文化センター内にある、「表現の不自由展、その後」以外の展示を見て回った。 これは、ぼくの目的からすると、実際に鑑賞してみて、とてもよかった。それは「政治的」であることときわどい境目を接している作品、あるいは「政治的」そのものである作品をたくさん見ることができたし、あるいは「これは単なる〇〇であって、アートではない」と言われかねないような作品をたくさん見たからである。 その二つの非難はいずれも「表現の不自由展、その後」の作品、とりわけ「平和の少女像」をはじめとする2、3の作品に向けられている言葉である。その非難の境目を曖昧にし、解体してしまう作用をぼくのなかでもたらした。 現代のアートと言われるものが、人の感性に入り込んでそれ

    「不自由展」には入れなかったけど「あいちトリエンナーレ」は観てきた - 紙屋研究所
    namawakari
    namawakari 2019/10/17
    金髪はこれからもこの手のイベントにかかわるべき。
  • 「行政の政治的中立」をはき違えると何が起きるか - 紙屋研究所

    「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展、その後」についてのNHK番組「クローズアップ現代」を見た(「『表現の不自由展・その後』 中止の波紋」2019年9月5日放映)。 ここで、「“公的な場での表現”どこまで?」というテーマで、行政の「政治的中立性」について扱われていた。 この報道の中で 今、政治的中立に行政が、より配慮する動きが全国で広がっています。内容の変更を求めたり後援を断ったりするケースは、この5年あまりで分かっただけでも43件に上っていました。 として、そして「平和のための戦争展」という言葉とともに、福岡市のところにタグがつけられた日地図が掲げられていた(下図、強調のため画像を一部加工)。 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190907/k10012067491000.html この問題はNHKニュースでも報じられたようである。 www3.

    「行政の政治的中立」をはき違えると何が起きるか - 紙屋研究所
  • 「人権=思いやり」という洪水のような「教育」 - 紙屋研究所

    人権は道徳ではない、っていう、あの話だけどね。 fairs-fair.org 特にこの記事のこの部分。 谷口さんは「人権は道徳ではありません」と話す。 「人権啓発として『みんなで仲良くしましょう』というキャンペーンをよく見ます。これは裏返すと『仲良くできないのは市民の責任だぞ』と、政府は責任転嫁をしていると言えます。政府には人権を守る責務があり、そのための大前提として差別を禁止し、差別を受けたら救済をして、差別を未然に防止することが必要です」 マジでそう思うわ。 つうか、学校と自治体の人権教育が「人権=道徳=みんなで仲良くしましょう」で覆い尽くされていて当にヤバいと思う。その量・規模たるや洪水のようだ。 小学校の「人権学習参観」に行ってみればこれがベースでガンガン教えられているし、子どもたちに書かせる「人権標語」で最優秀に選ばれる作品はこのトーンばかりである。「広げよう えがお・やさしさ

    「人権=思いやり」という洪水のような「教育」 - 紙屋研究所