小林公平さんはいつも、宝塚大劇場の前から3列目の席で、奥様と一緒に宝塚歌劇を観劇されていた。恰幅(かっぷく)のいい長身なのでとてもよく目立つ。自分の娘たちを見守るような慈愛に満ちた表情が思いだされる。ほかにも東京の劇場、新人公演、バウ公演、ディナーショー、OG公演…と、タカラジェンヌのかかわる催しには、じつにこまめに足を運ばれていた。 文化人としての公平さんは、文筆や絵画などに優れ、「公文健」というペンネームで多くの作詞も手がけられている。あるときその意味を聞くと、「公平の文才よ、健やかに、ですよ」とうれしそうに答えられた。 宝塚歌劇の機関誌『歌劇』には「花の道より」という随想を、昭和47年から毎月掲載され、通算450回分は計4冊の本にまとめられた。執筆は病床にあっても休むことなく、最新の『歌劇』5月号で453回目。その中に自叙伝『公亭自伝』(非売品)のことが書いてある。 昨年5月に最初の