かつて「五条楽園」と呼ばれ、遊女と客で賑わった街は、新業態の店が次々と開業すると同時に、新文化の発信地に変貌している。街の歴史を辿りながら、隈なく歩いてわかったこととは――。 遊女と暴力の街だった 京都市内の鴨川と五条通、七条通、そして河原町通に囲まれた菊浜エリアは、「五条楽園」と呼ばれた。 その歴史は江戸中期に遡る。1761年に一帯が遊郭として認可され、1935年前後には京都随一の色街として栄え、1000人ほどの遊女がいたという。 もともと七条と五条にあった遊郭が合併してできた経緯から、その頃は七条新地と呼ばれていた。ちなみに、高瀬川ができて以来、船で運んだ菊を東本願寺へ下ろす場所だったことから菊浜という地名がついたという。