タグ

歴史と戦争に関するnekotetumamoriのブックマーク (7)

  • 日雇いアルバイトでイラクへ行った。そこで見た地獄

    私たちを乗せた飛行機はパキスタンのカラチ空港で給油し、二十時間ほどのフライトでバグダッド空港に着いた。 タラップを降りたとたん、私は激しい息苦しさを覚えた。 私がアルバイトでイラクの建設現場に行くことになったのは、1980年の七月半ばのことだった。サダム・フセインが大統領になった翌年である。当時、大学を中退した私は、金がなくなると高田馬場の職安前の公園内にできる寄せ場に行き、日雇い労働でいつなぐ生活をしていた。 そんなある時、顔馴染みの手配師が、「にいちゃん、外国の現場があるんだけど、行かねかぇかい?金はいいよ」と誘ってきた。聞くと、契約期間は七月末から三か月。旅費は勿論、衣住付きで三百万円を支払う。仕事は日の大手建設会社が建てているビルに資材を運び入れる外国人労働者の監督をするのが仕事だという。 「こんなにうまい話があるのかな……」と多少疑心暗鬼にはなったが、「前金として百万円払う

    日雇いアルバイトでイラクへ行った。そこで見た地獄
    nekotetumamori
    nekotetumamori 2020/08/01
    過去の日本のODAの実態談。こういうのを読むとやはり日本の海外進出は絶対あってはならないという思いを改めて強くする。
  • ナウル共和国に旧日本軍が残した謎の火砲、ソロモン諸島政府観光局とTwitterユーザーが共に正体を探る取り組みが激アツ

    ソロモン諸島政府観光局(公式) @solomon_japan ソロモン諸島政府観光局日事務所の公式Twitterアカウント🇸🇧フォロバ100%(時間かかりますが…)🇸🇧南太平洋にあるソロモン諸島の観光、文化、自然、日常、ニュースなどをツイートします!🇸🇧いいね、リツイート、フォロー大歓迎です🇸🇧 #ソロモン諸島 https://t.co/KTie8aXWpH ソロモン諸島政府観光局(公式) @solomon_japan 【太平洋島嶼国紹介第6弾:ナウル共和国①】 第6弾はナウル共和国🇳🇷グランドラー 元ナウル共和国官房長官が写真を送ってくださいました🇳🇷旧日軍が遺棄したものだそうですが、75年以上を経て、この状態で残っています🇳🇷名称わかる方いましたら、是非、教えてください🇳🇷こちらもフリー素材です🇳🇷 pic.twitter.com/9ApZWVN

    ナウル共和国に旧日本軍が残した謎の火砲、ソロモン諸島政府観光局とTwitterユーザーが共に正体を探る取り組みが激アツ
  • 10万人死亡「東京大空襲」の翌朝、政府が何と言ったかご存じですか(大前 治) @gendai_biz

    頻発する空襲を経てもなお「空襲は怖くない。逃げずに火を消せ」と言い続けた日政府(前回記事を参照)。この方針は、一挙に大規模となった東京大空襲の被害を目の当たりにしても、変更されなかった。 一度始まった政府方針は、簡単には修正されない。それでも、当時の政府方針に立ち向かおうとした議員がいた。その渾身の言葉に耳を傾けて、いま私たちはどう生きるべきか考える糧にしたい。 10万人が死亡しても「空襲を恐れるな」 1945年(昭和20年)3月10日の深夜0時08分、約300機のB29爆撃機が東京上空に飛来し、約2時間で33万発以上の焼夷弾を投下した。「東京大空襲」である。 現在の江東区・墨田区・台東区を中心に、千代田区や江戸川区も含む広範囲が焼け野原となった。一夜で10万人が死亡し、罹災家屋は27万戸にのぼった。 この大惨事を受けて、さすがの日政府も「逃げずに火を消せ」の方針を変更するかと思いきや

    10万人死亡「東京大空襲」の翌朝、政府が何と言ったかご存じですか(大前 治) @gendai_biz
    nekotetumamori
    nekotetumamori 2019/08/09
    まあ現代日本社会の住民の最大の敵は、天皇を軸にしたオカルトナショナリズムの産物たる近代以後の日本という国そのものだよなw
  • 「何故攻撃に出ぬか…」太平洋戦争下の昭和天皇「お言葉」の数々(辻田 真佐憲) @gendai_biz

    12月8日は、太平洋戦争開戦の日である。 この戦争を巡っては、昭和天皇が晩年の1987年まで「辛い」「戦争の責任のことをいわれる」などと悩んでいたことが、今年発見された資料で明らかになった(「小林忍侍従日記」)。 日共産党の志位和夫委員長は、この資料発見のニュースに関連して「昭和天皇は、中国侵略でも対米英開戦決定でも、軍の最高責任者として侵略戦争拡大の方向で積極的に関与した。個々の軍事作戦に指導と命令を与え、戦争末期の45年に入っても戦争継続に固執して惨害を広げた。歴史の事実だ」(8月23日)などとツイートし、大きな反響を引き起こした。 「『戦争責任言われつらい』晩年の昭和天皇吐露」 昭和天皇は、中国侵略でも対米英開戦決定でも、軍の最高責任者として侵略戦争拡大の方向で積極的に関与した。個々の軍事作戦に指導と命令を与え、戦争末期の45年に入っても戦争継続に固執して惨害を広げた。歴史の事実だ

    「何故攻撃に出ぬか…」太平洋戦争下の昭和天皇「お言葉」の数々(辻田 真佐憲) @gendai_biz
    nekotetumamori
    nekotetumamori 2019/06/13
    やっぱりGHQは四の五の言わず天皇制を廃止するかそれが無理なら昭和天皇を退位させるか東京裁判で裁いておくべきだったよな。諸般の事情でそれやらんかったツケが今の日本の現状もたらした大きな一因だし。
  • 抜刀隊について - Apeman’s diary

    http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090917/1253158517 明治10年の西南の役*1に際して、「警視庁抜刀隊」が組織され、多くの旧会津藩士及びその子弟が志願した。 実は西南戦争時の抜刀隊の件についてはいずれきちんと調べておきたいと思っていた。もちろん、「百人斬り」否定論とのからみで、である。薩摩側の斬り込みに農民・商人出身者が主体の官軍兵士が太刀打ちできず、そのため官軍も士族出身の警官から選抜して抜刀隊をつくって対抗した・・・というわけであるから、山「事実であろうと、なかろうと」七平センセがいくら七平メソッドを振り回そうが日刀が兵器としての一定の実用性を備えていたことはもうそれ以上論ずるまでもない事実であるわけだ。「百人斬り」報道ではM少尉が「俺の関孫六が刃こぼれしたのは一人を鉄兜もろともに唐竹割にしたからぢや」と語ったとされ、否定派は「そんな

    抜刀隊について - Apeman’s diary
  • 米有権者の61%「原爆投下は正しかった」 : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    【ワシントン=黒瀬悦成】米キニピアック大学(コネティカット州)の世論調査研究所は4日、米国による64年前の広島と長崎への原爆投下について、米国の有権者の61%が「正しい行為だった」と回答したとする全国世論調査の結果を発表した。 「間違いだった」は22%で、米国人の圧倒的多数が原爆投下を支持していることがわかった。 年齢別で原爆投下に対する支持が最も高かったのは55歳以上で、73%が「正しかった」と回答。一方、35〜54歳の支持率は60%、18〜34歳では50%に低下した。同研究所のピーター・ブラウン副部長は、「第2次世界大戦の惨禍を記憶している人は、トルーマン大統領(当時)の原爆投下の決断を圧倒的に支持している」とする一方で、「第2次大戦や冷戦を知らない世代ほど、原爆投下を支持しない傾向が強い」と指摘した。 党派別では、共和党員の74%が支持したのに対し、トルーマン大統領と同じ民主党員の支

    nekotetumamori
    nekotetumamori 2009/08/05
    まあそういう事だ。原爆資料館は修学旅行で行ったが所詮ジャップがウダウダ言ったところで「お前がいうな」でしかないと気付いた時点でヒロシマ・ナガサキへの黙祷など馬鹿馬鹿しくなって止めた。
  • 原爆で得した日本人

    昔土曜日に子どもがミュンヘン補習校へかよい、私が送り迎いをしていた頃のことである。補習校図書館で授業が終わるのを待っていた私は一番上の棚にある「日の原爆文学」・全15巻に好奇心をひかれて、その何巻かを手にとって読むようになった。 ■徹底的に抗戦する ある日、私は第15巻「評論・エッセイ」で長岡弘芳の「原爆文学と戦後ナショナリズム」のなかで著者が引用している次の一節を読んで仰天する。 《、、、突然誰か発狂したのではないかと思われるほど大きな声で「このまま敗けられるものか」と怒鳴った。それに続いて矢つぎばやに「今さら敗けるとは卑怯だ」「人をだますにもほどがある」「何のために今まで辛抱したか」「これで死んだものが成仏できるか」いろんな表現で憤が炸裂する。病院は上も下も喧々囂々全く処置なき興奮状態に陥った。日ごろ平和論者であった者も、戦争に厭ききっていた者も、すべて被爆この方俄然豹変して徹底的

    nekotetumamori
    nekotetumamori 2009/04/05
    確かに原爆のお陰で日本は戦争加害国であるという事実が日本人の間になかなか認識されてこなかったよな。
  • 1