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lifeとNumberに関するnobodyplaceのブックマーク (14)

  • 二十歳

    雑誌「Sports Graphic Number」で「二十歳のころ。」という特集をやっていました。スター選手の二十歳の頃を振り返りつつ、現在二十歳で活躍している選手も紹介していく感じの特集。読み応えが合ってとても良い特集でした。スポーツ選手を始めとして早くから「大人の社会」で生きることを求められる子供は一般的に成熟が早く、同じ「二十歳のころ」と言っても僕や、僕の周りのごく普通の人たちとは考えていることが違って見えるのですけど、後から振り返ったり、公私をならして見つめたりすると、競技に関する部分が突出して成熟しているだけで全体のバランスはそう変わらないのかもな、とも感じます。それでも二十歳のときの僕よりは、彼らの方が人間として遥かに成熟していますけどね。今の僕よりも成熟しているかも。 最近は仕事の関係で、二十歳前後の男女と話す機会がよくあります。話すといっても一緒にいる時間の99%は仕事中な

    二十歳
  • <私が今日も走る理由> 1300年で2人のみ! 千日回峰行満行の大阿闍梨 ~塩沼亮潤さん~(山田洋)

    ウェアに着替え、お気に入りのシューズを履いて、 今日も当たり前のように駆け出す――でも、なぜ? 何がわたしたちを「走る」というシンプルな行動へと 駆り立てるのだろう? 走ることで何を得ているのだろう? 2014年1月発売のNumber Do Winter『私が今日も走る理由』より、 悟りを求めて1300年で2人目となる強烈な修行をした 大阿闍梨・塩沼亮潤さんのインタビュー記事。 全文が読みたいという声にお応えして、 雑誌にも収めきれなかった完全版を公開します。 千日回峰行という言葉を聞いたことはあるだろうか? もしくはマラソンモンクは? 千日回峰行とは、数ある仏教の修行の中でも荒行中の荒行と言われ、比叡山や吉野・大峯山の山中を、悟りを求めて1000日歩き続けるというもの。海外のトレイルランナーたちも回峰行者のことを「マラソンモンク」と呼び、尊敬と畏怖の眼差しを向けている。 塩沼亮潤大阿闍梨

    <私が今日も走る理由> 1300年で2人のみ! 千日回峰行満行の大阿闍梨 ~塩沼亮潤さん~(山田洋)
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    nobodyplace 2014/04/29
    大事なこと
  • Sports Graphic Number 852「アイルトンセナの天才性について。」

    「Review」と書いたけど、僕にはまだこれが読めません。 アイルトン・セナが死んだ1994年5月1日からもう20年が経つのか…… まだ冒頭のレオナルドの寄稿文しか読んでないけど、 きっと多分僕の中ではまだ整理し切れてないんだろうな。 ヘリから撮影された、上からの映像がまだ目に焼き付いてます。 でも目次見ただけでもわかります。 これは、アイルトン・セナを知っている人にとっては大事な特集だろうと。 きっと僕は気に入るんだろうな…… もうちょっと時間が掛かるかも知れないけど、ゆっくり読みたいと思います。 みなさんも、ぜひ。

    Sports Graphic Number 852「アイルトンセナの天才性について。」
  • 坪井智哉、米独立リーグで現役続行!迷える盟友にイチローがかけた言葉。(田口元義)

    坪井智哉・公式フェイスブックより。「独立リーグの中では最高峰と言われており、メジャーやマイナーとの入れ替えが頻繁に行われているリーグ。少しでも夢に近づく為、このリーグでプレーすることを2年前から望んでいました」と夢へと一歩前進したことが報告されている。 4月2日。スポーツ紙の片隅にこんな記事が掲載されていた。 <阪神、日ハムで活躍した坪井 米独立リーグと基合意> アトランティック・リーグに所属するランカスター・バーンストーマーズというチームへの入団がほぼ決まった、という内容の記事なのだが、報道を受け、おそらく多くのファンがこう感じたことだろう。 「坪井、まだ現役だったんだ」 周りからそう思われていることは、坪井智哉人も十分心得ている。 「これまで、メディアに取り上げられなかったっていうのもありますけど、僕自身、現状を公にしていなかったんで。だから、今でもよく、『坪井さん、引退されたん

    坪井智哉、米独立リーグで現役続行!迷える盟友にイチローがかけた言葉。(田口元義)
  • いつも心に“大洋”を!異能の脳外科医・近藤惣一郎の半生。(村瀬秀信)

    人生は、荒波SHOW。 寄せては返す大波小波、試練と忍耐の連続であるのだと、この数カ月の間にわが身に降りかかった災厄を振り返り改めて実感している今日この頃。 連載を休止しているこの間、父が死病の宣告を受け、は子を連れて実家へと帰って行ってしまった。いいことなんてあるわけがない。あっても38年に一度だという大洋メンタリティを備えた筆者とて、流石に今回のことに関しては、ヘコんでいる。 人生と野球は良く似ている。上手くいったと思ってもその通りに行った試しがない。そう、最下位脱出を果たして、戦力が整い上を目指せると思った途端に、モーガンが去り、鶴岡が阪神に獲られる。これぞ大洋。これぞ人生。この球団はDeNAになった今とて、まったくもって安穏とさせてはくれない。 そんなどん底の最中で、お会いしたのが近藤惣一郎氏だった。 「アジアを取り仕切る謎のフィクサー」な出で立ち。 浅黒く日焼けした肌に、腰まで

    いつも心に“大洋”を!異能の脳外科医・近藤惣一郎の半生。(村瀬秀信)
    nobodyplace
    nobodyplace 2014/02/28
    色んな感想がわき上がるけれど、一言で言えば「素敵」。
  • 山本昌がラジコンを封印した理由。「50歳まで投げる」ためのオフとは。(田口元義)

    2013年は12月31日までトレーニングを続け、年が明けると1月2日にはナゴヤ球場を訪れキャッチボールで汗を流した。 プロ31年目のシーズンを迎える48歳の大ベテランは、とにかく休み知らず、なのである。 「だってさ、家にいたって暇なんだもん」 山昌は、決まってそう言う。 盟友・山崎武司は現役時代、「俺は暇でも練習しない!」と豪快に言ってのけたが、むしろ、その考え方こそプロ野球選手の大半の心情を代弁している、と言えるだろう。休める時はしっかり休む。約10カ月。多ければポストシーズンを含め144試合以上も戦い抜かなければならない過酷さを鑑みれば、戦士にも休息は必要なのだ。 ただ、山昌にしてみれば、それも単なる固定観念に過ぎない。 トレーニングを続けるわけ。それはいたってシンプルな心構えがあってこそ。山昌は「暇」の真意について、このように説明してくれたことがあった。 40歳までは「休むこと

    山本昌がラジコンを封印した理由。「50歳まで投げる」ためのオフとは。(田口元義)
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    nobodyplace 2014/01/10
    昌さん格好いいなあ。ずっと怪我無く頑張って欲しい
  • “戦力外”ながさわたかひろが個展?「これは野球美術家のトライアウト」(村瀬秀信)

    12月、神楽坂。 美術家・ながさわたかひろは、3日からはじまる個展に向け夜通しで最後の準備作業に追われていた。 そこには今季の東京ヤクルトスワローズ144試合を描いた「ぬりえ」をメインに、ながさわが選ぶ一軍ベンチ入りメンバーをひとりひとり抜き出して描いたパネル。チーム全員の似顔絵にサインが入ったポスターなど、今季ながさわが作った作品が展示される一方で、ライトスタンドで実際に使用されている応援旗、バレンティンの塁打新記録が掛かった際に話題となった「COCOメーター」の実物、引退した宮のサインボールやら、神宮球場各種チケットの半券など、スワローズの2013年が一堂に会したような“超濃縮還元ヤクルト”空間。その気合の入り方に、ながさわのかつてないほどの覚悟が窺える。 「これが僕のヤクルトでの最後の作品展になるかもしれませんからね。悔いは残したくないんです」 その目に笑みはない。昨年の引退から

    “戦力外”ながさわたかひろが個展?「これは野球美術家のトライアウト」(村瀬秀信)
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    nobodyplace 2013/12/15
    "でもね、僕もプロの美術家の端くれなんです。それが自分の決めた美術家としての生き方であり、表現方法であるならば、何を言われたって貫きたいんですよ。"
  • 僕は楽天イーグルスの「初代応援団員」だった。(村瀬秀信)

    9月。球団初の優勝を目前に控え、満員に膨らんだKスタ宮城のスタンドを眺めながら、岡野寛大は熱い感情が込み上げてくることを感じていた。 今から8年前。当時フルキャストスタジアム宮城と名乗っていた同じ場所で、大学生だった岡野は全国荒鷲連合会の副団長として楽天ファンの前に立っていた。 「1年目のスタンドを思うと今の応援風景は信じられないですね。僕らはまったくの応援素人の集まりで、いろんな人に助けられながらここまでやってこれたんですよ」 大阪・藤井寺で生まれ、近鉄ファンとして育った岡野だったが、2004年夏に端を発した球界再編で、近鉄がオリックスと合併することで消滅。仙台に新球団・東北楽天ゴールデンイーグルスが誕生した。岡野は近鉄の消滅をどうしても受け入れることができず、合併球団ではなく東北の新球団を応援することを決意する。 「気持ちが整理できないまま近鉄が消滅してしまって、すんなりと合併球団も応

    僕は楽天イーグルスの「初代応援団員」だった。(村瀬秀信)
    nobodyplace
    nobodyplace 2013/09/28
    優勝、おめでとう……(´;ω;`)ブワッ
  • 【読書感想文】 Sports Graphic Number PLUS 完全保存版 中山雅史と日本サッカーの20年

    正直に言うと、まだ読み始めたところです。1/3くらい。 でも「これは買って良かった」と思ったので書いています。 僕がNumberを毎号買うようになったのは伊達公子さんが表紙のウィンブルドン特集(369号/1995年6月22日発売)からですが、このNumber PLUSに記録されている「20年間」はそれよりもずっと長い。1993年当時のNumber表紙をNumberバックナンバーで眺めると、アイルトン・セナ、琴の若、武豊、マイケルジョーダン、そして中山雅史。Numberを読み続けてきた時間というのは僕にとっては「スポーツを観客として楽しんできた」時間とほぼ一致するので、すなわち「中山雅史」というサッカー選手は、僕がスポーツというものに「気がついた」ときからずっと視界にいた選手ということになります。同じ静岡出身で、藤枝市と境界を接する静岡市の生まれと言うこともありますし、想うことがとてもたくさ

    【読書感想文】 Sports Graphic Number PLUS 完全保存版 中山雅史と日本サッカーの20年
  • <箱根駅伝> つながらなかった襷。~悲劇のランナーたちのその後を追う~(小堀隆司)

    あの冬の箱根は、とりわけ印象的だ。勝者ではなく、 敗者の崩れ落ちる姿が網膜に焼きついている。 うつろな目、半開きの口もと。何度転んでも立ち上がり、 襷をつなごうとする姿──。襷はなぜ、つながらなかったのか。 途中棄権を余儀なくされた3人のランナーの、その後を追った。 好評発売中の雑誌Number Do『体が変われば人生が変わる!?』より、 特別公開します! JR清水駅前の雑踏に、ジャージ姿のサラリーマンがすっくと立っている。 スリムな体型は現役当時のまま。山梨学院大のエースとして鳴らした中村祐二も、すでに不惑の年を迎えているはずだった。 「今年で42です。学生の頃と比べて、むしろ体重は減ってます。52kgしかないんですよ。ちょっと肺を痛めましてね」 何度目かの転職先である現在の会社は、経営再建のまっただ中。 造船会社で総務課長を務める中村は、ややかすれた声で言った。 現役はとうに引退した。

  • “グラウンドの孔明”西武・佐藤友亮。34歳で現役引退し、次の天職へ――。(中村計)

    シーズン打率で3割を超えていた2008年には、その勝負強さをプレーオフでも見事に発揮し、チームの日一に貢献した。名前の「友亮」の漢字から、“グラウンドの諸葛亮孔明”と呼ばれた。 佐藤友亮は、どう結論づけているのだろう。決して順風満帆とは言えなかった12年間の現役生活を。 西武の佐藤が先日、引退を発表した。 入団1年目、大学を卒業したばかりだった佐藤に「野球を天職だと思うか」と質問したことがある。すると、何度も首を傾げながら、こう答えた。 「……どうなんですかね。わからないです。そういうのって、終わってからわかるんじゃないですか」 そんな質問をしたのには、理由があった。 大学を卒業する時点で、佐藤には、プロ野球選手になるという道以外にも、いくらでも選択肢があったからだ。 プロ野球選手になった人の中で、学生時代、佐藤ほどハイレベルな「文武両道」を実践した人はそうはいないのではないか。 中学、

    “グラウンドの孔明”西武・佐藤友亮。34歳で現役引退し、次の天職へ――。(中村計)
  • Number編集部ブログ|少し真面目に、「スポーツの力」について。

    編集部ブログは3年目に入りました。私たちがナンバーを作りながら感じていることが少しでも伝われば嬉しいかぎりです。引き続きご愛読のほど、よろしくお願いします。 さて、今日の話題は――。 4月5日夜、カメラマン赤木真二さんのスライド&トークショーに行ってきました。 長年ナンバーがお世話になっている赤木さんですが、人を集めてショー形式で話をされるのは珍しいですね。 巨大モニターで見る写真は迫力がありました。 まだまだ若いころのマラドーナ、ジーコ、ロベルト・バッジョから、日ではキング・カズ、中田英寿らの懐かしい表情が次々と映し出され、私(犬)も行ったことのあるヨーロッパのスタジアムが街の雰囲気とともに紹介されていきました。 たくさんの懐かしい写真を見ていると、海外サッカーを真剣に見始めた80年代後半の記憶や、初めてナンバーで欧州サッカーの記事を担当したときのことが思い出されてきました。ナンバー編

  • 賀川浩さんのエピソードに感動した(Sports Graphic Number 774号「ルーキー秘話。」)

  • 工藤公康47歳、今季も一軍。プロ29年目の男の意地を見よ!(田口元義)

    たった11球とはいえ、西武の工藤公康にとってそれは、とても意味のあるマウンドだった。 20日のソフトバンク戦、7回1死一塁の場面で2番手として登板。先頭の川崎宗則に四球を与え一、二塁とピンチを広げてしまうが、続く多雄一をレフトフライ、ペタジーニをショートゴロに抑え無失点で切り抜けた。 シーズン初登板だった。工藤からすれば、出遅れたものの無事に一軍で投げられてホッとした、といったところだろう。一方でこの登板は、自身のプロ野球記録を更新する記念すべきマウンドとなった。 実働29年――。プロ野球の長い歴史のなかで、これほど長く現役を続けた選手は工藤以外には誰もいない。漫画家の水島新司は、70歳を過ぎてもなおマウンドに立ち続ける「野球狂の詩」の岩田鉄五郎に対して、「彼は夢のキャラクターだから、ありえないこと」と言っていたことがあるが、工藤は、そのマンガのような、ある種の「ありえない領域」に、踏み

    工藤公康47歳、今季も一軍。プロ29年目の男の意地を見よ!(田口元義)
    nobodyplace
    nobodyplace 2010/07/27
    "「これまでの野球人生は悔いだらけ。だから泥臭くやる。ドロドロになるまで」それが、今の工藤の本音だ。"
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