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漫画に関するraf00のブックマーク (2)

  • 萩尾望都もマニアへの対応には苦慮していた、という話。「まんがABC」(1974年)、「わたしのまんが論」(1976年)より。 - 情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明

    マニアさま―― わたしはまったくもって人間であります ほんとです こういったまんが好きのマニアの一派に、いわば変格マニアとでもいうべき少数派がいて、これを私はド・マニアといっている。 その考察は独断と偏見に満ち、その自己顕示欲はボウリングのボールのごとく、ピンをすっとばして、疾走し、その鼻は芸術性と文学性に満ちて天をあおぎ、一般大衆を見くだすその目はカマキリのごとき。 萩尾望都といえば、1970年代を通じて最も「マニアうけ」した少女漫画家であったと言っても過言ではないかと思います。 やっぱりというか、残念ながらというか、そういう人には(ごく少数だった、とは思いたいけど)困った方もいらっしゃったようで、萩尾望都も少々、いや、かなり苦労していたみたいなんですね。 「まんがABC」より「M・マニア」 別冊少女コミック1974年6月号に掲載された読切「まんがABC」(現在の所単行未収録)より。*

    萩尾望都もマニアへの対応には苦慮していた、という話。「まんがABC」(1974年)、「わたしのまんが論」(1976年)より。 - 情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明
    raf00
    raf00 2009/04/30
    なんとまあ素晴らしい資料!
  • 有名漫画家が漫画を持ち込むも漫画誌に門前払いを喰らう|ガジェット通信 GetNews

    ゲームラボや小学館系の漫画誌はもとより、フジテレビ『未来予報士ツギクル』のアニメーションや、かつてテレビ東京の『おはスタ』でキャラクターデザインなどをしていた漫画家・ピョコタン先生が、漫画誌に漫画の持ち込みをするも、ボツを喰らって門前払いされていたことが判明した。 ピョコタン先生は高校時代から漫画を描きはじめ、卒業後にカルチャーブレーン専門学校に入学。常に勉学に励みつつも、漫画を投稿したり、持ち込みなどを繰り返し、現在まで『コロコロコミック』や『ゲームラボ』など、多くの雑誌に漫画を連載・掲載してきた。つまり、漫画家としてかなりのプロである。 そんなピョコタン先生が、より贅沢な暮らしをするために、持ち込み用の漫画を執筆。原作に知人のお笑いコンビ・さくらんぼブービーをむかえ、「これは完璧だ!」と思える作品を作り上げたのだ。そのタイトルは『ケムシトリ』。とりあえずペンで書く前に下書きの状態でとあ

    有名漫画家が漫画を持ち込むも漫画誌に門前払いを喰らう|ガジェット通信 GetNews
    raf00
    raf00 2009/04/06
    ピョコタンおもしろいけど、さすがにメジャー出版社では無理だろJK。
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