わたしも売文稼業の末席を汚しエイャで原稿を書き散らかしては編集部から丁寧な添削を受ける度に感心するクチだから、ネット上の文章について藤代さんが厳しい目を向ける気持ちは分かる。しかし市民メディアは「コンテンツの質が低い」以前に深刻な自己矛盾を抱えているのではないか。既存のマスメディアでさえ、今後もコンテンツの質と威信を担保し続けられるかは疑わしい。 しかしながら、ネット上の言論がこのようなマスメディア批判から抜け出せていないのも現実だ。他人の記事を批判するならまだしも、自らニュース記事を書いて発信するとなると、とたんにハードルは上がる。25日についにオーマイニュースの閉鎖が発表されたが、市民メディアと呼ばれるメディアが広がりを見せないのは、コンテンツの質が低いからに他ならない。 ITのもたらしたチープ革命で表現の場を与えられたにも関わらず、マスコミの権威性に憧れて市民記者を標榜し、けれども充
あけましておめでとうございます。メレ腐はじまって以来のモンスター反響を呼んでいるモジャモジャ犬わさお…年末年始のほのぼのネタとしてヤフーニュースのトップになったり、ローカル・全国ネット問わずテレビや雑誌で取り上げられているみたいです。もはやニュースを追いきれていない…。 で、先日軽くふれましたとおり、鯵ヶ沢観光協会と飼い主の菊谷さん、ご当地ブロガーで関係者間の調整等に尽力してくださった徒然あじがさわ ver.2.5の吟さん、Tシャツデザインの原案を提供してくださった聴く耳を持たない(片方しか)のrikuoさんらの力が合わさって、”わさおTシャツ”ができてしまいました!すごい…すごすぎるやろ、ネットの力…。 わさおTシャツのできるまでの経緯については、もの.あじがさわ.jp 鯵ヶ沢のイロイロをお取り寄せ! >> カバーストーリー >> ”わさお”とTシャツにて吟さんが説明してくださっています
以前こういう記事を書きました。 (過去記事)食事をマズくする人たち - (旧姓)タケルンバ卿日記 2008-08-28 そこで今回はその逆版。うまくする人について書いていきます。 うまそうに食べる やっぱりね、気分とか表情はうつるんですよ。プラスにしてもマイナスにしても、周りに影響を与える。にこやかな表情、楽しそうな感じ、幸福感。こういうのって周りにうつるんですね。周りを巻き込む。 「うまそう」ってのも同様なんですよ。マズそうに食べれば、何となく表情でマズそうな感じが伝わるものですが、逆にうまそうに食べれば、うまそうな感じが伝わるものなのですよ。自分の味覚にプラスされるのですよ。ボーナスポイントが入るのですよ。人のうまそうな感じが自分のうれしさとなり、自分の味が上がる。まして連れて行った店が自分の紹介だと尚更です。 味が認められた=自分が認められた みたいな錯覚もできますので。幹事としては
偏見に満ちた事実誤認と印象操作が「酷い」という趣旨には全面的に賛同する。 ・BLとBL読みを貶めるのもいい加減にしてもらいたい。 - __ScrapBook of Plumber ただ、この主張には看過しがたい瑕疵がある。まず「BLの主題はセックスではない」という事実をアナウンスする。そして、「BLの主題がセックスであるような言説は事実誤認、或いは、印象操作である」と主張する。ここまではいい。真っ当だ。ただ、その過程で「正しく事実を認識して欲しい」という意図を超えて、BLは「ポルノではないから」貶められる謂われはないといっているように見えてしまう。それをリンク先の書き手が意図しているとは限らない。が、結果としてそう主張していると「読めてしまう」。それだと、ポルノであれば貶められても仕方がないことになってしまう。 そうした印象は、後段の「ワイセツ」問題以降さらに顕著になる。「初っ端から『ワイ
・反婚中田氏ハッピー あなたは、Aさんのことをとても好きになった。そう、心から愛している。 けれども、あなたは煩悶する。「Aさんを素晴らしいと思う」ことは「Aさんではない人を貶める」ことになるではないか。ダメだ。ダメだダメだダメだ。そのことに思い至ったあなたは、もう誰も好きになることができない。誰かを好きになるたびに、その誰か以外を否定しているのだという自己嫌悪に苛まれる。あなたの世界は「Aさんは素晴らしい。もちろん、Aさんでなくても素晴らしい人はたくさんいる。しかし、今の私にとってはAさんこそが最高なのだ」という多元的価値を認めない。それは単純で美しい二元論の世界だ。何かに価値を見出した瞬間、それ以外のものは否定される。 ぼくの世界はもっと複雑だ。ぼくは友人Aと友人Bが結婚したことを祝福した。信じてもらえないかもしれないけれど、実のところぼくは「結婚」という制度を祝福したわけではない。「
なんつーか、ゲーム業界って、誤解が多いな。 古い話題だけど、突っ込みを見かけなかったので書いておく。 当時ファミコンが店頭に並んでいた時代、ゲーム製作は金山堀りとおんなじだった、 ちっともうだつのあがらなかったどうしようもない大学生や専門学校生がはじき出されるように社会に出て、「どうする?俺就職できね、ゲームでも作る?」って具合にはじめることが出来たのが当時のファミコンゲームのソフト会社の製作環境。 ちょうど雰囲気的には今のエロゲ製作サークル活動に似ている。 これはひどい誤解。 任天堂は限られた会社にしか開発を許諾しておらず、ガレージカンパニーにはファミコンの開発に関われていない。そして開発機器はかなり高かったため、300万円程度の予算では無理だろう。 だからこそ、ゲームフリークの田尻智氏たちが自分たちでファミコンを解析して、ファミコンとCPUが同じアップルIIで開発し、できあがったゲーム
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