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-スポンタ通信に関するriywoのブックマーク (59)

  • 茂木健一郎・歌田明弘・甲野善紀。ふたつの本。…そして、斉藤環氏。: スポンタのポストモダンから見た『この世界』

    茂木健一郎氏は、テレビで大活躍。脳科学者ということで、Wikipediaを探ると以下のような項目がある。 【批判】 精神科医、批評家の斎藤環とのウェブサイト上での公開往復書簡[1](2007年12月現在一度も往復していない)で、斎藤から「主体の揺るぎなさ」や「価値の絶対性」を肯定するクオリアという考え方について、幸福会ヤマギシ会での特別講習研鑽会におけるマインドコントロールの例を引きつつ、擬似科学である、との厳しい批判を受ける。来ならば、これに反論する形で往復書簡が実現するはずだったが、茂木は返信していない。 大槻義彦は『江原に擦り寄る文化人』の一人として茂木を批判している[2]。 【受賞歴】 小林秀雄賞受賞(第4回、2005年)受賞作『脳と仮想』(新潮社) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%82%E6%9C%A8%E5%81%A5%E4%B8%80

    riywo
    riywo 2008/11/06
    そうだね,脳みそという物理的な物体だけを過大評価するのはちょっとやばそう.てかまぁ,センサとアクチュエータ考えれば体があることの必要性は当たり前なんだけどね,特にロボット工学屋さんの間では当たり前の事
  • 石井慧選手、プロへ。: スポンタのポストモダンから見た『この世界』

    彼のこれまでのバッシングを思えば、彼のプロへの転身は当然のことである。 石井選手は、今年の日選手権でもバッシングされていた。そして、金メダルを得た後も、マスコミは彼の軽口を面白がったが、柔道界は彼に口封じをした。陰ではきっとふたたびバッシングをしていたに違いない。そして、そのような無為な摩擦の中から、彼が問い続ける戦いの場として、柔道が意味のないこととの結論に達したに違いない。 ☆ スタジオのコメンテーターは、柔術を引き合いに出す石井選手は、嘉納治五郎のつくった柔道を汚すタブー発言だと批判したが、彼の言う柔術とは、ヒクソン・グレーシーに連なるブラジリアン柔術のことだろう。 ほんとうのことをいえば、柔道でも人を殺すことはできるに違いない。だが、柔道精神の一貫として、しないだけだ。そして、彼がこれから進もうというプロ格闘家の世界もバリートゥードとはいえ、何もやってもいい世界ではないはず。何故

    riywo
    riywo 2008/11/06
    柔道はオリンピックを目指す道の周辺は本当にクローズド.その一方で僕たちの様に(本当の意味での)アマチュアが多くて,好き勝手やってるのも事実.自分たちで自分たちの形を固定してしまわないようにして欲しいなぁ
  • 大阪府職員の言い分の妥当性。: スポンタのポストモダンから見た『この世界』

    「低い給料でガマンしてる!」の大阪府職員、夏のボーナスは前年比増の83万7302円(一般行政職)。 そのような高給をとっているにも関わらず、「娘に大学進学はできない」と話した職員がいる。という。 手取りは40万円を越えていても、薄給との認識…。 このような報道に対して、2ちゃんねる言論は、民間との格差を指摘し、傲慢であると糾弾する。 さて、どうなんだろうか。 ☆ 職員たちが府民のために職業を選んだのなら、府民と同じ経済的苦境になることに反発が起きるはずもない。彼らは生活の安定のために職業を選び、その目的が果されなくなりそうだから、反発しているのだ。酷い言い方をすれば、生活のために嫌々大阪府職員をやっている…。 我家は自営業の共稼ぎだから、経済がいつも逼迫している。そのような状況を肌身に感じている娘に、経済的な安定を求めて、公務員になるか。と、勧めたら、一もに二もなく、「そんな人生は嫌だ」と

    riywo
    riywo 2008/07/07
    ポリシーなく仕事をやっている人は当然そうなるね.そういうのを量産してきた世代は責任を感じないのかな.文句があるなら辞めれば?という発想は出来ない彼らも彼らだが.
  • 池田信夫先生はネットを理解していない。インターネットに割れ窓理論は適用されない。: スポンタのポストモダンから見た『この世界』

    1日に数万アクセスを集める池田氏は、インターネット通だろう。そして、公的会議などでも刺激的な発言をし、既存概念でしかインターネットを捉えることができぬ昔気質のエスタブリッシュの中では出色だろう。 だが、彼のブログで驚いた。インターネットに割れ窓理論を援用している。だが、インターネットの特色は、無限の地平であること。そして、その地平は流動的であること。そのような固定的な場を持たぬインターネットで、割れ窓理論が援用できるはずもない。 私は、次のようにコメントしたが、掲載されなかった。 http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/0d5499dcf1b3071134706ece29f57440 インターネットは無限の地平なので、割れ窓理論は適用されません。悪は悪を呼ぶけれど、それを封じることは、かえって悪を拡散させることになる…。2ちゃんねるの西村氏が指摘するように、誰

    riywo
    riywo 2008/07/04
    今はインターネットの外側がまだあるからいいけど,これからそれもなくなっていく.そうすると悪だって組み込んでいかないといけない.拒絶するだけは余計悪い状態を生むよね.
  • 人材派遣問題の解決は、正社員雇用ではない。: スポンタのポストモダンから見た『この世界』

    秋葉原の通り魔事件で、人材派遣の問題が争点になっている。 そして、舛添大臣は日雇い派遣の禁止など、意味不明の発言をする。そして、マスコミの視点も、派遣従業員を正社員にすることを解決策とするようだ。 だが、人々の働き方、働く業種が多様化している今。すべての労働者を正社員にすることなどありえないし、それを理想・目標とする政治家やマスコミの人達は、何か特別なステークホルダー(利害)に捉われていると思えてならない。 現代思想では、ノマド(放牧民)の時代と現代を定義する。正社員とは定住者のための制度であり、アンシャンレジーム(古い制度)の一つだろう。 ☆ 解決策は、正社員制度によって社畜になりはてた人達を解放し、終身雇用制で企業の奴隷になり、企業と心中する人達をなくすことである。そのためには、職能のモジュール化(一人でも仕事の能力が評価される制度)が必要である。だが、日の労働組合は企業別なため、モ

    riywo
    riywo 2008/06/29
    もう大企業とか政治とかに動きを求めても無駄だよ.それこそアンシャンレジームな発想.個が強くなっていくしかない.それができない人はおとなしくアンシャンレジームに従っていれば
  • 日本の未来は…。部分集合が成立しなければ、自浄は発生しない。: スポンタのポストモダンから見た『この世界』

    湯川さんのブログを読んだ。 http://it.blog-jiji.com/0001/2008/06/post_a586.html 彼らと立場が違うことに呆然、唖然とする。 印象的だったのは、「確かに日がインターネット産業の最先端を走る必要性はないのかもしれない。優秀な日人は、既に多くの人がそうであるように、シリコンバレーに行けばいいだけ。そこで、日にこだわらずに、世界に貢献することを考えればいいだけなのかもしれない」。 私は、司馬遼太郎の幕末や明治維新ものを読んでいる。 2008年の今わたしたちが気づくことは、日社会のすべての問題の原因は、拙速に西洋文明や西洋のシステムを導入したことにある。西洋のシステム(法制・行政・経済)は、日のコミュニティーが来持っていた自浄作用を根絶やしにしてしまった。 ☆ 明治以前、コミュニティー内の裁定によって修正されたものが、明治後は法律によって

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    riywo 2008/06/27
    そうだね,西洋的価値観への異常な依存はそろそろやめた方がいい.アイデンティティがなさすぎだ.インターネットを手がかりに,新しい世紀を見つめていくべき.
  • 私と秋葉原無差別殺傷犯との共通項。: スポンタのポストモダンから見た『この世界』

    犯人は、教育ママに育てられ、青森県で一番の高校に入学するも、挫折し、期間工となり、社会に対する敵意を持ち、反抗に及んだ。という。 私も自分では厳しいしつけと思っていたが、それは現代の価値観でいえばDVであろう。(そのことは、私にDVをした母親が自らを恥じて、私との交流を経っていることで証明されている。)埼玉県で二番目の高校に入学するも、大学受験に挫折し、映画・映像の道に活路を求め、現在に至っている。 私は、フォークソノミーをネット上に誕生させることで、社会をあるべき民主主義の形に近づけようとしている…。 二つの魂は、一見かけ離れているようで、実は極めて共通項が多いとも思える。 ☆ 我が娘は凡庸な成績の中学生である。 その凡庸さの陰に、過激な教育を強制しなかったわたしたち夫婦の存在があるのかもしれぬ。勿論、頭の質もあるのかもしれぬ。生まれつき足が速い子どもがいるように、生まれつき優秀な頭脳を

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    riywo 2008/06/25
    勉強なんて,強制しないとやらない奴にやらせても意味ないよ,特に高等教育に近づくほど.僕はおもしろくてやったけど,所詮ゲームとしか見てなかったから,卒論前で飽きただけ.
  • PTAの目的は、「保護者の教育」なのか。: スポンタのポストモダンから見た『この世界』

    リクルート社出身の中学校長・藤原和博氏が教育改革をすすめる杉並区和田中学校では、日PTA全国協議会を脱退するという。 このニュースに添えられた日PTA全国協議会の赤田英博会長のコメントに驚かされる。 「PTAは保護者の教育という大きな目的がある。脱退したらその役割はどこが担うのか疑問」 ☆ 私は、PTAとは、Parents teacher's associationであり、教師・学校側と保護者のコミュニケーションを円滑にするための組織・団体だと思っていた。だが、それがいつの間にか、「保護者を教育する」ツールとなったようだ。 私の娘は現在中学2年生である。娘の小学校時代、学校長がPTA役員を使って、保護者対策をするということがあった。学校長の物言いは、上意下達といった感じで高圧的であり、PTAの位置・役割について疑問を持った私だったが、PTAの全国組織のトップがそういうのだから、私の娘が

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    riywo 2008/06/24
    すげぇ,PTAってそんな目的があったのか.愚かすぎるよ,保護者ww
  • 現実と遊離した夢を押し付けることの是非。: スポンタのポストモダンから見た『この世界』

    文部科学省の子どもゆめ基金助成活動に、「DREAM21夢の課外授業」というのがあるらしい。 ボストンレッドソックスの松坂投手は、入団記者会見で、夢と目標は違うと言い切っている。小学生たちの個の特性を勘案せずに、ステレオタイプな夢を押し付ける大人たちの傲慢を子どもたちはどう思っているのだろうか。 ☆ 講師予定者は次のようである。 工藤公康、古田敦也ほかのプロ野球選手。丸山茂樹ほかのプロゴルファー。北沢豪ほかのサッカー選手。 大相撲、プロテニス、バトミントン、騎手の武豊。歌手の浜崎あゆみ、BoA、女子アナウンサー中井美穂…。 彼ら有名人が小学校の授業に講師として参加し、こどもたちに夢を与え、チャレンジ精神を持ってもらう企画だという。 ☆ 私の小学生時代は、少年野球に明け暮れた。中学校でも野球部に入った。その結果、得られたのは、サードの補欠というポジションであり、自分にはプロ野球選手になるという

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    riywo 2008/06/24
    成果が重要なのはそうだけど,成果を自分でどれだけ解釈できるかも重要.他人には成果に見えなくても自分で成果と思えれば十分.あとは好きかどうか.
  • 民主主義のスピード、ガソリン税と年金…。: スポンタのポストモダンから見た『この世界』

    昨日、仕事でであったAさんの話。 彼は言う。ラジオで聞いたんだけどね。税金を払うことで厳しい暮らしをしている人と、貧しく暮らすことで楽な生活を送っている人がいる。と。 曰く、低収入が入居条件の都営住宅の駐車場にベンツが停まっている…。 ☆ 私は、何も、貧乏人はベンツに乗るな。と主張したいのではない。頑張ろうとする人に厳しく、諦めた人に優しい社会・税制度というのも、困りものということである。 たとえば年金制度。いま支払ったからといって、年金が老後の生活を満たしてくれる保障はない。 Bさんは言う。 この間、ある老人は、年金額と生活保護の額を比べて、生活保護の金額の方が高かったので、年金を放棄したよ。 極めて合理的な判断が、老人の周りで行なわれている。勿論、生活保護のための条件を満たすために、しなければならぬことはあるのだろうが、都営住宅でベンツに乗れるのだから、なんとでもなる…。 ☆ つまり、

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    riywo 2008/05/20
    その通りだなぁ.年金を正直に払い続けてきた人たちがとても邪魔.しかも悪意なき邪魔をしている.言っちゃ悪いが,もう無視するしかないでしょ.みんな同じ意見なんかそもそもあり得
  • 昨日(17)は、中2の娘の運動会。: スポンタのポストモダンから見た『この世界』

    読みたい記事へジャンプ! ↓ おすすめ記事リンク(23) ドラマ&映画の評価(424) 公開メール(76) ドラマ・映画・演技(247) 芸術論(96) 音楽(106) スポンタ 論(独自論・存在論・ポストモダン)(455) スポンタと娘…。(子育て論)(599) ネットウォッチ(904) メディアウォッチ(1141) リアルウォッチ(240) アルゴリズムの時代(105) 「サイバージャーナリズム論」(ソフトバンク新書)(23) 集合的コミュニケーション論(30) ウェブメソード(105) 小説・先祖供養(99) グーグルの終わり(3) ポストグーグル(56) 形式知化宣言(4) この国のかたち(15)

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    riywo 2008/05/19
    運動会の現状.むしろ,子どもたちに種目を考えさせた方がおもしろいかもね.提案した競技がどれだけ盛り上がったかと,実際その競技での成績で優劣つけるとかね.
  • 5つの定理と20の論点。: スポンタのポストモダンから見た『この世界』

    現在のIT関連言論で、梅田氏・佐々木氏は双璧であり、彼らの言論を持って、IT潮流を理解する人が多いだろう。 梅田氏:「ウェブ時代 5つの定理 この言葉が未来を切り開く! 」ISBN 4163700005 (2008年、文藝春秋) 佐々木氏:『ネット未来地図-ポスト・グーグル時代 20の論点』(『文春新書』595)、文藝春秋、2007年10月。 だが、梅田氏は、一部の成功者を語ることで、「ITイノベーションがITのコモディティー化(価値減少)につながること」を隠蔽する。一方の佐々木氏は、「フラット革命」なる著作にて、全体と個しか存在せず、多層を形成する複数のレイヤーや部分集合をイメージしない。 複雑化するITを語るとき、彼らの手法がどこまで有効なのか…。私には疑問でならない。 そして、論点や定理の語を使う彼らが自らの言論の脆弱性が自覚できていると確信する。 ☆ ウェブの未来も、日の言論空間

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    riywo 2008/05/19
    メディア力のある人っていうのは自分の情報を分類・統合できる人のことなのかも.マスは排他することで立場を保ってきたけど,これからは自由.その分,分類・統合力が問われる.
  • 中2の娘と「壁のない教室」について考える。: スポンタのポストモダンから見た『この世界』

    テレビで、教室の壁がない小学校の校舎が紹介されていた。設計者曰く、明るいし、誰が何をやっているのかが分かる。こども同士のコミュニケーションが広がる。と、話していた。だが、これこそパノプチコン(監視社会的牢獄)である。 ☆ 校庭は芝であり、吹き抜けがあるホールは明るい。娘は「こんな学校だったらいいな」と、呟いた。だが、私が、「やっぱり体育館の裏は必要だよ」と嘯く。 娘と保育園から一緒の男の子が、登校拒否寸前の状況である。彼は、給の頃にやってきたりする。 もし彼がこんな学校だったら、登校しないに決まっている。全学年注視の中で堂々と遅れて登校することは彼の精神には負担だろう。指摘する娘は納得したようだ。 「私が苛められたり、口げんかになったとき、先生に言ったら、とか、先生に告げ口する人がいる。でも、それって問題の解決にはならないし、もっとこじらせることになる。私は大丈夫だから、もっと時間をかけ

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    riywo 2008/05/13
    理想を求めつつ現実的な解を.おジャ魔女の世界は理想だけど,あれも選択肢の一つ.壁を無くすことで選択肢を減らす行為は,世の流れには逆行してるように思えるね.
  • JUDO家・石井慧氏。彼は日本という精神に涙で対抗した。: スポンタのポストモダンから見た『この世界』

    先日の全日柔道選手権で鈴木氏を下して優勝した石井慧選手のことである。 彼は準決勝、得点差を得るや棟田氏に対して、負けない柔道をした。決勝では、開始1分四十秒で圧倒的な得点差を得ると、一を求める柔道を放棄した。鈴木氏を不用意に攻めれば、天才的な刈技が待っている。大逆転される可能性は高い。石井氏が安全運転に出たのは当然である。 だが、一を狙わない石井氏を、NHKテレビ解説者の篠原氏は、鋭く批判する。優勝後、責めなかった自分を恥、号泣する石井氏に、私は彼に何度も言っているのに、いつも同じ言い訳で泣いてばかり。これでは変わりませんよ。 私は、一を求めて高井選手に敗れた井上選手と、オリンピックで審判の不可解な判定で敗れた篠原氏のことを思い出しながら、不条理な気分になった。 ☆ 私はかつて、古森義久氏のブログにコメントを寄せた。 精神柔道の復権を目指す山下康裕氏が世界柔道の役職の選挙に破れた

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    riywo 2008/05/06
    精神柔道でどうやって世界大会やるんだろう?一本を追求するのが美しいんじゃなくて,美しい一本を求めてるだけ.本当に一本を追求するならこそ石井の柔道が正しい.
  • パラダイムシフトの前提は、インターネットの普及である。: スポンタのポストモダンから見た『この世界』

    ポストモダンの延長線上の歴史的な必然としてパラダイムシフトがあると、私は思っていない。とはいえ、ポストモダンが提起した脱構築がパラダイムシフトという現象であることは事実だと思う。はっきりいえば、フランスの学者たちが、日にパラダイムシフト(ポストモダンの萌芽)を見るとしても、日人には日人的な理由と原因があって、パラダイムが変化していく。そういうこと。 では、何が原因で日がパラダイムシフトに陥っていくかといえば、それは、インターネットの普及である。 世界中が「みんなが思っていることに従う」システムを奉じるならば、それは民主主義ということになる。そして、ラルフ・ネーダーが「情報は民主主義の通貨である」という至言を否定しないならば、情報が偏在しているところは、民主主義的ではない。ということになる。 そして、貨幣は偏在は貧富を生むけれど、かといって貨幣をばら撒けば、人々は労働をしなくなり、世

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    riywo 2008/05/06
    情報をばら撒いたらそれなりに弊害はあると思う.ばら撒くというより自由に取りにいける様にすること.後はプライバシーとの兼ね合いだろうな.国家や寡占企業は邪魔だけするなと.
  • 日本がポストモダンの実験室な訳。複数の個により漂う主観。: スポンタのポストモダンから見た『この世界』

    フランスの社会学者、M・マフェゾリ氏は、ヨーロッパは一時期「近代及び個の実験室」だったというように、現代の日は、「ポストモダンの実験室」として重要だ。と述べている。 ポストモダンとは、文字通り「近代の後」であり、脱構築とはギリシャ・ローマまで戻って、社会構造を脱することを言う。そう考えれば、何故、日がポストモダンの実験室なのか。分かりやすい。 ☆ ギリシャとは「思索する個」の故郷であり、ローマとは「一神教」の起源である。 一方、日が現代を脱構築して帰るべき故郷は、江戸時代以前である。明治以降、西欧思想・文化が日にやってきたが、多神教的多元論を崩すには至らなかった。そして、日は先進国では唯一の多神教的文化を有する。ここにおいて、日が「ポストモダンの実験室」たりうる条件を圧倒的に持っている。 ☆ パリの日文化に関するシンポジウムでは、「情報社会における自己の新しい構築」とか、「弁

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    riywo 2008/05/02
    あーちょっと分かった.個じゃないということね.まるで「幼年期の終わり」の進化の様なものを目指すのか.もうちょっとセグメント分けされたものなのか.「みんな感じる故にみんなあ
  • 構造構成主義とスポンタの21世紀のエピステーメ(ウェブメソード)の乖離。: スポンタのポストモダンから見た『この世界』

    言論は対照されることによって、客観的に論じられることが可能である。 ウェブ時代、情報は対照され、価値の重要度を付けられることによって、社会的な存在となりうる。 (ウェブメソード) ☆ はてなブックマークにて、ウェブメソードが構造構成主義だ。と考える人がいるので、構造構成主義について、ちょっと調べてみた。 構造構成主義。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A7%8B%E9%80%A0%E6%A7%8B%E6%88%90%E4%B8%BB%E7%BE%A9 構造構成主義(こうぞうこうせいしゅぎ、英語表記:structural-constructivism)とは、人間科学における信念対立を超克し、建設的コラボレーションを促進するために西條剛央によって体系化された最先端の現代思想である。構造構成主義の思想的源流には、フッサール?竹田青嗣の現象学、ソシュールの言語学

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    riywo 2008/05/02
    コメントに反応して頂いた.ソシュールは構造構成主義で結構分かったけど,ニーチェもフーコーも全然知らない.勉強してみればウェブメソードが分かるか.どの本買おうかな.
  • フランス人曰く、「日本はポストモダンの実験室」である。: スポンタのポストモダンから見た『この世界』

    読売新聞(4/29)のコラムにて、3月15日にパリ日文化会館でシンポジウム「マンガ60年後……」があり、東浩紀氏がパネリストとして招かれ、アニメ・マンガ・ゲーム・コスプレなどへのヨーロッパでの熱狂から、オタク文化、そして、東氏が紡いでいる「オタク文化とポストモダンの動物化」へと展開していき、貴重なものとして観衆に受け入れられたと、カンタン・コリーヌ氏は書いている。 ☆ 東氏は、著書のタイトルで講演を行い、講演後、「情報社会における自己の新しい構築」、「弁証法的に構成された西洋型の人間像ではない新たな人間は」などをテーマにディスカッションが行なわれた。という。 不肖・スポンタがディスカッションの場に存在することができなかったのは、無念である。 情報社会における個というテーマにおいて、実名・匿名論争は行なわれたのか…。結論が出ている匿名論争において、既存マスコミが実名に拘泥していることを世界

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    riywo 2008/05/02
    おたくは非エスタブリッシュメントなのかぁ.劇団ひとりの件は納得.実際パリで何が起こってるのか分かってないのは問題だな.勉強しないといかんなぁ.
  • 題名のない音楽界の新司会者・佐渡裕氏批判。: スポンタのポストモダンから見た『この世界』

    題名のない音楽会は、黛敏郎、羽田健太郎氏につづいて、佐渡裕氏を新司会者に迎えた。(説教好きな俳優もいたが、それは論外、あえて触れない。) http://www.tv-asahi.co.jp/daimei/index.html 私は佐渡氏のファンであり、彼が吹奏楽連盟に対して持つ感情は、私と同様であると確信している。しかし、それでも尚、指揮者である佐渡裕氏が考えている音楽について、疑問を持つ。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E6%B8%A1%E8%A3%95 ☆ 佐渡氏は、西洋音楽に二つのジャンルが存在することを理解していない。これは、明治時代からつづく日音楽における不備であり、少年期からバーンスタインを奉じてきた彼も、ある意味師匠と同じ通弊に甘んじている。 日音楽教育の不備は、音楽の構成要素をメロディー偏重にしたことである。そして、音

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    riywo 2008/04/29
    これは興味深い.そういう視点で西洋音楽を見たことなかったな.僕はどっちが好きかと言われれば,たぶんジャズ的な方だと思うけど,残念ながら自分でジャズできるほどの力がないな.
  • プロフと金属バット:使わぬ人に副作用・弊害を語る資格はない。: スポンタのポストモダンから見た『この世界』

    金属バットによる障害事件が起きたという。プロフが凶器になったのではない。ならば、プロフの社会的悪性を論議する前に、金属バットの悪性について論じるべきである。 どのような時代にあっても、コミュニケーションは善であり、ディスコミュニケーションは悪である。(ウェブメソード)昨夜のニュースゼロで、長島一茂氏は、「私はアナログ世代で、分からないが…」と、前置きをつけながら、プロフの社会的な弊害を指摘していた。使ったことがない人、分からない人に発言権はない。否、少なくとも批判権はない。 若者たちのストレスの発散である喧嘩が、プロフをきっかけに、金属バットをつかって行なわれた。ただし、プロフの利用人口は1000万人であり、アマチュア野球で金属バットを使う人もそれ以上に多い。ならば、金属バットの禁止を呼びかけたり、プロフの禁止を呼びかけることは無意味である。金属バットもプロフも他者を殺傷することを目的に作

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    riywo 2008/04/24
    これは良い.体験のない人に批判権はない.ただ,仲良くなる必要もないんだよね.仲良くない人は無視すればいいのに無理にムラにいようとするからこんなことになる.