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三重と交通に関するshig-iのブックマーク (4)

  • 日本最古級の貨車、解体の危機を乗り越え里帰り 三重・いなべ市「貨物鉄道博物館」に収蔵(1/2ページ)

    明治時代に関西(かんせい)鉄道四日市工場で作られた鉄製の有蓋貨車が、三重県いなべ市大安町のNPO法人「貨物鉄道博物館」に収蔵された。茨城県の関東鉄道竜ケ崎駅の車庫で長年倉庫として使われ、8月末に解体予定だったところ、「日最古級の貴重な車両を保存したい」と強く願う人々の思いと偶然が1世紀ぶりの里帰りを実現した。 「戻すなら今だ」 同NPOの理事を務める三重県四日市市八千代台の建築士、南野哲志さん(46)は、以前からこの貨車の存在に注目していたが、「いつどうなるかまでは知らなかった」。今年8月初め、市立博物館(同市安島)で開かれていた企画展「メイド・イン・ヨッカイチ」で偶然、この貨車の写真を見つけた。説明文には「8月末に解体予定」と書かれていた。 「三重に戻すなら今だ」。NPOを通して正式に関東鉄道へ譲渡を申し出て、快諾された。NPOのスタッフが竜ケ崎駅へ調査に赴くなど奔走し9月下旬、茨城か

    日本最古級の貨車、解体の危機を乗り越え里帰り 三重・いなべ市「貨物鉄道博物館」に収蔵(1/2ページ)
  • 伊勢の古代遺跡と昼河古墳を訪ねて第1回報告の条 - yaaさんの宮都研究

    考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。 29日は朝から伊勢市に出かけた。 大学院の学生が年度は二人所属しているのだが、彼らの受講している授業に「三重の文化と社会」というのがある。大学院は人文社会科学研究科というのだが、そこには学部の文化学科系の地域文化論専攻と法律経済学科系の社会科学専攻という2つの専攻がある。普通は共に学ぶことのない大学院で、両専攻の学生が、県内のある自治体を舞台にそれぞれのテーマで研究を進め、研究成果を自治体職員や市民に紹介するというユニークな授業である。年度は伊勢市が舞台となった。 そこで考古学専攻の我が二人の学生がそれぞれの関心に従って伊勢市の関連する遺跡を見て回ろうということになったのである。その第1回を実施したのである。 一人のテーマが「伊勢国の交通路~度会郡の駅家を中心に~」、

    伊勢の古代遺跡と昼河古墳を訪ねて第1回報告の条 - yaaさんの宮都研究
  • 鬼の霍乱・どこまでも不肖の息子の条 - yaaさんの宮都研究

    考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。 「一周忌 果たせぬ息子 床にあり」 昨日から急激に体調がおかしくなり、今日は歩くのもやっとという状態。藪医者はインフルエンザじゃないというのですが、発熱、悪寒、関節の痛み、体のだるさ、嘔吐の繰り返し、どう見てもインフルエンザ。朝からずっと寝てました。お蔭で少し楽になりました。というより、ずっと寝ているととても足腰が痛くて、寝てられないので、姿勢の変換も兼ねて少しパソコンを眺めてます。 実は昨日は母の1周忌でした。親戚の皆さんにお集まり頂いたのに肝心の施主がダウン。久しぶりに会える従姉妹もいて、とても楽しみにしていたのですが、津からの移動の電車の中で吐くばかり。といっても出るものがないので、胃液ばかり。そのまま医者に直行してドクターストップ。情けない、相変わらずの不肖の息子

    鬼の霍乱・どこまでも不肖の息子の条 - yaaさんの宮都研究
    shig-i
    shig-i 2009/02/15
    「鈴鹿関第2次発掘調査成果のまとめ」あり 
  • 中日新聞:鈴鹿関の西城壁は全長700メートル以上 亀山市教委が発掘調査:三重(CHUNICHI Web)

    トップ > 三重 > 2月15日の記事一覧 > 記事 【三重】 鈴鹿関の西城壁は全長700メートル以上 亀山市教委が発掘調査 2009年2月15日 新たに見つかった鈴鹿関西城壁の遺構。塀の屋根に使われたとみられる大量の瓦も出土した=亀山市関町新所で 古代の関所「律令(りつりょう)三関」の一つで、亀山市にある鈴鹿関(すずかのせき)の西城壁は全長700メートル以上の規模だったことが市教委の発掘調査で分かった。調査を監修する山中章・三重大教授(考古学)は「鈴鹿関が日最大の関である可能性が高まった」と話している。(井波和夫) 西城壁の遺構はこれまで、同市関町新所の「観音山」のすそで確認されていた。市教委が新たに先月から、観音山の南約500メートルにある「城山」西側の約170平方メートルを調べたところ、同様に土塁状になっている遺構が見つかった。 山中教授によると、観音山の遺構の北端と

    shig-i
    shig-i 2009/02/15
    「西城壁は「築地塀」という瓦ぶきの壮大な土塀だったとみられており」
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