天皇の代わりに伊勢神宮に仕えた皇女「斎王」が暮らしていた明和町の国史跡「斎宮跡」で、飛鳥時代の初期斎宮の門跡の遺構が、県立斎宮歴史博物館の2019年度の調査で見つかった。18年度に斎宮の中心施設を囲んでいたとみられる塀跡などが見つかっており、飛鳥時代に実在した初代斎王の宮殿が一帯にあった可能性がさらに高まった。 一八年度に確認された塀跡の南の並びに六本の柱跡が確認された。塀跡の柱穴の間隔は二・一~二・四メートルだが、今回の柱跡の間隔は幅三メートルと広く、その柱跡の両脇に各二本の控え柱とみられる細い柱跡もあり、計六本の柱でできた「四脚門」があったとみられるという。門の奥の左右に同規模の二棟の掘立柱建物跡が広がっていることも分かった。 掘立柱建物跡は一八年度に部分的に確認されていたが、一周する跡が見つかり、建物は南北十四メートル、東西五メートルの大きさと判明。今回、もう一棟の一部も見つかった。