タグ

関連タグで絞り込む (2)

タグの絞り込みを解除

三重と7cに関するshig-iのブックマーク (4)

  • 「斎宮跡」で飛鳥時代の門跡発見 26日に現地説明会:三重:中日新聞(CHUNICHI Web)

    天皇の代わりに伊勢神宮に仕えた皇女「斎王」が暮らしていた明和町の国史跡「斎宮跡」で、飛鳥時代の初期斎宮の門跡の遺構が、県立斎宮歴史博物館の2019年度の調査で見つかった。18年度に斎宮の中心施設を囲んでいたとみられる塀跡などが見つかっており、飛鳥時代に実在した初代斎王の宮殿が一帯にあった可能性がさらに高まった。 一八年度に確認された塀跡の南の並びに六の柱跡が確認された。塀跡の柱穴の間隔は二・一~二・四メートルだが、今回の柱跡の間隔は幅三メートルと広く、その柱跡の両脇に各二の控え柱とみられる細い柱跡もあり、計六の柱でできた「四脚門」があったとみられるという。門の奥の左右に同規模の二棟の掘立柱建物跡が広がっていることも分かった。 掘立柱建物跡は一八年度に部分的に確認されていたが、一周する跡が見つかり、建物は南北十四メートル、東西五メートルの大きさと判明。今回、もう一棟の一部も見つかった。

    「斎宮跡」で飛鳥時代の門跡発見 26日に現地説明会:三重:中日新聞(CHUNICHI Web)
  • 飛鳥時代の初期斎宮、建物跡発見 日本書紀の記述裏付け:朝日新聞デジタル

    伊勢神宮に仕えた未婚の女性皇族「斎王」の宮殿があったとされる国の史跡・斎宮(さいくう)跡(三重県明和町)で、飛鳥時代の初期斎宮の中心施設を囲む塀跡などが見つかった。三重県立斎宮歴史博物館が6日、発表した。同時期に、天武天皇のもとで神宮の祭式が整えられ、祭祀(さいし)のため、斎王を伊勢神宮に派遣したという「日書紀」の記述を裏付ける重要な発見だ。 博物館の調査で昨年8月、宮殿の内外を区画するために建てられたとみられる東西約8メートル、南北約10メートルの塀跡が見つかった。過去の調査とつきあわせた結果、塀で囲まれた区画は東西約41メートル、南北55メートル以上に及ぶと考えられる。さらに塀跡の内側で掘立柱建物跡1棟、区画外の西側で、柱の直径約40センチ、柱同士の間隔が約2メートルの大型を含む倉庫跡15棟が確認された。 日書紀には、大海人皇子(おおあまのみこ、後の天武天皇)が壬申の乱(672年)

    飛鳥時代の初期斎宮、建物跡発見 日本書紀の記述裏付け:朝日新聞デジタル
  • 天武天皇の娘「初代斎王」宮殿か、建物跡を発見(読売新聞) - Yahoo!ニュース

  • 志摩の塚穴古墳 高度な技術使い構築 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    志摩市教育委員会は19日、同市阿児町志島の市指定史跡「志島古墳群4号墳(塚穴古墳)」の発掘調査の結果、古墳の構築方法が具体的に明らかになったと発表した。 塚穴古墳はこれまでの調査から、7世紀初めに志摩国を治めていた国造(くにのみやっこ)級の有力者の墓とされている。石室内のひつぎを納める玄室は、長さ7メートル70、幅2メートル20、高さ2メートル40と、県内では東海地区最大級の高倉山古墳(伊勢市)に次ぐ大きさ。 同古墳は太平洋に面した崖の上にあり、海蝕(かいしょく)で土を盛った墳丘が失われつつある。護岸工事などを行うのは難しいことから、市教委は墳丘が失われ、内部の石室が崩落する前に記録・保存を行うことを決定。2012年度から3か年計画で発掘調査を行っている。 最終年度の今年度は、古墳の北側と西側で、墳丘の断面を観察する断割(たちわり)調査を実施。その結果、石室は元の表土から約2メートル掘って

    志摩の塚穴古墳 高度な技術使い構築 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
  • 1