明和町の斎宮(さいくう)跡(国史跡)と四日市市の久留倍官衙(くるべかんが)遺跡(同)の両古代遺跡の関係をテーマにしたシンポジウム「斎宮と壬申の乱」が3日、明和町のさいくう平安の杜・西脇殿で開催された。古代の役所のほとんどが南を向くなか、久留倍官衙の建物群が東を向く謎について、踏み込んだ議論がなされた。 久留倍官衙遺跡は四日市市大矢知町の伊勢湾を望む丘陵上にあり、奈良時代を中心とする多数の掘立柱建物跡が発見されている。古代伊勢国の役所「朝明(あさけ)郡衙説」や東海道に面する施設「朝明駅家(うまや)説」がある。 シンポジウムでは四日市市教委社会教育課の堀越光信氏が、大海人(おおあま)皇子と(天武天皇)と大友皇子が皇位継承をめぐって争った壬申(じんしん)の乱(672年)で、大海人皇子が朝明郡で太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ)を望拝したことが日本書紀に記されていることに着目。役所が東を向く
考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。 29日は朝から伊勢市に出かけた。 大学院の学生が本年度は二人所属しているのだが、彼らの受講している授業に「三重の文化と社会」というのがある。大学院は人文社会科学研究科というのだが、そこには学部の文化学科系の地域文化論専攻と法律経済学科系の社会科学専攻という2つの専攻がある。普通は共に学ぶことのない大学院で、両専攻の学生が、県内のある自治体を舞台にそれぞれのテーマで研究を進め、研究成果を自治体職員や市民に紹介するというユニークな授業である。本年度は伊勢市が舞台となった。 そこで考古学専攻の我が二人の学生がそれぞれの関心に従って伊勢市の関連する遺跡を見て回ろうということになったのである。その第1回を実施したのである。 一人のテーマが「伊勢国の交通路~度会郡の駅家を中心に~」、
考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。 「一周忌 果たせぬ息子 床にあり」 昨日から急激に体調がおかしくなり、今日は歩くのもやっとという状態。藪医者はインフルエンザじゃないというのですが、発熱、悪寒、関節の痛み、体のだるさ、嘔吐の繰り返し、どう見てもインフルエンザ。朝からずっと寝てました。お蔭で少し楽になりました。というより、ずっと寝ているととても足腰が痛くて、寝てられないので、姿勢の変換も兼ねて少しパソコンを眺めてます。 実は昨日は母の1周忌でした。親戚の皆さんにお集まり頂いたのに肝心の施主がダウン。久しぶりに会える従姉妹もいて、とても楽しみにしていたのですが、津からの移動の電車の中で吐くばかり。といっても出るものがないので、胃液ばかり。そのまま医者に直行してドクターストップ。情けない、相変わらずの不肖の息子
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