愚劣の一言に尽きるw 私自身は、意識や深層心理はともかくとして、少なくとも10代のうちにこうした論文にアクセスすることができた。それは、「<私>を見ている男性」を見る、ための視座を獲得できたということだ。私は「見られる」という女性の位置にありながら、その視線に抵抗したり、利用したりしようとする、女性の置かれた位置を俯瞰しようとしてきた。要するに、見られながら、見る主体を確立してきたのである。 いつ読んでも笑えるのだが、こいつの自分語りは常に「私は〜である、えへん。」という形を取るのだw 上記の文章も同じで、「どうだ、凄いだろう」と言わんばかりに「私は論文を読んだ」、「私は獲得できた」、「私は俯瞰した」、「私は確立した」の繰り返しであるw 直前に「ミニスカートの記号的意味」に関するテキストをふたつも紹介しておきながら、書かれているのはその内容についてではなく、徹頭徹尾自分のことばーーーーっか