タグ

医療と生権力に関するsillyfishのブックマーク (2)

  • 自宅療養で人々を見殺しにすると決めた菅首相

    <菅政権は全力で国民の生命を救おうとはしていない。何もしなくても「政権は安泰」と高を括っているからだ> 8月2日、政府は新型コロナウイルスで、「中等症」であっても「症状が軽い」あるいは「重症化リスクの少ない」患者に関しては、「自宅療養」を可とする方針を出した。これまでは原則的にコロナ患者は入院、無症状や軽症の場合は宿泊施設に入るという方針で進めていたが、その方針を転換したかたちだ。 オリンピックの開会式を含む7月の4連休以降、日全体に渡って新型コロナウイルスの急増がみられ、特に東京では一日4000人を越える感染者が出ている。すでに小池百合子都知事は比較的軽症の独身者に対して「自宅を病床のようなかたちで」と「自宅療養」を勧めていた。また、今年春に大阪で感染者が急増した際、入院もホテルなどの施設に入ることもできず、自宅でほぼ放置された患者が続出した。大阪の死者数の多さは、それが一因だと言われ

    自宅療養で人々を見殺しにすると決めた菅首相
    sillyfish
    sillyfish 2021/08/05
    これを読んで最初に抱いた感想が「"死の中へ廃棄する権力"ってNGワードなんだ?」という大層のん気なものだったので、たぶん私の心も何かから逃避しはじめている(人口に比して医療体制が貧弱な首都近郊民)
  • 人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?/コロナパニックについて考える|森田 洋之

    先日ある友人からこんな言葉を聞いた。 「人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?」 一人の医師としてこの言葉を聞いたとき僕はすべての思考がストップしてしまった。友人との会話中でなければ泣いてしまったかもしれない。 そうなのだ。不意に思いを言い当てられて自制が出来なくなるくらいには、僕はこの国の医療に対して思い悩んでいたのだ。僕は、僕がそんなに思いつめていたことに我ながらびっくりした。 おそらくその言葉は、僕がそれまでなんとなく感じていた「この国の国民と医療の世界に蔓延するモヤモヤ」をズバリと言い当てたのだろう。だからこそこんなにも僕の心をかき乱したのだ。 今回はそのモヤッとした空気感を自分なりになんとか言葉にしてみようと思う。自分の気持や空気感を描写すると言う作業に慣れていない僕にとって、これはかなり困難な作業になりそうだ。拙い表現になるとは思うが、しばしお付き合いいただけると幸いである。

    人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?/コロナパニックについて考える|森田 洋之
    sillyfish
    sillyfish 2020/04/17
    同じ「緊急事態」の名で、一方では「自発的」でも「終末期」でもない呼吸器差し控え・取り外し基準が策定されようともしている。「生かす」のと「死に廃棄する」のは同じ権力の2つの顔、抵抗の方向を見誤らないで
  • 1