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ブックマーク / www.kahoku.co.jp (7)

  • 「なみえ焼そば」カップ麺発売 6日、東北限定 | 河北新報オンラインニュース

    日清品は、福島県浪江町の名物「なみえ焼(やき)そば」のカップ麺を6日から東北地区限定で販売する。  地元の商工会青年会らによる「浪江焼麺太国」が2008年から普及に取り組んできたなみえ焼そばは、昨年の「第8回B-1グランプリ」で1位を獲得。18、19日に郡山市でことしのグランプリが開催されるのを機に発売する。  焼麺太国の監修を受け、極太麺と豚肉、モヤシのシンプルな具材、濃厚ソースなどの特長をカップ焼きそばで再現した。  希望小売価格170円(税別)。売り上げの一部は焼麺太国と、「B-1」主催団体「愛Bリーグ」を通じて地域振興に役立てられる。 2014年10月04日土曜日

    「なみえ焼そば」カップ麺発売 6日、東北限定 | 河北新報オンラインニュース
  • 河北新報 東北のニュース/決意の田植え 旧警戒区域、田村・都路で3年ぶり

    決意の田植え 旧警戒区域、田村・都路で3年ぶり 旧警戒区域で事故後初の田植えをする坪井さん(左)と祐一さん=18日、田村市都路地区 東京電力福島第1原発事故による旧警戒区域、福島県田村市都路地区で18日、田植えが行われた。旧警戒区域内での出荷を前提にした田植えは事故後初めて。田植えをした農家は3年ぶりの再開を喜びながらも、「秋まで通い続けられるか不安」と話した。  都路町地区は第1原発から約15キロ。事故後、立ち入り禁止の警戒区域となり、昨年4月の再編で避難指示解除準備区域に指定された。日中は自由に立ち入りできるが、宿泊は認められていない。  水田は除染が終わり、イネの放射性セシウム吸収を抑えるカリウム肥料をまいた。出荷前には全袋検査を行う。  今年は3軒の農家が計6ヘクタールの水田に作付けする。このうち坪井久夫さん(62)は、約2.5ヘクタールに「ひとめぼれ」など3品種を植える予定だ。長

    sirocco
    sirocco 2013/05/20
    放射線のない米が生産され、風評被害なく販売できますように。
  • 河北新報ニュース 届ける/ここから離れない、土は子どもだから/農業・大河原多津子さん=田村市

    東京都で開かれた青空市に生産者として招かれた大河原さん。客と触れ合い、福島の野菜の安全性を訴える=11月23日、世田谷区 トマト、12ベクレル。顧客の3分の1が離れた。  いろりの灰、12000ベクレル。炉を閉じた。  放射能濃度を表す数字が生活を道連れにする。  農家に嫁いで27年。夫(56)と二人三脚で無農薬、化学肥料ゼロの野菜を作ってきた。  有機栽培の野菜は独特の甘さがあっておいしい。不格好で虫いもある欠点を補って余りある。「べれば違いが絶対分かる」と自信を持つ。  客は郡山市などの消費者グループ会員の約50世帯。25年間、トマトやタマネギ、ジャガイモなどを週1回ずつ届けた。  福島第1原発事故の約1カ月後の昨年4月、市役所から耕作許可が出た。種をまき、3カ月後に最初の収穫を迎えた。  トマトの放射能を測ってもらった。1キログラム当たり12ベクレル。当時の国の暫定規制値500ベ

    sirocco
    sirocco 2012/12/05
    実家近くの方でご主人のお姉さんとは小学校、中学校、高校が同じでした。家の前に畑があるんですけれども、土は子どもの意味が分かります。家の前の畑はよその畑とは出来る作物がまるっきり違います。(続く)
  • 河北新報 東北のニュース/「避難先が便利」 福島・川内村の住民、帰村足踏み

    「避難先が便利」 川内村の住民、帰村足踏み 福島県川内村の避難者が暮らす郡山市の仮設住宅。周辺には店や娯楽施設、病院が充実し、都市生活の利便性に富んでいる 福島第1原発事故で全村避難した福島県川内村の住民の帰村が足踏みしている。一部を除いて避難区域指定が解けて帰宅可能になったが、帰村率は8日現在12.6%にとどまり、多くの村民は郡山市など都市機能の充実する自治体で避難生活を続ける。「スーパーや病院が近くて便利。元の生活に戻れない」。都市生活の利便性に慣れた村民心理が帰村の進まない一因になっている。  主婦遠藤和泉さん(27)は夫(27)、長男(6)、長女(1)と川内村から避難し、郡山市の仮設住宅で暮らす。「郡山市は店が多くあり、買い物に不自由しない。娯楽施設もあって楽しめる」と話す。 ◎ 郡山で進学  村にはスーパーや大型店がなく、原発事故前は車で20~30分かけて隣の富岡町に買い物に出掛

  • 河北新報 東北のニュース/「原発事故学ぶ拠点に」福島・川内の西巻さん、資料館を開設

    「原発事故学ぶ拠点に」福島・川内の西巻さん、資料館を開設 開設した「知ろう館」で展示品のを読む西巻さん 福島第1原発事故で避難区域だった福島県川内村の雑誌編集者西巻裕さん(55)が原発事故資料館を村内の旧小学校に開いた。館名は「感がえる知ろう館」で、目に見えない放射能を実感して事故を考えてもらいたい気持ちを込めた。地域の協力と来館者の支援金で運営し、原発事故を学ぶ拠点にする。  知ろう館は2004年に閉校した同村高田島地区の川内三小の音楽室を利用した。館名は村がモリアオガエルの生息地として知られることにもちなんでいる。  約50平方メートルの部屋に事故後の村と避難所の写真、関連書籍、事故処理作業員の防護服やマスク、線量計を展示している。作業員が事故直後に原発構内で支給されたレトルト品もある。  展示品は西巻さんが集めたほか、村内外の友人が提供してくれた。徐々に増やす考えで、遠藤雄幸村長

    sirocco
    sirocco 2012/09/21
    西巻さんの記事が出ている。”「原発事故学ぶ拠点に」福島・川内の西巻さん、資料館を開設”
  • 河北新報ニュース (1)レベル7/25年後の福島なのか 生活消えた街、既視感

    大事故を起こしたチェルノブイリ原発4号機。手前は記念碑で見学者が通常最も近づける300メートルの地点にある=ウクライナ北部 <3500人事故処理>  2012年7月、ウクライナ北部。鉛色の巨大な構造物は薄曇りの空と溶け合って立っていた。チェルノブイリ原発4号機。1986年4月に世界最大級の原子力事故を起こした。  初めての場所なのに既視感が強い。テレビ、新聞で見た世界史の現場だからか。それだけが理由ではない。私が福島から来たせいだ。  直方体の建屋が幾つも連結した姿、大きな煙突、立ち入り禁止区域と検問、生活が消えた周辺の街。似た風景を昨年3月以降、何度も見た。状況の一つ一つに、8000キロ離れた福島第1原発と被災地が重なる。  原発構内の人影は案外多い。運転時は7000人が働き、現在も3500人が事故処理に当たる。談笑する半袖の男性や、芝刈り機を動かす女性。表情に26年前の大惨事の影は

    sirocco
    sirocco 2012/08/28
    二つの被ばく地-チェルノブイリと福島(1)レベル7/25年後の福島なのか 生活消えた街、既視感
  • 河北新報 東北のニュース/町外避難者「浪江帰還望まず」3割 子育て世代で顕著

    町外避難者「浪江帰還望まず」3割 子育て世代で顕著 福島第1原発事故で避難区域に指定された福島県浪江町の町民の3分の1が「町に戻らない」と考えていることが、町外に避難している町民を対象に町が行ったアンケートで分かった。放射能汚染で生活環境を取り戻せないと見越す人が多いためだ。町は帰還の姿勢を崩していないが、町民の3人に1人は帰還を望まない結果が示され、町の存続に影を落としている。(伊藤寿行、菊地弘志) <放射線が心配>  浪江町に戻る意思の有無を尋ねる設問で(1)放射線量が下がり、生活基盤が整備される(2)他の町民がある程度戻る―の2条件を満たしても「戻らない」と答えた人が32.9%に上った。2条件が整ったら戻るとの回答は43.5%、前者の条件をクリアしたら戻るとの答えは15.7%だった。  戻らないとの回答者の中で、18歳未満の子のいる人(44.4%)が子のいない人(30.1%)を上回り

    sirocco
    sirocco 2012/01/20
    農業は普通でも大変なのに放射能の被害、風評被害がある。商店などはお客さんがいないだろうし・・・。
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