ブックマーク / benli.typepad.com (4)

  • 日本ダービーの主役は「馬」

    参議院総務委員会での柏村武昭議員(自民党)の質疑が一部で話題となっています。 例えば、 ある有名なソプラノ歌手が君が代を独唱いたしました。そのとき、民間放送の各局は、翻々と翻る日の丸、あるいは一生懸命観客席で歌っている皆さんの顔、青空、そういったものを映しておりました。NHKはその君が代をバックに何を映していたかというと、何と馬のしりを映しておりました。これは私はびっくりしまして、すぐに決算委員会で質問をしました。そうすると、皆さんの答えは、帰って検討してお答えをいたします。次の日にいらっしゃいました。あれはたまたまそういう絵を撮っておりまして意図的なものではありません、委員の指摘は大変遺憾であります。遺憾なのは私であります。やっぱりこれは、ソプラノ歌手が堂々と君が代を歌っているんであれば、やっぱりどういう顔をして皆さんが一緒に観客席で歌っているか、日の丸が青空に翻る絵がどんなに美しいか、

    ssuguru
    ssuguru 2006/06/25
    言われてみればそうだ(笑)
  • 自称「理詰め」

    コメントスクラム等を論ずると、「理詰めならいいのか」と繰り返し言ってくる方がいます。 これに対しては、この方の仰っている「理詰めのコメント」というのが今ひとつイメージとして涌かないので、何とも答えようがありません。というのも「理詰め」というのは、対話の一方当事者によるその独自の「理」の他方当事者に対する押しつけにすぎない場合や、単なる揚げ足取りによる、他方当事者の言説の撤回・変更の押しつけにすぎない場合が多々あるからです(「理詰めの取調べ」がしばしば「自白の任意性を疑わせるもの」の一つとして意識されるのは、そのためです。)。 さらにいうと、「理詰めの議論」というのが意味を持つのは、「理論的に追いつめられた場合以外はきっちり反論してくるはずだ」という環境がある場合(例えば、被疑者が取り調べをうけている状態や、証人が尋問を受けている状態等)に限られるのであって、「理論的に追いつめられた場合以外

    ssuguru
    ssuguru 2006/06/23
    「理詰めの取調べ」が「自白の任意性を疑わせるもの」の一つとして挙げられる理由。学部でやったときにはピンとこなかった。
  • ネットを利用したプライバシー権侵害の一実例

    あるブロガーがどのような宗教に過去帰依していたのかということは、人が積極的にそれを開示しているのでなければ、周囲がとやかく言うべきものではありません。特に、その宗教に帰依していたということが社会的にネガティブに評価されやすい場合はなおさらです。まして、そのブロガーとしての活躍にけちをつけるために、そのブロガーが過去に帰依していた宗教を明らかにするというのは、最低の行いといえます。 そういう意味では、ある宗教に過去帰依していた者に対して、社会復帰のためのハードルを勝手に高く設定し、そのハードルを満たさない者の過去を暴き立てる滝太郎弁護士のやっていることは大いに非難されるべきことだと言えます。彼のような存在は、その宗教の信者がその宗教団体を離れて自立して生きていくことを妨げ、過去にその宗教の信者だった者を再びその宗教団体に戻らざるを得ないところに追いつめる役にしか立たないことでしょう。 結

    ssuguru
    ssuguru 2006/03/13
    プライバシーと表現の自由。匿名の限界。
  • 喧嘩両成敗の誕生

    ssuguru
    ssuguru 2006/02/19
    喧嘩両成敗は自力救済禁止の要求に由来しているという説。
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