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内田樹に関するsubjunctive_pastのブックマーク (4)

  • 格差社会論(再録) (内田樹の研究室)

    今回の秋葉原の事件に「格差社会下層」に自分を「格付け」するという「物語」が深く関与していることにはどなたも異論がないだろう。 私は以前そのような「物語」が瀰漫することに、とりわけそれが「政治的に正しい」説明原理として称揚されることについてその危険を指摘したことがある。 『神奈川大学評論』という大学紀要に寄稿したものであるので、大学関係者以外には読まれた方はほとんどおられないであろうから、ここに再録する。 2007年の9月に書かれたものである。 この論考のせいで私は「保守系リベラル」「中道右派」とカテゴライズされることになった(ウィキペディアにはそう書いてある)。 ここに書かれたことのどこが「中道」なのか、どこが「保守」なのか、私にはよくわからないが。 善意の格差論のもたらす害について 内田樹 「格差」という語はそれ自体では価値中立的なものであるが、現在のメディアではこの語は中立的なものとし

  • Simple man simple dream

    updated 23 Oct 1999 Simple man simple dream Selected BAKA essays 厳選大バカ雑文集・目次

  • X氏の生活と意見(内田樹の研究室)

    クリエイティヴ・ライティングの授業で先々週の宿題に学生たちに「・・・さんの生活と意見」というタイトルを課した。 さきに高橋源一郎さんの『タカハシさんの生活と意見』の一部を読み聞かせ、これが『伊藤整氏の生活と意見』、『得能五郎の生活と意見』、『江分利満氏の優雅な生活』といった先行作品を踏まえたもので、さらには遠くロレンス・スターンの『トリストラム・シャンディの生活と意見』にまで遡る伝統的なタイトリングである、という話をしたのである。 『トリストラム・シャンディ』について日で最初に言及したのはおそらく夏目漱石である。 漱石はこの奇書についてこう書いている。 「今はむかし、十八世紀の中頃、英国にロレンス・スターンという坊主住めり。最も坊主らしからぬ人物にて、最も坊主らしからぬ小説を著し、その小説の御蔭にて、百五十年後の今日に至るまで、文壇の一隅に余命を保ち、文学史の出るごとに一頁または半頁の労

  • 妥協と共生 - 内田樹の研究室

    Frauという雑誌の取材がある。 20-30代の働く独身女性が読者層のヴォリューム・ゾーンであるような雑誌で、今回のお題は「結婚したいけれど、できないのはどうして・・・」という切実なるものである。 どうしてと訊かれて即答できるなら、苦労はない。 というのはシロートで、私はどんなことを訊かれても即答することでお鳥目を頂いている身であるから、もちろん即答する。 それはみなさんがたが「他者との共生」を「他者への妥協」というふうに読み替えておられるからである。 「共生」と「妥協」は見た目は似ているかもしれないが、まるで別のことである。 これは武道をやっていると実感的によくわかる。 「妥協」というのは「まず、私がいる」というところから話が始まる。 そこに他者が干渉してきて、私の動線を塞ぎ、私の可動域を制約し、私の自己実現を妨害する。 私はやむなく、自由を断念し、狭いところで我慢し、やりたいことを諦め

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