litとreviewに関するsymbioticwormのブックマーク (14)

  • 北村紗衣さん「お砂糖とスパイスと爆発的な何か」インタビュー 目からうろこのフェミニスト批評集|好書好日

    文:篠原諄也 写真:斉藤順子 北村紗衣(きたむら・さえ)武蔵大学人文学部英語英米文化学科准教授 1983年、北海道士別市生まれ。専門はシェイクスピア、フェミニスト批評、舞台芸術史。東京大学の表象文化論にて学士号・修士号を取得後、2013年にキングズ・カレッジ・ロンドンにて博士号取得。著書に『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち──近世の観劇と読書』 (白水社、2018)、訳書にキャトリン・モラン『女になる方法──ロックンロールな13歳のフェミニスト成長記』(青土社、2018)など。 傑作とされる古典がつまらなかった ――フェミニスト批評とは何でしょう? フェミニスト批評はこれまでの批評が実は男子文化だったことに立脚しています。つまり、批評の歴史を振り返ると、男性中心的な社会の中で、男性向けに作られたものを男性の視点で読む。それが普遍的な解釈だとされてきました。 日の近代文学もそうで、たとえ

    北村紗衣さん「お砂糖とスパイスと爆発的な何か」インタビュー 目からうろこのフェミニスト批評集|好書好日
  • 「美しい顔」に寄せて――罪深いということについて 東北学院大学 金菱 清 - 新曜社通信

    「美しい顔」に寄せて――罪深いということについて 2018年7月17日   東北学院大学 金菱 清 「エッセーやルポルタージュと比べて何が小説を特別にしているんだろう?」と自問しながら、NHKのインタビューのなかで、カズオ・イシグロが、小説とは何かについて自らの問いに答えている(『カズオ・イシグロ文学白熱教室』)。 「私はあることを発見した。物語の舞台は動かせるのだと。舞台設定は物語の中で重要な部分じゃない。これに気付いた後、舞台設定を探すのが難題になった。あまりに自由になってしまったからだ。・・・物語を色々な舞台へ、世界中の様々な場所、様々な時代へ移せると分かってしまったからだ。」(イシグロ) 「小説の価値というのは表面にあるとは限らない。歴史書を時代を変えていいとしたら、おかしなことになる。歴史家がそんなことをしたら許されないだろう。でも、小説では可能だ。つまりこれは、物語の意図するも

    「美しい顔」に寄せて――罪深いということについて 東北学院大学 金菱 清 - 新曜社通信
  • 東京新聞:シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち 北村紗衣 著:Chunichi/Tokyo Bookweb(TOKYO Web)

    トップ > Chunichi/Tokyo Bookweb > 書評 > 記事一覧 > 記事 【書評】 シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち 北村紗衣 著 Tweet 2018年5月27日 ◆の書き込み、手紙も分析 [評者]冬木ひろみ=早稲田大教授 書は一種の演劇受容論であるが、これまでのものと大きく異なるのは、十八世紀半ばにシェイクスピアがいかにしてイギリス文学を代表する正典となっていったかを、歴史上軽視されがちであったシェイクスピアを楽しむ女性たちに注目して解き明かしている点である。元となったのは著者がロンドン大学に提出した博士論文だということだが、ここでの筆致は比較的軽みを帯びている。カンバーバッチの舞台『ハムレット』や、北海道の小さな映画館で上映されたディカプリオの『ロミオ+ジュリエット』を見にきた女性たちを裏切ることはできないという、冒頭部分での女性ファンに寄り添う著者の言葉は、

    東京新聞:シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち 北村紗衣 著:Chunichi/Tokyo Bookweb(TOKYO Web)
  • 書評・最新書評 : アーダ(上・下) [著]ウラジーミル・ナボコフ - 円城塔(作家) | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト

    ■技法と知識ありったけの混沌 あまり知られていないことだが、自分でもよくわからないことがらは、うまく翻訳することができない。 それはまあ、どう訳すのか正解が決まっているような文章ならば機械にだって訳せそうであるのだが。 あとがきによれば書の訳者は、書を読み進める読書会を、月1回のペースで10年以上続けてきたが、ようやく第2部の途中までたどりついたところだという。そこまで執拗(しつよう)な読みを要請する小説はまれだ。 さらに話がややこしいことには、この小説の作者であるナボコフ自身が、自分の書いている話を制御しきれているのかどうかがなんだかあやしい。 ナボコフは小説を書く言葉をロシア語から英語に切りかえた作家である。もっとも、他人に英語を直されても、自分の英語の方が正しいとするくらいには自信があった。 しかし『アーダ』は老年に達したナボコフがその技法と知識のありったけを叩(たた)き込んだ小

    書評・最新書評 : アーダ(上・下) [著]ウラジーミル・ナボコフ - 円城塔(作家) | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト
  •  「Why We Read Fiction」 - shorebird 進化心理学中心の書評など

    Why We Read Fiction: Theory of Mind And the Novel (The Theory And Interpretation of Narrative Series) 作者: Lisa Zunshine出版社/メーカー: Ohio State Univ Pr発売日: 2006/04/30メディア: ペーパーバック クリック: 11回この商品を含むブログ (2件) を見る これは英米文学の専門家であり,認知科学を文芸批評に応用しようとする分野の研究者である著者による,進化心理学的な視点もふまえた上での「何故ヒトは小説を読むのか」というである. 認知科学を応用した文芸批評という概念自体,私にとっては新鮮な響きだ.まず私は文芸批評全般についてまったく無知である.また認知科学を応用した文芸批評が今日どのような状況下についてもまったくよく知らない.アメリカではそ

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  • 英作家オースティン没後200年 アジアへも共感広がる: 日本経済新聞

    日経の記事利用サービスについて 企業での記事共有や会議資料への転載・複製、注文印刷などをご希望の方は、リンク先をご覧ください。 詳しくはこちら 目鼻立ちの小さな平凡な顔の女性が、視線を宙に向けている。ぴったりと被ったレース飾りの帽子からは、カールした濃い色の髪が何房かきれいに額に垂れかかる。背景には田舎の広大な邸宅と、彼女が書いた小説の中で最も有名な登場人物であるエリザベス・ベネットのイラストが描かれている。 この描写は、没後200年にあたる2017年7月18日に公開された英国の新10ポンド札のために整えられた英作家ジェーン・オースティンの肖像画だ。今日では世界の人々に感動を与える文学者との評価が定まっているが、そこに至るまで、彼女のイメージは何度も書き換えられてきた。新札の肖像も、その中の一つのイメージにすぎない。 オースティンは1775年の12月16日に生まれた。8人きょうだいの1人だ

    英作家オースティン没後200年 アジアへも共感広がる: 日本経済新聞
  • 『マラルメ全集I 詩・イジチュール』(筑摩書房) - 著者:ステファヌ・マラルメ 編集:松室 三郎, 菅野 昭正, 清水 徹, 阿部 良雄, 渡辺 守章 - 鹿島 茂による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS

    著者:ステファヌ・マラルメ編集:松室 三郎, 菅野 昭正, 清水 徹, 阿部 良雄, 渡辺 守章出版社:筑摩書房装丁:単行(284ページ)発売日:2010-05-13 ISBN-10:4480790012 ISBN-13:978-4480790019 内容紹介: 存在の極限に紡がれた"詩"、哲学的小話「イジチュール」、深い謎につつまれた「賽の一振り」、さらに「エロディアード」「半獣神の午後」「アナトールの墓」など、マラルメの最重要著作を画期的な翻訳・註解によって読み開く待望の書物。 思想書一巻をもしのぐ、凝縮された一行四半世紀ぶりに完結した「マラルメ全集」の最終配『詩・イジチュール』には「この巻を亡き鈴木信太郎先生に捧(ささ)げる」という献辞が掲げられている。 編者たちの恩師に当たる当時の東大仏文科主任・鈴木信太郎は近代詩とりわけマラルメの大権威だったが、明治の人らしく熱烈なる天皇崇拝

    『マラルメ全集I 詩・イジチュール』(筑摩書房) - 著者:ステファヌ・マラルメ 編集:松室 三郎, 菅野 昭正, 清水 徹, 阿部 良雄, 渡辺 守章 - 鹿島 茂による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS
  • これはクィアな悲劇か?〜ナショナル・シアター・ライブ『二十日鼠と人間』 - Commentarius Saevus

    ナショナル・シアター・ライブ『二十日鼠と人間』を吉祥寺オデオンで出てきた。なぜかブロードウェイで上演された作品である。主演は今をときめくクリス・オダウドとジェームズ・フランコ、演出はアンナ・D・シャピロで、スタインベックが自分の小説を戯曲化したものらしい(一応原作は小説なのだが、ほとんど戯曲みたいな小説らしい)。これはアメリカ人は皆知っている話で、ジョージとレニーはフォーク・ヒーローみたいな扱いらしいのだが、私は原作を読んだことがなくてあまり知識がなかったこともあり、新鮮な印象で見ることができた。 主人公は恐慌中に季節労働者として働いているジョージ(フランコ)とレニー(オダウド)で、ジョージは小柄で賢い男だが、レニーは大男で怪力であるものの、おそらく何かの知的障害を持っていて行く先々でトラブルを起こしている。ジョージはそんなレニーを親友としていたわり、一緒に小さな農場を買って暮らすことを夢

    これはクィアな悲劇か?〜ナショナル・シアター・ライブ『二十日鼠と人間』 - Commentarius Saevus
    symbioticworm
    symbioticworm 2017/08/10
    “この作品ってかなりクィアなんじゃないかと思った。”そういう視点からの読解は新鮮。わたしが小説の方を読んだのは随分前だが、短い作品だし読み直してみようかしら。
  • シェイクスピアをこれから読む人向けの研究書20冊 - Commentarius Saevus

    ちょっとリクエストを受けたりしたので、「シェイクスピアをこれから読む人向けの研究書20冊」というのを作ってみようと思う。選択基準としては、 (1)これからシェイクスピアを読もう、という人が基的な議論の知識を得るのに必要そうなである。 (2)英語か、あるいは日語訳がある洋書である(もともと日語で出ているはちょっとイギリスにいた間ほとんどフォローできなかったんで除外。これはそのうち別にリストしたい)。 (3)シェイクスピア研究における代表的な研究書、古典と見なされているもの。 (4)シェイクスピア研究に紙面の大部分を割いているもの。一般的な英文学書でシェイクスピアについて数章程度しか扱っていないものや、イギリス・ルネサンス文化中心でそれほどシェイクスピアに重点を置いていない研究書、シェイクスピアを読むのに必要だがシェイクスピアを少ししか扱っていない批評理論のは除外。 (5)学術研究

    シェイクスピアをこれから読む人向けの研究書20冊 - Commentarius Saevus
  • アンソニー・グラフトン 『テクストの擁護者たち: 近代ヨーロッパにおける人文学の誕生』

    翻訳作業のお手伝いをしたアンソニー・グラフトンの『テクストの擁護者たち』を読み終える。書の内容については、すでに原書を紹介したときにもあらかた書いてしまったが、改めてどんななのか紹介しておこう。 書はルネサンスから近代という長い時間軸のなかで当時の知識人たちがどんな風にテクストを読んだり、肯定したりしたのか、という知の営みの歴史を扱っている。そこで登場するのは、たとえば、デカルトだとかスピノザだとか、西洋思想史界のスーパー・スター的な人物たちではない(第7章で扱われているケプラーが例外か)。「歴史」のなかでほとんど無視されてきたような、知識人たちである。そうした忘れられた知識人たちによって、文献学やテクスト校訂の技術が培われ、現代にまで引き継がれる礎を作られたのだ……というのが、書のおおまかなストーリーになるだろう。 特筆すべきなのは、グラフトンの歴史記述の方法だ。これは書巻末に

    アンソニー・グラフトン 『テクストの擁護者たち: 近代ヨーロッパにおける人文学の誕生』
  • The Meursault Investigation by Kamel Daoud review – an instant classic

    The Meursault Investigation by Kamel Daoud review – an instant classic Retelling Camus’s The Outsider through Arab eyes, this debut novel develops a specifically Algerian take on the absurd condition In The Outsider, Albert Camus’s tale of alienation, ennui and ruthless honesty, the anti-hero Meursault murders an Arab on the beach at Algiers simply because the sun gets in his eyes. The Meursault I

    The Meursault Investigation by Kamel Daoud review – an instant classic
  • Opinion | Algeria’s Invisible Arab (Published 2015)

    At the core of any conflict lies invisibility. The enemy cannot be seen, at least not if seeing betokens the start of understanding. The other is there, a menacing and ineffaceable presence, but is invisible in his or her human dimensions. Demonization blocks any glimmer of shared humanity or sympathy. Only when the nameless foe becomes a man or a woman confronted with the puzzle of life does the

    Opinion | Algeria’s Invisible Arab (Published 2015)
  • 【文芸時評】6月号 筆の置き方で決まる 早稲田大学教授・石原千秋+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

    村上春樹祭りが急速に終焉(しゅうえん)に向かっている感じがする。『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の完成度の問題があったと思わざるを得ない。村上春樹の小説は『ねじまき鳥クロニクル』と『海辺のカフカ』が特にまとまりが悪くとっちらかっているが、かなりの長編なのでそれなりに読めてしまう。しかし、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』はこの3分の1程度の長さなのに、まとまりの悪さはもっとひどい。続編でもない限り、完結した小説としては読めないようなところがある。書評などすべて読んだわけではないが、このあたりのことも含めて、登場人物論にも深みがあり、もっとも読み応えがあったのは書評紙「週刊読書人」(5月17日)の鴻巣友季子と中島京子の2ページにわたる対談だった。 群像新人文学賞は小説部門が波多野陸「鶏が鳴く」。ややささくれだった感情を持っている高校生同士が、ドストエフスキーのような宗教

  • CUT 2006/10 Book Review

    連載第?回 小説と抑圧の共犯関係から書は目をそらしてしまう。 (『CUT』2006 年 10 月) 山形浩生 要約: 書は、抑圧の中でも文学を読み、その文学の力によって抑圧の中でも救われた人々の話に見えるが、実際にはその小説は、抑圧されていたからこそ力を持ち得た。いま、世界で文学が力を失っているのは、そうした抑圧がなくなりつつあることの裏返しでしかなく、それに対抗するためにギュンター・グラスなどの文学者たちは他人事の問題をお題目として消費するだけの存在になりつつある。 ギュンター・グラスがこともあろうにナチス親衛隊に所属していたと告白したことで、ヨーロッパの文壇が大騒ぎになっていることはすでにご存じだろう。ドイツ文学界の良心とも言われ、かつて少しでもナチスと関係していた作家たちを声高に罵っていたあのグラスが! しかも墓まで持ってけばいいのになぜ今頃? グラス自身は「沈黙の重みに耐えられ

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