「夏になると当時に引き戻されるんですよ。(日本航空のジャンボ機の)墜落直前にヘッドホンを通じて耳に届いた、パイロットの『ああっ』という悲鳴のような声が忘れられない」 西日本のある空港で、男性(54)は言葉を選び、語り出した。 25年前の夏。東京航空交通管制部(埼玉県所沢市)の管制官として、上空の航空機と交信していた。8月12日も普段と変わらない一日だった。 当時29歳。管制官になって8年目だった。先輩管制官らと「関東南セクター」という空域を担当する勤務に夕方からつき、管制卓に着席した。羽田への到着便が増える時間帯。「そろそろ忙しくなるぞ」と思った矢先だった。 ■午後6時24分47秒 「ブーッ」。管制室内にブザー音が鳴り響く。レーダー画面の日航123便の機影に、緊急事態(エマージェンシー)を示す「EMG」の文字が点滅し始めた。乗客と乗員計524人。午後6時12分に羽田空港を離陸し、大
御巣鷹の尾根でみつかった半透明のチューブや黄色のビニール片=群馬県上野村 日本航空のジャンボ機が墜落した群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」で、事故機に積まれていた救命胴衣や酸素マスクの一部とみられるものが見つかった。事故後に尾根の整備を続けてきた日航OBは「これほど形が残っているものは、ここ十数年で見たことがない」と驚く。 見つかったのは、10センチ大のオレンジ色の厚いビニールや、長さ数十センチの半透明のチューブ。絵柄が描かれた客室の壁の一部とみられる薄い板、未開封のままつぶれてひしゃげたスコットランド製の缶ビールなどもあった。 尾根一帯は、事故から半年近く、県警の機動隊員らが、業務上過失致死容疑での立件を目指して遺体や遺品、事故機の残骸(ざんがい)などを回収した。当時を知る県警幹部らは「あれほど丹念に調べたのに」と口をそろえる。 日本航空の元社員で、20年以上も遺族らの慰霊登山をサポ
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