ヤギの人 @yusai00 「猫が必ず出迎えてくれるので、車の音を聞いて駆けつけるのだと思ってたけど、カメラを設置して一日中玄関の部屋で待ってると分かった」 My cat … reddit.com/r/aww/comments… 他の部屋にも行けるのに選んでここにいるそう。一番長く居るドア前の椅子を、もっと快適な場所にしようと検討中とのこと。 pic.twitter.com/X6U0knkx46 2023-01-04 18:00:02
逆に、買ったけど微妙だったわ2022も聞いてみたい ぼやかせる範囲で
私事ですが、11月15日をもってアイティメディアを退職し、約10年関わってきたねとらぼの編集・運営業務から離れました。 いやー10年もいたのかと我ながら驚いていますが、いたらしいです(ちなみになんかモメたりしたわけではなくただの転職)。 そんなわけで、この記事はいわゆる退職エントリというやつになります。 ねとらぼという得体の知れないサイトのわりと初期から関わらせていただき、10年かけてそれなりの規模にまで育ててこれたというのは、なんだかんだで自分にとってはかなり貴重な経験でした。せっかくなので、ねとらぼがどのようにしてあの形になったのか、中の人は日々どんなことを考えて更新していたのかなど、怒られない程度に書き残しておきたいなと思います。 (といいつつ結構いろいろ書き散らかしたので、怒られたら五体投地してすぐにごめんなさいする所存です) 自分がねとらぼでやったこと自分がアイティメディアに入社
24歳シングルマザーの「まさか」の挑戦 私は、山口県に本社を置く、魚と農産品の販売を主なビジネスにする株式会社「GHIBLIギブリ」を経営し、後述する「船団丸せんだんまる」という事業を展開している。 しかし、もともとは漁業とまったく無縁の存在だった。 名古屋外国語大学を中退し、山口県出身の男性と結婚、出産したものの、結婚生活はあっけなく破綻はたんした。24歳でシングルマザーになった私は、様々な偶然が重なり、萩大島の漁師たちと関わり、気が付けば彼らと一緒に日本の漁業の常識を打ち破ることになった。 そんな私を「ファーストペンギン」に喩たとえてくれる人もいる。 「ファーストペンギン」とは、集団で行動するペンギンの群れのなかから、最初に飛び出す一羽のこと。これが転じて、リスクを恐れず初めてのことに挑戦するベンチャー精神の持ち主を「ファーストペンギン」と呼ぶようになったらしい。
顧客は腕利きのハンターばかり 山崎の店は“一見さんお断り”で、顧客は腕利きのハンターばかり。既製品の銃は扱わず、顧客のニーズを完璧に満たすオンリーワンな銃をオーダーメイドで製作しているという。何となく無口な職人のような人をイメージしていたが、実際に会った山崎は70歳とは思えないほど若々しく、その明晰な語り口が印象的だ。本業は別にあり、鉄砲製作は「あくまで趣味です」と笑うが、北海道公安委員会が指定する射撃指導員の資格を持つ射撃のスペシャリストでもある。 もともとメカ好きだった山崎が銃の世界にのめりこんだのは、会社員としてアメリカに駐在していたときに、射撃場で本物の銃に触れたのがきっかけだった。 「銃というのは、自動銃の場合、弾を込めて発射するまで8工程あります。つまり(1)装填(2)引き金を引く(3)逆弧が外れる(4)撃針が前進する(5)雷管が作動する(6)火炎が薬室に至り、火薬の燃焼が起こ
完全に国際情勢や社会情勢からかけ離れた私事について失礼いたします。このところ縁あって高校卒業までの時期について取材を受けるインタビューが相次いでいます。おそらく日本の多様性が進む中でヒントを見つけようという取材意図があると思います。ここである問題が頻繁に起こります。
人と人との出会い、そして人とペットとの出会い。そこにはやはり「運命」のようなものが存在するのではないだろうか。 そう思ってしまいたくなる愛猫との出会いを経験した女性のストーリーが、ネットで話題になっていたのでシェアするよ。 Woman Going For A Jog Finds A Meowing Stray Cat | The Dodo ある日のこと。ケイトさんがジョギングをしていると、1匹の猫が走り寄って来た。「あら、どうしたの?」と思う間もなく、猫はケイトさんの肩によじ登って来て、顔をペロペロ舐め始めたんだそう。 「一緒に来る?」と声をかけると、「うん!(にゃあ!)」と即答。ケイトさんは家までのおよそ4㎞の道のりを、猫を肩に乗せたまま歩いて帰ったんだって。 帰宅後、獣医さんにチェックしてもらったところ、この猫はマイクロチップも埋められていなければ、避妊手術もしていなかった。 飼い主が
皆さま、ごきげんよう。 それまで当たり前だったものが、ある日を境に当たり前じゃなくなる。 そこでいったん落ち込むんですけど、それを乗り越えた先に絶対に新しい出会いがあると思っている、きゃりーぱみゅぱみゅです。 例えば、紅白とか歌番組に出れなくなったり、フェスに出れなくなったり、またはフェスに出れたとしてもステージが小さくなったり…。それまで続いてたものが急になくなるとヘコみます。 でも、そこで「いや、出れてたことが奇跡だったんだ」とか「じゃあ、違うことに全力を出そう!」と思ってがんばると、別のプロジェクトがうまくいったりするもので、私は“断つ”ということは“目線を変える”ことと同じだと捉えています。 恋愛もそうです。ずっと元カレのことを引きずっているときは、いい人がなかなか現れなくて、もう忘れようと思ったタイミングでいい人が現れたりしますよね? 少なくとも私の人生ではそうでした。 だから、
『逆転裁判123 成歩堂セレクション』完全初見プレイの記録です。ネタバレ全開。 3DSでプレイしているのでスクリーンショットはないです。
はじめまして。ego@離婚協議中(@ego_929)です。 昨年不本意ながらサレ妻デビューしてしまい、現在1年ほど夫と離婚協議バトルをしています。 (※サレ妻:不倫された妻のことを言います。誰が考えたの?ありがとう) 当時、まさか自分が夫と修羅バトルすることになるなんて思っていなかったので、本当にどうすればと困惑しました。そんな時に同じ境遇の方のブログなどがすごく参考になったので、もし誰かの役に立てばとnoteに整理していくことにしました。 渦中の方はご参考に、そうでもない方はやべえなコイツと思いながら面白がってもらえたら救われるなと思います。下世話な話、みんな好きですよね…?(私は好きです) この記事では、人生で一番長いと感じた不倫発覚の1日の話を書いていきます。どうぞよろしくお願いします! スマホを見てみただけなのに2021年3月13日。 詳細は忘れてしまったのだけれど、その日の朝、前
ウクライナから避難し来日した23歳の女性が、支援してくれた人々に感謝を伝えたいと、日本語のメッセージを手書きでしたためた。日本のビジュアル系バンドのファンになって日本語を学んだ縁もあり、避難先を日本にした。過酷な旅路の末にたどり着いたこの国で、ふるさとに残る家族や同僚たちの無事を祈る日々。いまの自分にもできることを。そんな思いから、子どもたちに英語を教えるボランティアを始めた。【浜田和子】 ウクライナから日本へ 涙が止まらない夜も 「たくさんのえんじょをしてくださったみなさまへ。おかげさまであんしんしてせいかつできるようになりました。ありがとうございました。にほんのせいかつになれるようにがんばっています」。ウクライナ東部から戦禍を逃れ避難してきたアニャ・ペレクレストさん(23)が、平仮名一文字一文字を確かめながら書いた感謝のメッセージだ。 アニャさんは4月1日、日本にたどり着いた。航空券の
日本代表のシェフとしてチームに帯同し、ワールドカップは次のカタール大会で5大会目となる西芳照さん。「ベスト16の壁を超えたい。選手たちの夢に近づくよう、少しでも手助けができたら」と語ります。 日本サッカーの発展を担ってきたJFAと、1978年から日本代表を応援し続けるキリンが共同で、サッカーの持つ力を紹介するnote連載「 #サッカーがつなぐもの」。 第3弾は、西芳照さんが代表チームを支える食事について語ります。 前回の記事はこちら 【プロフィール】 西芳照 1962年福島県生まれ。高校卒業後に上京し、京懐石などの料理店で和食の修行を積む。97年、福島県に開設されたJヴィレッジのレストランに勤務し、99年に総料理長に就任。 04年3月に日本代表の専属シェフとして初めて帯同し、以来、ワールドカップ4大会を含む50回以上の日本代表の海外遠征試合に帯同。選手たちの緊張をほぐし、食欲の湧く食事に工
年内でコンサート活動からの引退を発表したミュージシャンの加山雄三(85)が、ついに〝ゲーム卒業〟したことが判明した。同年代のファンだけではなく、大のゲーム好きという意外な一面で若者の心をつかんできた。大好きなゲームシリーズ「ファイナルファンタジー」「バイオハザード」最新作の情報にウズウズしつつも、今は音楽活動にまい進だ。 主演映画シリーズのタイトルから「若大将」の愛称で親しまれ、「君といつまでも」「お嫁においで」などのヒット曲で知られる加山は今年6月、高齢を理由に年内でのコンサート活動からの引退を発表した。 9月9日に行う引退公演「加山雄三ラストショー~永遠の若大将~」のチケットは即日完売し、全国47都道府県の映画館ではライブ・ビューイングも予定している。さらに27日から28日にかけて生放送される「24時間テレビ」(日本テレビ系)では自身が作曲し、今や番組テーマソングとなった「サライ」をラ
将棋界に真剣師と呼ばれるものたちがいた。賭け将棋で小遣いや生活費を稼いだアマチュアのことで、一部はセミプロのレベルまで達していたという。筆者が将棋を始めたのは2001年だが、実際には見たことがない。どうやら昭和50年代までは全国各地にいたものの、時代が進むにつれて風当たりが強くなり、数は減っていったようだ。筆者はその世界を文献を辿るよりほかに知る方法がない。 「最後の真剣師」と呼ばれた大田学(1914~2007年)は、1978年に第1回朝日アマ名人戦に出場して63歳ながら見事に優勝した。終戦後に30歳を過ぎてから、アマ初段だった将棋に本格的に取り組んだという。小中学生で奨励会に入るのが当たり前の現代を思うと、かなりの晩学だ。同氏は1996年に放映開始されたNHK朝ドラ「ふたりっ子」のヒロイン・香子に将棋を教える、「銀じい」のモデルになったことでも知られた。真剣師を廃業してから92歳でこの世
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