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向井秀徳に関するtgtgncのブックマーク (4)

  • 向井秀徳が語る、音楽に向かう原動力「私は自意識恥野郎ですよ」 | CINRA

    ゴールデンウィークも終盤の5月6日、日比谷野外音楽堂を舞台に『THE MATSURI SESSION』が開催される。このイベントはもともと6年前の2011年10月に、向井秀徳が運営する「MATSURI STUDIO」を使用している3組、ZAZEN BOYS、KIMONOS、向井秀徳アコースティック&エレクトリックが集って開催されたもの。今回はさらに吉田一郎不可触世界とLEO今井のソロバンドが加わり、まさに「MATSURI STUDIOファミリー総出演」といった様相の、大宴会が開催されるというわけだ。 近年の向井は、バンド、ソロ、ユニットと様々な形態でライブを行いつつ、昨年は『ディストラクション・ベイビーズ』と『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』という2映画音楽も担当しているが、ZAZEN BOYSとしては2012年の『すとーりーず』以降、新作の噂は届いていない。 そこで

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  • ZAZENBOYSやキリンジが好きなら聴いてほしい17歳で凄いカバーをする女性シンガーerina149 - オトニッチ

    YouTubeでは新たな音楽との出会いがある YouTubeで目当てのアーティストや曲を検索していると、思わぬ出会いがあったりする。 それは他のアーティストだったりもするが、アマチュアのミュージシャンも多い。 YouTubeにアップロードされているアマチュアミュージシャンの動画はクオリティの低い人も多い。 しかし、以前取り上げた坂口有望(さかぐちあみ)のような才能あるアーティストもいて、気づいたらデビューしていたりする。 www.ongakunojouhou.com 実は、数年前からずっと気になっている、弾き語りのカバー曲をYouTubeにアップロードしている女の子がいる。 最初に出会ったのはZAZEN BOYSのKIMOCHIのカバーをしているこの動画。 ↓画像をクリックすると動画になります 17歳女の zazen boys - KIMOCHI 弾き語り erina149というアカウント

    ZAZENBOYSやキリンジが好きなら聴いてほしい17歳で凄いカバーをする女性シンガーerina149 - オトニッチ
  • ZAZEN BOYS・向井秀徳が語る、自身にとってのライブ、野音、祭りとは | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

    向井秀徳(Vo, G, Key)率いるZAZEN BOYSが5月6日、日比谷野外大音楽堂(以下野音)で自主企画ライブ『THE MATSURI SESSION』を開催する。ZAZEN BOYS、吉田一郎不可触世界、LEO IMAI、KIMONOS、向井秀徳アコースティック&エレクトリック(出演順)という、向井のスタジオ・MATSURI STUDIOゆかりのアーティストが一堂に会するこのイベントは、タイトル通り“祭り”という言葉がふさわしいイベントになること必至。“MATSURI STUDIOの蠢きを感じてほしい”という向井にイベントの見どころや“特別な場所”と語る野音への思いなどを聞いた。 ――5月6日を楽しみにしているファンも多いと思います。 私のスタジオ、MATSURI STUDIOゆかりのアーティストが一堂に会するイベントは、2011年に同じ野音で開催した『THE MATSURI SE

    ZAZEN BOYS・向井秀徳が語る、自身にとってのライブ、野音、祭りとは | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス
    tgtgnc
    tgtgnc 2017/04/12
    "祭りが終わったら、“祭りの後の寂しさ”と言いますけど、ふと冷静に戻る、日常に戻るわけじゃないですか。そんな言わば狂乱と日常の繰り返しが渦巻きになる。"良い読み物だった。
  • 向井秀徳の当事者性による二重性批判

    「俺がそこにいた!」 初期ナンバガの歌詞を振り返るとこういう文体が多い 『omoide in my head』の「17歳の俺がいた」もそうだ これは一人称の文に見えるが、実は三人称だ 俺“は”ではなく俺“が”と書くためには 「俺」という登場人物を第三者視点から見る必要がある つまり三人称視点で登場人物としての「俺」を描写していることになる だが、この三人称の語り手は客観的ではない いた、ではなくいた“!”と主観をむき出しにする 語り手もまた“俺”であることを忘れてはいない まとめると語り手「俺」が登場人物「俺」を主観的に記述した三人称、となる 自分自身を物語内の登場人物として捉え直すのは、メタ的だ 向井は映画監督を目指していたそうだが、 カメラのファインダーという隔たり越しに登場人物を描写する手法もうなづける だが、メタ視点から正確に写そうとすればするほど、対象からは離れてしまう その対象

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