福岡に来たら 大山やま中楽天地のどれかには行くべき。 モツが口の中でとろけるゾ!
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我が家のインドカレーの投稿してから随分とたっちゃったけど 最近は自粛で、お家ご飯が増えてるみたいなので何かできないかなーと思ってました。 そんな時ニュース見てたら、これ。 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200421/k10012398171000.html つまり、これはヨーグルトたっぷり使うタンドリーチキン作れ!っていう天啓だなと。 美味いもの作って酪農家支援できたら良いよね! ちなみに、あのインドカレーの投稿した後、脱サラして料理人になりまして、 普通に仕事で出してるレシピなんだけど、みんな美味しいタンドリー作れたら嬉しいかなーということで公開します。 漬け込んだりするから時間はかかるんだけど、手順は至って簡単。 家で過ごす時間が多い今にはぴったりなんじゃないかな。 パッサパサじゃなくて、ジューシーで感動的なタンドリー作れるよ。 まずは食材から。
昨今感想屋とか、おけパとか面白い単語が流行っているのだけど、その中でも「こっち側」の人間の意見を見つけられなかったので自分用のメモとして書いておく。 先月ツイッターのアカウントを消した。 フォロワーが5桁以上存在するアカウントだった。 楽しいツイッター期好きな推しCPが出来て、親しい仲間内で同時に作ったアカウントだった。 当初は親しい身内だけフォローして他には誰とも繋がらず、互いに推しの絵を描いたり各々の好きな話をしてキャッキャと遊んでいた。 今思うと、私はこれが好きだった。私の求める二次創作は、好きな絵を描いて、好きな妄想をして、親しい友人と分かち合って、原作を考察したり。それで充分だった。 なので同人誌とかを作る気も起きなかった。神の絵や同人誌を読むのはもちろん好きだったけど、仲良くしたいなんて微塵も思わなかったし。何しろ住む世界が違うので。 ただひたすらそうやって友人と楽しく過ごして
Twitterでは絶対に言えないので吐き出しに来た。 私は舞台化されている作品で同人活動をしている。 数年前の公演で好きなCPが舞台版に登場し、その公演をきっかけにCPを好きになった人が増えた。 もちろんSNSや同人イベントでも人が増え、今まで顔見知りばかりで活動していた当CPも賑やかになった。 それ自体は嬉しかったのだが、舞台をきっかけに好きになった人たちはキャラクターではなく『キャラクターを解釈し、演じた俳優』を見ているのだ。 原作からそのCPにハマった人たちと舞台からハマった人たちとでは温度差があるように感じる。 舞台しか観ていない人、原作の他CPで活動をしていたが舞台で活動CPを変更した人、いろんな人がいる。 ただ、舞台から好きになったという人たちと話していて「おや?」と思うことも多々ある。 好きなシーンや好きになったきっかけの話になると、舞台の内容を話し出すのはどうかと思う。 こ
そのまま。 ここ4年間ずっと銀河一好きなセフレに、一昨日LINEでさようならと告げたら昨晩まさかの返信をくれた。 インスタ徘徊を終え、ふとホーム画面のアイコンに目をやると未読数が増えている。 友人かなと確認したらトークリストの1番上に彼の名前が上がっていた。思わず体が跳ね、緊張からかガタガタ全身の震えが止まらない。 仕事を終え友人の家でダラダラ過ごしていた時のことだったので、どうしたの?大丈夫?と彼女が背中をさすってくれた。 目の前の私の様子にビビっていた、怖がらせてしまい申し訳ない。 誇張でもなんでもなく、気を失いそうになりながら恐る恐る細目でトーク画面を開くとそこにはひたすら誠実な返事があった。 引き止める為の文句は1つもなかった。 私を前に進めてくれる誠実な言葉だけが並んでいた。 好意を抱いていることを知られるのが怖くて(捨てられると思った)、4年間必死に気持ちを殺し求められたセック
私が初めてコミケに行ったのは、高校二年生の夏休みだった。 その時ハマッていたジャンルの有名なサークルさんの新刊がどうしてもどうしても読みたくて、真っ先に読みたくて、コミケの参加方法を調べて、交通機関を調べて、一生懸命メイクをして靴を履いて水筒と小銭を持ってコミケに行った。 人が多いと聞いていたけど、こんなに多いとは思っていなくて、足踏み散らかされ吐きそうになりながら目当ての新刊をゲットした。最高だった。 早く読みたい早く読みたい!! と思っていたのはそうなんだけど、せっかくなら、もうちょっと見て回りたいな、と思ったので少し会場を見て回ることにした。 当時の私は高校二年生だったので、参加費を勿体なく思ってしまったのだ。 他のサークルさんを下調べもしなかったし、一般初参加で勝手が分からない私は、取り敢えず会場をぐるぐるしてみようと思った。 取り敢えず見て、良き出会いがなければ素直に帰るか~とい
機械じかけのオレンジって何が凄いの? https://anond.hatelabo.jp/20180113204136 ここで書くこと『時計じかけのオレンジ』は凄いけど、聖書を読まない日本人にとってはピンとこないテーマを扱ってるので、「何が凄いの?」という疑問が生じるのももっともだ。という話を書く。 『時計じかけのオレンジ』のテーマは何か『時計じかけのオレンジ』のテーマは、キューブリック監督曰く、以下の通り。 本作のテーマは、自由意志の問題と関係がある。もし善悪の選択ができなくなれば、私たちは人間性を失うのではないか?タイトルが示すように、時計じかけのオレンジになってしまうのではないか? それってどういうこと?この説明を読んだとき、多くの人はもっともらしい顔をして「ふんふんなるほどね」と思うのだけど、その実ぜんぜん分かっていない。何故かと言えば、説明中の「自由意志」という言葉の意味が分かっ
スパイスからカレー作ろうと思うと 何十種類もスパイス用意して死ぬほど大変な男の料理みたいなイメージありそうだけど、実は簡単に作れる。 それでいて、その辺のインド人カレー屋より美味しくできたりする。 だいたい誰に作っても「マジでインド料理屋」と驚かれるから試してみて。 用意しなきゃいけないスパイスは4種類だけ。 「クミン(ホール)」「ターメリックパウダー」「チリペッパーパウダー」「コリアンダーパウダー」 これだけでOK。この4つでチキンカレーだろうが、キーマカレーだろうが、だいたい大丈夫。 (まあ、凝りたい人はいくらでも凝れるけどね) ベーシックなスパイスなので、大きめのスーパーなら大概あるけど、 都内なら御徒町とかのスパイス問屋(大津屋)とか行けば20回分で一袋200-300円で超お得。 で、他の材料。玉ねぎ大1個、トマト大1個、ニンニク3かけ、生姜1かけ。好みでプレーンヨーグルト。 これ
今年の2月に結婚したのだが、そこに至るまでの経緯がかなり変わっているので、ちょっと文章に残しておこうと思う。 彼女と最初に会ったのは13年前なのだが、最近までほとんどまともに会話したことがなかった。 最初に会ったのは留学先のトロントだった。バイトしていた和食レストランで、数回だけ彼女とシフトが重なった。その店は日本人の留学生を積極的に雇っていた。 彼女は僕より先に帰国した。連絡先を交換することもなく、軽く挨拶だけして別れた。特に仲良くなったわけでもなかった。 数年後、彼女はマッサージ嬢になっていた。いわゆるグレーな店ってやつだ。僕はサラリーマンになっていた。会社帰りに先輩と酒を飲んで、酔った勢いで入った店に彼女がいたのだ。体のラインがくっきり見える白いワンピースを着ていた。スカートはパンツが見えるぐらい短くて、とんでもなくエロかった。お互いに顔を見合わせて、アッという顔をしたが、それ以上は
女からの意見だけど。 童貞をバカにするのって、大体男同士じゃない?なんか、首絞めあってない?って前から思ってる。 童貞をバカにする女って、例えばどこにいる?キャハハキモーいのキモーいガールズ? それって、描いたのは男性作家だけど。男性向けエロ漫画のコマだけど。 大抵の女は、目の前の男が童貞か非童貞かなんて、心底どーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーでもいいんです。 まじで、これっっっっぽっっっっっちも興味ないんです。 そんなことより、足の爪のささくれの方が1000倍気になる。 恋愛対象の男性のことなら、ちょっとは知りたいかもね。だって好きだから。 でも、その人が童貞でも非童貞でも、どっちにしろ「そうなんだ!」と思うだけで評価に影響はないですね。だって好感フィルターかかってるから。 恋愛対象じゃない男が童貞か非童貞は、興味ないを通り越して、そんな発想はなかったレベル。「オ、オウ…?」みた
彼女が小学生だった当時、サンタさんが届けてくれた「毛糸のカービィ」を期に、カービィ沼に填まり始めた娘も、この春から高校生になってしまった。表現が「なってしまった」と残念形である点は父親共通ではないだろうかと思う。 一軒家で物置になってる部屋が3つほどある我が家なので、ちゃんと整理すれば子供部屋が作れるんだが、(ギャグではないが)今は居間が彼女の部屋となっていて、ピンク色をした球体が増える一方である。 高校生にもなると父親と出歩きたがらなくなるという風評を耳にするので、いつ我が身に降り注ぐことになるか心配で仕方ないのだが、そんな娘にせがまれて大阪までカービィオーケストラを観に行くことになった。会場は別であるものの、そう遠くないところで「プププトレイン」という物販イベントも開催されていて早い時間から並びたいという。 関ヶ原のあたりで車の調子が異常になるというアクシデントに見舞われつつも、米原駅
例の漫画。 あれは「女はレイプされると気持ち良くなる」とか「女はレイプの途中から感じて喜びだす」というシーンが一切ない。 作中では徹頭徹尾、レイプが被害者の少女にとって痛々しいものとして描かれている。さらに事件後にはトラウマとなってしまい、少女はもとの日常生活に戻ることができない。 加害者である主人公は、容姿が汚らしい中年男であって、キャラクターとして憧れる要素が皆無である。 悪人をかっこよく描くフィクション作品が多い中で、本作の主人公にはまったく魅力がなく、まったく同情の余地もない。 なので、すなおに読めば、「レイプは被害者を苦しめる」「レイプをやる奴は卑劣な犯罪者だ」という内容になる。 あの漫画にこれ以外の解釈をほどこすことは、ほぼ不可能だと思われる。 本作におけるレイプとは、おぞましい暴力である。 多くのポルノ作品がレイプ被害者の受ける苦しみをごまかし、加害者の行為を正当化してみせて
俺もそれなんだけど その作業が決まった時点とか1日の最初に「細かいタスクに分解してリストアップしておく」、というのをやったら結構うまくいく 最初に15分とかでやっとくと全然違う サボってるときって「あれやんなきゃなあ…」って漠然とした思考が頭のすみっこにずっと残ってると思うんだけど タスクを細かく具体化しとくと、その頭のすみっこの思考レベルで一つ一つ解決できたり処理できたりする 「こんなん考えるよりやっちゃったほうが早い」でパッとやっちゃえることもある うまくいくとサボってるつもりでもいつの間にか作業が進んでいく感じがある 特に最後の追い込みの効率が本当に全然違う いつもの感覚で尻に火がついて「そろそろやんなきゃやばい」と思った時点で実は何割か終わっててびっくりする まあその最初のリストアップが面倒でやらずに終了することも多いんですが あとあいつに電話するのが嫌とか心理的ボトルネックがある
http://anond.hatelabo.jp/20170420024153 この手の人は子供のころに「あなたはやればできる子だから」的な文言を刷り込まれているれてることが多い。 これを言われた子は「やればできる子」のセルフイメージを守るために「本気でやって失敗すること」を極度に恐れるようになる。 そういう子は大人になっても深層意識に枷がはまったままになり、「自分の最善を尽くす」ことにストレスを感じる性質になってしまう。 理性でこうするべきだとわかっていても、いやわかっているからこそ全力で取り組むことができない。もし万全で挑戦して失敗したら「やればできる子」ではなくなってしまうからだ。 しかし仕事はこなさなくてはならないという板挟みの結果、ギリギリまで取り掛からないなどの小細工によって呪いの言葉を守り続ける本人含めて誰も得しない悲しい人間性が出来上がってしまうのである。
「俺がそこにいた!」 初期ナンバガの歌詞を振り返るとこういう文体が多い 『omoide in my head』の「17歳の俺がいた」もそうだ これは一人称の文に見えるが、実は三人称だ 俺“は”ではなく俺“が”と書くためには 「俺」という登場人物を第三者視点から見る必要がある つまり三人称視点で登場人物としての「俺」を描写していることになる だが、この三人称の語り手は客観的ではない いた、ではなくいた“!”と主観をむき出しにする 語り手もまた“俺”であることを忘れてはいない まとめると語り手「俺」が登場人物「俺」を主観的に記述した三人称、となる 自分自身を物語内の登場人物として捉え直すのは、メタ的だ 向井は映画監督を目指していたそうだが、 カメラのファインダーという隔たり越しに登場人物を描写する手法もうなづける だが、メタ視点から正確に写そうとすればするほど、対象からは離れてしまう その対象
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