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歴史と情報通信に関するtweakkのブックマーク (8)

  • 冷戦の象徴 「象のオリ」解体工事始まる NHKニュース

    東西冷戦時代に旧ソビエトなどの無線を傍受するため、青森県のアメリカ軍三沢基地に設置された「象のオリ」と呼ばれる巨大な通信傍受施設が、通信のデジタル化などで役割を終え、15日、解体工事が始まりました。 アメリカ軍三沢基地の姉沼通信所にある通信傍受施設は、数十のアンテナを設置した高さおよそ42メートル、直径およそ440メートルの円筒形の施設で、巨大なオリのように見えることから「象のオリ」と呼ばれています。 15日、アメリカ軍の関係者や地元の青森県三沢市の副市長などが出席して、解体を始める式典が開かれ、地面にシャベルを入れて解体工事を始めました。 「象のオリ」は、およそ50年前の昭和40年に設置され、東西冷戦下では旧ソビエトや中国などの無線を傍受してきましたが、通信のデジタル化などで傍受が難しくなり、2年前に運用を終えていました。 アメリカ軍の「象のオリ」は、国内では沖縄県読谷村の楚辺通信所に

    冷戦の象徴 「象のオリ」解体工事始まる NHKニュース
  • Ethernet(イーサネット)、登場から40年に : SIerブログ

    1 :ライトスタッフ◎φ ★ 2013/05/27(月) 11:03:51.46 ID:??? THE INQUIRERが「Ethernet turns 40 years old today」の記事(※)において、 Ethernetプロトコルが登場してから40年が経過したことを報告した。生活に 欠かすことのできないインターネットを支えるEthernetプロトコルは、 さまざまな変化を遂げながら、半世紀近くに渡って存在し続けていることになる。 現在、コンシューマ市場で広く普及しているNICは1000BASE-T。価格が廉価で、 コンシューマレベルでの使用では十分な通信速度を実現している。データセンタやHPC、 高性能アプライアンスなど、より大きな帯域が必要になるケースでは10GbE NICが 使われるケースが多い。以前は高価だった10GbE NICは現在ではスイッチングハブも 含めて価格がか

  • Geschichte des Telefonnetzes – Wikipedia

  • 29歳のスティーブ・ジョブズ、iPLAYBOYで読んでみました

    29歳のスティーブ・ジョブズ、iPLAYBOYで読んでみました2011.07.22 12:306,297 福田ミホ このたび、男性向け雑誌PLAYBOYからiPad向け雑誌のiPLAYBOYがローンチされました。iPLAYBOYでは、アメリカのPLAYBOYのバックナンバーが1953年の創刊号からすべて(!)閲覧できます。 たとえば1987年のバックナンバーでは、フリーのジャーナリストのデヴィッド・シェフ氏による若き日のスティーブ・ジョブズのインタビューを読めたりします。以下、その記事になります。 今回の「インタビュー」は、ある子供のバースデーパーティでジョブズに会ったとき、ほぼ終わっていました。それはニューヨークシティで行われた、セレブリティでいっぱいのパーティでした。夜が更けてきたとき、ジョブズが9歳のバースデー・ボーイにカリフォルニアから持ってきたプレゼントを渡そうとしているのに気づ

    29歳のスティーブ・ジョブズ、iPLAYBOYで読んでみました
  • 100 Jahre

  • AT&Tが60年間封印していた未来

    当たり前だと思っている「自由」だけど、実は流れに逆らってでも守らなきゃいけないもの、なのかもと考えさせられます。 コロンビア大学教授のティム・ウー氏が、書籍『The Master Switch: The Rise and Fall of Information Empires』を発表しました。その中でウー氏は、20世紀に生まれたさまざまな情報技術には、ある共通の「サイクル」が見られると主張しています。 彼によれば、革新的な情報技術は、誕生当初は誰もが自由に使えるのに、ある段階から市場をコントロールしようとする企業が現れます。やがて技術は中央集権化され、一部の企業が「マスタースイッチ」を握るような状態になってしまうのです。ウー氏は、オープンなプラットフォームと言われるインターネットも、実際はそんなサイクルの上にあるのではないかと問題提起しています。 ウー氏の指摘した「サイクル」は、たとえばア

    AT&Tが60年間封印していた未来
  • ちょっと思い出 - finalventの日記

    私がパソコン通信を始めたのは84年だったか。JADAの会員だった。アスキーはすぐに逼迫した。仲間を見つけてBBSを立ち上げた。Niftyは会員になっていたが使うようになったのはACSが潰れてからだったか。 ネットの世界なければ会えなかった出会いというのはけっこうあり、つまり、それが20代後半から30代前半をなんとなく覆っていた。ピークは4年くらいだろうか。 その頃は特に匿名とか実名とか意識されていなかったかと思う。匿名というよりはハンドル名なだけで、オフ会にいけば名刺交換とかしていた。「オフ会」という言葉もNiftyの文化だったと思う。それ以前はなんだったか。 ニフのオフ会にいくと、へぇ、一般人もいる、女もいるとか驚いたことがある。 当初は通信ソフトなんかも自作した。漢字コードが決まってなくて、特にPC-VANがNEC漢字を使っていたので、コンバーターなんかも作った。アスキーの後半ころPC

    ちょっと思い出 - finalventの日記
  • インターネットの歴史--50の主要な出来事(第1章)

    インターネットの歴史の中で重要な50の出来事を振り返ってみよう。 1995年までさかのぼってみると、この年、米国TIME誌は、「On a Screen Near You」と題した特集を組んだ。この特集では、ネット上にどのくらいポルノ情報が存在するのかを18カ月にわたって調べた米カーネギーメロン大学の研究結果が示された(論文のタイトルは「Marketing Pornography on the Information Superhighway」)。そして、コンピュータの前で驚いた顔をしている少年の姿を写した同誌の表紙が示唆したように、インターネットにはポルノや不道徳な情報が溢れていて、もはや子供が安全ではないことが実態として示された。 しかし記事そのものは興味深いものであった。特集では、掲示板、ニューズグループ、ダイアルアップモデムのほか、「情報スーパーハイウェイ」「サイバーポルノ」「電話料

    インターネットの歴史--50の主要な出来事(第1章)
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