2022年、ネット上での話題や議論を独占してる漫画は、「月か、金か」でございますね(笑)…数年後にわからなくなってるマクラだな、たぶん。 ま、それで金のほう、「ゴールデンカムイ」5月8日まで全話無料がまさかの延長ということで、話題が続いているんですけど、こんな話を一寸しました。 連ツイ全体を興味深く読みましたが、部分的に一つ。実はかつての日本語では「勃起」を、精神的に励まされる、やる気が出る…的な意味に使われることもあり、吉田松陰の文章にも出てきたとか(みなもと太郎書いてた)ゴールデンカムイのそれとは偶然の一致と思いますがhttps://t.co/IedfblmXhg— INVISIBLE DOJO (@mdojo1) May 1, 2022 ぼっ‐き【勃起】 の解説 [名](スル) 1 力強くむくむくと起こり立つこと。 2 陰茎が海綿体の充血により大きく硬くなること。勃起中枢は仙髄と大脳
前: ミッチ・ケイパーの誕生日(1950)次: フィル・カッツの誕生日(1962) セガ初期の歴史を調べてまとめてみた 2013-11-01 14:42:06 コンピュータ 昨日の話だが、セガ公式アカウント氏がこんなツイートをしていた。 社名の由来はこちらのツイートに凝縮しました( 'Θ')ノ⇒http://t.co/3ETw9DomUv RT @axdeunw2: セガ・エンタープライゼスの「セガ」とは、同社の旧社名「日本娯楽物産」を英訳した「ServiceGamesJapan」の頭文字をとったもの。— セガ公式アカウント (@SEGA_OFFICIAL) 2013, 10月 31 自分がフォローしている人が「日本娯楽物産」をどう訳したら「Service Games Japan」になるのかわからない、とつぶやいていた。 僕もこれには違和感を持った。公式氏の話は僕が知っている話とは違う
はじめに 私はノーテンキな進歩主義者です。人類は少しずつ、一進一退を繰り返しながらも精神面で進歩し続けていると固く信じています。その根拠の一つは、街中で歩きたばこや立小便や痰吐きなどの下品な行為を見かけることが減った、というような日常の些細な感覚です。そして最大の根拠は、「命が大事にされるようになったこと」です。具体的に数値で見ると、日本における殺人事件は減り続けています。 参考:平成12年版 警察白書 平成29年版 犯罪白書 日本人は長い年月を経て、命を大事にするようになりました。言い換えれば、昔の日本人は命を大事にしない蛮族であったということです。平然と殺し合いをしていました。歴史家の言葉を引用します。 光源氏が王朝時代の貴公子の理想像であることについて、これまでのところ、その優れた容姿や豊かな才能などが取り沙汰されるのが普通であった。だが、実のところは、理不尽な暴力事件を起こさないと
平成ゲーム史まとめ。30年間を年表とコラムで振り返る 編集部:早苗月 ハンバーグ食べ男 副編集長:noguchi 編集部:松本隆一 ライター:奥谷海人 ライター:大陸新秩序 ライター:箭本進一 ライター:西川善司 ライター:御簾納直彦 ライター:徳岡正肇 ライター:津雲回転 ライター:宮崎真一 ライター:板東 篤 ライター:稲元徹也 ライター:金井哲夫 ライター:相川いずみ ライター:Kano13 ライター:男色ディーノ ライター:本地健太郎 ライター:馬波レイ 123456789→ 本日2019年4月30日で平成が終わる。普段の生活では西暦を使う人が増えてきているとはいえ,日本人にとっては一つの節目を迎えたといえるだろう。 平成は,長さでいえば昭和の半分に満たず,国土が戦火にさらされることもなかった。だからといって常に平穏だったわけでもなく,とりわけ昭和の後半に確立したゲーム産業にとって
「俺、聞いたんやけど、『いいとも』終わるってホンマ?」 2013年10月22日放送の「笑っていいとも!」(フジテレビ系)で、突然乱入してきた笑福亭鶴瓶が妙なことを言い出した。さらに妙だったのは、これに対してタモリが平然とこう答えたことだ。 「来年の3月で、あの、『いいとも』は終わりますよ」 「いいとも」の終了が公に告げられた歴史的瞬間だった。あまりに唐突な発表だったため、ほかの出演者も観客もどう反応すればいいのかわからないようで、あからさまに戸惑っていた。タモリの口ぶりは事の重大さに似つかわしくないほど普段どおり淡々としていた。それが混乱に拍車をかけていた。 「いいとも」が終わるのではないかという噂話は少し前から飛び交っていた。タモリは「マスコミに知られて報道されてしまうよりは、自分たちで先に言ってしまったほうがいいだろう」と思い、鶴瓶を飛び入りさせて発表を行うことにしたのだ。 「いいとも
世界初の家庭用ゲーム機は、プレイヤーが画面にフィルムを貼り付けて遊ぶもの──ファミコン以前のテレビゲーム機の系譜を語ろう【新連載:ロード・トゥ・ファミコン】 昨今のレトロゲームブームにあって、ファミリーコンピュータ登場以降のムーブメントや作品群については、さまざまな場所で語られることも多い。だが、それ以前に家庭に滑り込んだゲーム機について語られることは数少ない。その知られざるファミコン以前の歴史を辿ろうとするのがこの連載だ。名付けてRoad To Famicom(ロード・トゥ・ファミコン)。ファミコンへの道だ。 じつはこの記事は、週刊ファミ通誌で2008年9月12日号から掲載された全9回にわたる短期集中連載だったもの。雑誌というメディアの記事の宿命だが、単行本化でもなされなければ、記事はやがて忘れられてしまうのが必定。それがあまりにもったいないものだったので、今回十余年の時を経てWeb化を
2018年11月26日19:53 カテゴリゲーム研究出来事 知られざる80年代日本製PCゲームの世界と、海外から見たJRPGの意外なルーツ 日本製ゲームの研究は海外において早くから進んでおり、アーケードや家庭用ゲームにおいては日本のそれを凌駕しているといっていいでしょう。唯一残っていたのが初期のPCゲームだったのですが、それもここ10年ほどでエミュレータとファイル共有によって、成年ゲームも含めて広まっており、最後の未踏地ももはや消滅しようとしています。 ここではその研究成果の一部をお目にかけたいと思います。2017年に海外の大手ゲームサイトが掲載した日本のRPGの歴史についてまとめた記事ですが、海外ならではの独自の視点があり、興味深い内容になっています。 * * * 日本におけるRPGの黄金時代を呼び起こしたのはドラゴンクエストといっていい。だが、そのはるか以前に登場していたのが団地妻の誘
ある日、歴史的な “AIの仕様書”が発見された。 それは、まだワープロ専用機で資料が作られていた1980年代に書かれた、『ぎゅわんぶらあ自己中心派』という大人気麻雀マンガのゲーム版の仕様書だ。 じつは1980年代の“国内ゲームAI史”は、これまでまったくの暗黒大陸と化していた。そんなところに発見されたその資料は、驚くべきことに──いまAI研究の最先端にいる開発者から見てもまったく色褪せない歴史的な完成度であるという。 この“早すぎる”麻雀の“ゲームAI”は、はたしてどう生み出されたのだろうか? この奇跡ともいえる仕様書を作った人物は、ゲームソフト制作会社ゲームアーツを立ち上げ、その後『LUNAR』、『グランディア』シリーズや『機動戦士ガンダム ギレンの野望』のプロデュース、そして『大乱闘スマッシュブラザーズX』の開発プロデュースなども手がけた宮路洋一氏だ。 宮路洋一氏 当時、23歳の若者だ
いつもはてなダイアリーをご利用いただき誠にありがとうございます。8月30日にお知らせしましたように、はてなダイアリーを2019年春をめどに終了し、はてなブログに統合する予定です。 その際、すべての投稿データをはてなブログに自動移行することに決定しましたので、お知らせいたします。 はてなダイアリーをご利用の皆さまから、はてなブログに移行されなかった場合の投稿データの取り扱いについて、お問い合わせやご意見フォームからご要望をいただいております。ユーザーの皆さまにとってどのような選択が最適か、はてなダイアリー・はてなブログの開発チームでは、以前より議論を重ねてまいりました。 開発チームでは、ユーザーの皆さまが書かれた記事(投稿データ)は、今後も閲覧できることに加え、ご自身の意思で編集したり公開範囲を変更できる状態を維持することが重要だと考えています。はてなダイアリーを支えるシステムがレガシー化し
大きな口を開けて迫ってくる、何匹ものワニをハンマーで撃退する──登場以来、プレイ中に味わえるスリルが老若男女問わずに人気を集める『ワニワニパニック』が誕生したのは、1989年のことである。 『ワニワニパニック』 ©BANDAI NAMCO Entertainment Inc. 以来、じつに29年もの長きにわたってロングセラー商品となった国民的エレメカを企画・開発した男は、その後『アイドルマスター』ではエグゼクティブ・プロデューサーとして作品を支え、2006年にはバンダイナムコゲームス(現バンダイナムコエンターテインメント)の代表取締役社長に就任。 2009年にはバンダイナムコホールディングスの代表取締役社長として、激動のエンタメ界を突き進む巨大な船の舵取りを任されていた。 その男の名は、石川祝男。 2015年よりバンダイナムコホールディングス代表取締役会長に就任した石川氏は、バンダイナムコ
特攻隊は「よくやった」(1944年10月)→特攻作戦続行・拡大 戦争終結は「もう一度戦果を挙げてから」(1945年2月)→東京大空襲、全国焦土化、沖縄戦 「海軍にはもう艦はないのか?」(1945年4月)→大和特攻、2時間で4千人戦死 沖縄をアメリカに売った「天皇メッセージ」(1947年9月) 戦争責任は「言葉のアヤ」、原爆投下は「やむを得ない」(1975年10月) こちらの記事へのコメントで要望を頂いた件、面白そうなのでやってみた。 昭和天皇裕仁のクソな「思し召し」と言えば、すぐ思い当たるのはつぎのようなものだろう。 特攻隊は「よくやった」(1944年10月)→特攻作戦続行・拡大 海軍特攻隊の生みの親と言われる大西瀧治郎は、必ずしも特攻作戦に積極的ではなく、これを「統率の外道」と呼び、こんなことまでしなければ戦えない状況になっていると知れば、天皇が戦争を止めてくれるだろうと期待していたと言
「尊い・・・」ってなる、という記録が実際残されている。 記録を残しているのはゴベール・ティボーという準騎士で1429年三月二十二日、神学者のピエール・ド・ヴェルサイユの共としてジャンヌ・ダルクと面会したことがある人物である。彼はのちに兵士たちに率直に尋ねてみたのだそうだ。「お前らジャンヌ・ラ・ピュセルと一緒にいてムラムラしないの?」と。そしてそのやり取りを以下の通り書き残した。 「軍隊においては、彼女はいつも兵士たちと行動を共にしていた。ジャンヌと親しかった者の多くから直接聞いたことだが、彼女に対して彼らが肉欲を感じることは金輪際なかったという。それはどういうことかというと、彼らが彼女に欲情を抱くことはままあったにせよ、どうしてもそれ以上の挙に出ることはできなかったので、彼らは彼女を欲望の対象にすることは不可能だと信じこむようになっていた。仲間同士で、肉欲を満たし、快楽を刺激するような話を
アルファベット編 まずアルファベットのキー配列について説明しましょう。パソコンのアルファベットのキー配列は、タイプライターという機械が元になっています。英文タイプライターを作ったのは、アメリカのChristopher Latham Sholesという人で、1870年の時点ではABC順を少し改良したキー配列だったと考えられます。前半のABCDEFGHIJKLMを左から右に、後半のNOPQRSTUVWXYZを右から左に並べて、そこからAEIOUYの母音を上の段に取りだしたのが、このキー配列です。この時点のタイプライターは、大文字と数字と4種類の記号が打てるものでした。キーの数は38個でした(図1参照)。 図1: 1870年9月時点のキー配列(推定) Sholesの後ろ盾だったJames Densmoreは、このタイプライターを、シカゴのEdward Payson Porterが経営する電信学校
『ファイナルファンタジー』のとあるモンスターは、ウルトラ怪獣のパチモノ玩具から生まれた。二度の太平洋横断を経て誕生するまでの経緯を振り返る 「バレッテ」というモンスターをご存じだろうか? 『FINAL FANTASY』(初代)に登場する敵、「バレッテ」 ファミコンやスーパーファミコンの時代からRPGをプレイしてきた古参ゲーマーの中には、「ああ、あれか」と思い出す方がいるかもしれない。あるいは、「このあいだクエストで倒したよ!」と身を乗り出す新規ゲーマーの方がいるかもしれない。 『ファイナルファンタジー』シリーズの『I』や『V』、そして最新作の『XV』などにも登場する、あのサイやアルマジロのような姿をした、高い守備力を持つモンスターだ。 実は、このバレッテが1987年に『ファイナルファンタジー』の中でプレイヤーの前に姿を現すまでには、二度にわたって太平洋を横断する、20年にも及ぶ長い長い物語
「竜退治はもうあきた」とドラクエチームから巣立った男がメジャーを目指して26年。流行に逆らい続けたメタルマックスが追い求めたのはドラクエからの自由だった【宮岡寛インタビュー】 伝説の大破壊によって荒野と化した世界。 機械とも生物ともつかぬモンスターが徘徊するフィールドを冒険するのは、戦車を駆るモンスターハンターたち。 RPGといえば剣と魔法の世界が主流だった時代に、『メタルマックス』はオイルと硝煙の匂いを漂わせて登場した。 発売したのはデータイーストだが、そもそもの企画を立て、ゲームデザインとシナリオを担当したのは『週刊少年ジャンプ』のゲーム記事コーナー“ファミコン神拳”のナビゲーターであった、ミヤ王こと宮岡寛氏だ。 『ドラゴンクエスト』のいわゆるロト三部作にも参加していたことで知られる宮岡氏は、なぜ王道RPGの頂点にあった『ドラクエ』に背を向け、独自路線の『メタルマックス』を作るに至った
林家九蔵襲名差し止め事件 落語家の名前について少々、話題になっている。 三遊亭好楽が、弟子の好の助に自分の前名の「林家九蔵」を継がさせようとして、待ったがかかり、諦めた、という話である。 少しだけテレビでも扱われていた。 みんな芯の部分がわからない、という雰囲気のなか、それぞれの感想を述べるばかりである。落語家もコメントしていたが、まあ、忖度の忖度の、その上の忖度をしないと生き残れない世界だから、そんなに歯切れのいい話が出てくるわけでもない(忖度の忖度の忖度をしていれば、何とか生き残れるという世界でもある)。 テレビで扱われたのは、断ったのが林家正蔵で、水を差されたのが三遊亭好楽という、テレビでよく見る顔だったからだろう。 林家九蔵の名前で襲名できなかった当の本人「三遊亭好の助」については、たぶん、ほとんどの人が知らないのではないか。 そこそこ落語が好き、というレベルでもなかなか見かけない
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