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哲学に関するJun-Sugiharaのブックマーク (6)

  • 生命とは制御するもののことである : 404 Blog Not Found

    2007年04月08日14:00 カテゴリCultureYAPC::Asia 生命とは制御するもののことである これだから評論家という奴らは度し難い。 茂木健一郎 クオリア日記: 生命とは制御できないもののことである 生きものの定義を、「制御できないもの」としたらどうか。違う、違う、違う。 生命とは制御するもののことである。 茂木健一郎 クオリア日記: 生命とは制御できないもののことである ウィスキーはもともと「生命の水」と言う。原酒は制御できない。生きている。 ついでに、ウィスキーを飲んだ人間も制御できないものになる。より生き生きしてくる。 これはそうではない、とはっきり言える。なぜなら、つい最近物のウィスキーをいただく機会があったからだ。右肩の写真がそれだ。知っている人が見れば、これが物のウィスキーであることは写真からでもおわかりいただけると思う。 この二つ、樽も違えば味も違う。私

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  • リテラシーの耐えられない軽さ : 404 Blog Not Found

    2007年04月06日18:30 カテゴリMoney リテラシーの耐えられない軽さ 金持ちの末席にいるらしい私からも一言行っておくか。 ネット生命保険 立ち上げ日誌: 当のおカネ・リテラシー 梅田さんのブログで紹介されていた、「お金のリテラシー」に関するエントリーを読んで、例えば自分の子どもたちに教えたい、当のファイナンシャル・リテラシーとは何か、考えてみた。ルール#1: お金については、管理や理解に労力を使うより、その労力で仕事をした方がよっぽど多く手に入る。だから、さぼらずにまずは仕事をしてみよう。 ファイナンシャル・アドバイザーの人たちには申し訳ないが、理論でも実践でもそうなのだから仕方がない。年収300万円の人がリテラシー向上で得られるのは、理論ですらたったの300万円。実際にはその1/10の行けば御の字。しかし仕事をちょっと頑張れば、300万を600万にするのはだれでも出来る

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  • なにかと使える『名言ポータルサイト』まとめ | POP*POP

    「人に何かを伝えたい時は、自分の言葉を代弁してくれる名言を使うと効果的だ」という話を聞いたことがあります。 名言には「偉人も言っていたという信頼性」と「キャッチコピーのようなわかりやすさ」という力があるからかもしれません。 そこで今回は名言のポータルサイトを集めてみました。なにかと使えるのではないでしょうか。 では以下よりご覧ください。 名言集.com 「人生」「ポジティブ」などのカテゴリー別、「映画」「ドラマ」「漫画」などのジャンル別に世界の名言が紹介されています。ブログに名言を表示するためのブログパーツも配布されていますよ。 » 名言集.com 心に残る名言集 以前、POP*POPでもご紹介したサイトですね。ドラマやアニメの名言が充実しています。ブログパーツも配布されていますよ。収録されている名言数は1,397です。 » 心に残る名言集 世界傑作格言集 「人生の格言・名言集」「愛の格言

    なにかと使える『名言ポータルサイト』まとめ | POP*POP
  • 経済学より重要なもの : 404 Blog Not Found

    2007年02月20日22:00 カテゴリSciTech 経済学より重要なもの その観点ならば、さらに重要なものがある。 経済学は厳密な科学ではないかもしれないがそれでも必要だ - FIFTH EDITION 弾さんとこからの引用だけど、これは「ためにならないと困る」レベルだと思う。 そう思うのは、もう一つには第二次大戦を引き起こした世界大恐慌のせいだろう。 心理学だ。 第二次世界大戦はなぜ起きたか? 大恐慌のためではない。大恐慌は藁ではあってもマッチではない。 誰が第二次世界大戦というマッチを擦ったのか? ヒトラーをはじめとする、当時の為政者達である。 ではなぜ彼らはマッチを擦ったのか? 火事をコントロール出来ると確信したからである。 なぜ彼らは火事をコントロール出来ると確信するに至ったのか? 市民を群衆に転じることにより、群衆が彼らの意のままに動いたからである。 何が市民を群衆に転じさ

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  • [書評]〈つまずき〉のなかの哲学(山内志朗): 極東ブログ

    以前は人に勧められたをよく読んだし、そうしたことで自分の視野の狭さを知るきっかけとなったものだが、いつからかそういうことが減ってきた。書「〈つまずき〉のなかの哲学」(参照)は、久しぶりにそうした契機で読んだものだ。一読して、なるほどな、私に勧めたくなるだな、ということがよくわかった(ありがとう)。「私」とは何か、人生とは何か、そういうものに私は今四十九歳までぶつかり続けた。これからもそうだろうが。 筆者山内志朗については私は知らなかったが一九五七年生まれとのことで私と同年である。もしかしたら過去のネット世界のどこかでハンドルとハンドルで遭遇していたかもしれないと思った。 書は率直に言うと私には読みにくいだった。理由は私にある。私が思考の柔軟性を失いつつあり、哲学書に対してまず哲学史的な特定の枠組みを求めてしまうことと、また、書で多く言及されているヴィトゲンシュタインについて顕著

  • 社会システムとルール社会を越えていくもの: 極東ブログ

    世界と「私」はどのような関係にあるのか。その関係はどのように変遷し、今、どう変わろうとしているのか、といった、青臭いネタを書く。話を簡素にするために、叩き台的に哲学者竹田青嗣「『自分』を生きるための思想入門」(参照)を使うが、話の筋は竹田の議論にそれほど依存しなくてもいい。ただ、その場合は議論が煩瑣になるというくらいだろうと思う。 同書については、ちょっと哲学志向のある高校生や大学生は読んでおくとその後人生が楽になるかもしれない。哲学プロパーな人は些細な点でいろいろひっかかえって途中で放り投げてしまうかもしれない。竹田の著作史的には、初期の現象学とこの時期特有の橋爪大三郎との交流の影響がある。それでも書の大枠は比較的近著「人間的自由の条件―ヘーゲルとポストモダン思想」(参照)までの射程を持っている。というか、むしろ先の書のほうが竹田思想のコアが見やすい。 まず古典的な世界象は未だ国会

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