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エジプトに関するLondonBridgeのブックマーク (5)

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    LondonBridge
    LondonBridge 2011/02/24
    デモで警官隊と対決したのはムスリム同胞団の若手と、サッカーのサポーター組織。 理由は警官との衝突になれてるから
  • なぜ中国人はエジプトに感動しないのか(フィナンシャル・タイムズ) - goo ニュース

    なぜ中国人はエジプトに感動しないのか 2011年2月19日(土)22:24 (フィナンシャル・タイムズ 2011年2月16日初出 翻訳gooニュース) アジア編集長デビッド・ピリング 「今日の私たちはみんなエジプト人」。中国人アーティストのアイ・ウェイウェイは地球の反対側からこうツイートした。ホスニ・ムバラクの権力構造が崩れゆく時のことだ。「30年間支配し続けた軍事政権が、たった18日で崩壊した」と書き、中国共産党の支配はその倍は続いているので、倒すのにもエジプトの倍はかかるかもしれないとふざけた。 カイロのタハリール広場に何十万人もの人がなだれ込む光景は、かつて別の広場で学生たちが主導した悲劇の抗議集会を思い出させる。1989年の天安門広場事件のことだ。エジプトの兄弟たちが何を実現したのか、中国の人たちが十分に知ることができれば、もしかしたらもう一度やる気になるかもしれないのだが。 「一

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    LondonBridge 2011/02/21
    中東と中国の違いについて
  • むらログ: エジプト革命。ネットが遮断されるまでの生活について。

    ムラバク辞任でエジプト革命は最初の山を越えたようですね。1月28日にネットが遮断された後の僕自身の経験は、その間に撮りためておいたビデオを「窓から見たエジプト革命(動画)」というエントリーでご紹介していますが、25日の革命勃発以降、28日の遮断までの間のことを何人かの方に聞かれましたので、ここに記しておきます。 さて、最初の大規模な衝突は1月25日に起きました。当日の朝は出勤前に自宅で日文化情報をtwitterで発信する業務をしていたのですが、デモの予定は知ってはいたものの、その頃はまだデモにあれほどの人数が集まるとはまったく思っておらず、以下のような書き込みでした。とりあえず、今日の日文化情報発信業務終了。これから職場に向かいます。デモは荒れるかな? http://twilog.org/JF_Cairo/date-110125 写真12枚、動画8、その他いろいろあります。授業でご紹

    LondonBridge
    LondonBridge 2011/02/17
    現地報告。 どのあたりで「革命」と感じたか、ネット遮断時の様子とか
  • 集まりや盛り上がりを支えるもの - レジデント初期研修用資料

    エジプトの市民革命は、ピーク時には数万人もの人々が広場に集まって、集会は20日間近く続いて、大統領を退陣に追い込んだ。 ああいう大きな人の流れは、もちろん政府当局に対する市民の怒りがあったのだろうけれど、あれは「数万人規模の人々を20日間、広場で生活してもらう」という、イベント運営の側面もあって、兵站や補給の側面から今回の革命を見直すと、とてもよく考えられていたなと思う。 エジプトのデモ広場を案内する記事を見ると、水場やトイレどころか、病院から幼稚園まで準備されていた。テレビで放映されたデモの映像には、人々が集まった真ん中に正円形のテント村が写っていて、集まった人がなんとなく作ったものにしてはずいぶん整った形をしていたのだけれど、実際に現場で行われていたことは、想像をはるかに超えていた。 べて休まないと動けない 学生時代に手伝い要員として参加したイベントでは、集まった学生を「生活させる」

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    LondonBridge 2011/02/14
    『「数万人規模の人々を20日間、広場で生活してもらう」という、イベント運営』 ただの「群集」ではなかった件について。 天安門と比較してみたいところ
  • むらログ: 窓から見たエジプト革命(動画)

    いろいろご心配をおかけしましたが、皆さんのおかげで、無事にエジプトを出て、オーストリア経由で昨日、帰国することができました。三ヶ月以内に事態が収まれば、再びエジプトで仕事をすることになります。 脱出に関しては、銀行もクレジットカードも使えない中、国際交流基金のカイロ日文化センターと東京部の皆さんのおかげで、無事にチケットを発行してもらうことができました。また、警察組織が崩壊したあとは、地元の自警団のみなさんのおかげで、悪化する治安にもかかわらず、出国するまで無事に過ごすことができました。 チケットの発行などはすべてセンターの職員のみなさんが動いてくれましたので、こちらは基的に自宅に籠城する生活でした。ですので、タハリール広場の様子などは1月25日以降は自分の目では何も見ていません。籠城中の生活は、テレビなどで見るショッキングな映像とは裏腹に、むしろ退屈に近いものでした。しかし、幸いな

    LondonBridge
    LondonBridge 2011/02/06
    特ダネ映像ではない,その日の日常風景
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