ブックマーク / number.bunshun.jp (10)

  • 97歳日本人が“70年前、初の海外組サッカー選手”だった? コロンビアにあった「ナゾの金満・海賊リーグ」とは(ファビアン・ロソ・カスティブランコ/沢田啓明)

    1949年から1954年までの約6年間、南米コロンビアに、選手たちから“エル・ドラード”(中世の冒険家が南米のどこかにあると信じた幻の黄金郷のこと)と熱烈に歓迎され、その一方で彼らを強奪された世界各国のクラブから“海賊行為以外の何物でもない”と非難された当時の世界トップリーグがあったのをご存じだろうか。 この世界フットボール史上空前絶後のリーグに、現代のパリ・サンジェルマン、チェルシー、レアル・マドリーにも似た、その名も「ミジョナリオス」(成金、大富豪たち)という金満クラブがあった。 このクラブでアルゼンチンの天才アルフレッド・ディ・ステファノ(注:1955年に創設された欧州チャンピオンズ・リーグで、レアル・マドリーのエースとして5連覇を達成。ペレが出現するまで「史上最高の選手」と評された)ら世界各国のスーパースターを「移籍金踏み倒し」という掟破りのやり方で獲得。強奪。他クラブも同じやり口

    97歳日本人が“70年前、初の海外組サッカー選手”だった? コロンビアにあった「ナゾの金満・海賊リーグ」とは(ファビアン・ロソ・カスティブランコ/沢田啓明)
  • 「10回やったら3回は勝てる」5部のクラブが天皇杯でJ1広島に快勝…サッカー未経験の分析官が語る“おこしやすの奇跡”の裏側(澤田将太)

    2021年、日サッカー界最大のジャイアントキリングは、天皇杯2回戦で起きた“おこしやすの奇跡”だった。関西1部リーグ所属のおこしやす京都ACが、J1の強豪サンフレッチェ広島を5対1で破ったのだ。その舞台裏には、「まともにボールを蹴ったことがない」と語るサッカー未経験の分析官がいた。(全2回の1回目/後編へ) 学生時代、部活に所属していなかった“サッカー店長”こと龍岡歩は、サッカーを見ることに多くの時間を費やした。高校卒業後は、9年間の海外放浪を経てサッカーショップに就職。並行して書いていた戦術ブログが関係者の目に留まり、サッカー素人でありながらJ3の藤枝MYFCに分析官として加入することなる。その後、おこしやす京都ACに活躍の場を移した龍岡は、先述したジャイアントキリングの当事者となった。 「試合前に『この試合勝てるよ』って言ったら、チームのみんなに笑われました(笑)。監督ですら10回に

    「10回やったら3回は勝てる」5部のクラブが天皇杯でJ1広島に快勝…サッカー未経験の分析官が語る“おこしやすの奇跡”の裏側(澤田将太)
  • 「五輪選考会の標準記録も可能」NFL屈指の俊足選手が100m走に挑戦 “ボルトより速い〇〇選手”論に終止符?(及川彩子)

    だけではなく、世界中で、サッカー、アメフト、野球選手のスピードがこんな風に紹介されることがある。俊足ぶりを表現したいのは分かるが、数字、記録を争う世界にいる陸上選手や関係者にとっては、見過ごせない内容だ。 ボルトよりも速い選手が他スポーツにいる? 50m走のタイムは手動で、選手自身のタイミングでスタートしていることが多いし、サッカー選手のプレー時の最高時速を単純に100mに換算されても、あくまでも仮説なのでボルトを超えたことにはならない。俊足の選手は、確かにその競技では突出したスピードを持っていることはまちがいない。だがボルトよりも速い、50mで日記録を超えるなどの表現は、陸上選手に対して敬意がないように感じる。 もちろん当該選手には非がなく、キャッチーな見出しをつけたり、正確性に欠ける数字をそのまま伝えているメディアに問題があるのだが、多くのスポーツファンはこう思っていたのではない

    「五輪選考会の標準記録も可能」NFL屈指の俊足選手が100m走に挑戦 “ボルトより速い〇〇選手”論に終止符?(及川彩子)
  • 箱根駅伝、前代未聞の“替え玉事件”とは?「誰も知らない日大ランナーが3区でごぼう抜き…」(近藤正高)

    1925(大正14)年1月6日、6回目となる箱根駅伝の往路で、ある事件が起きた。 このとき、日大学の第2区の走者だった前田喜太平は、区間賞の快走で、日大を8位から6位に引き上げて戸塚の中継所に飛び込んだ。しかしそこで待っていた3区の走者は、予定された吉田正雄ではなかった。前田は狐につままれたような気持ちを抱きながらも、とにかくその走者に襷を渡す。 この走者が予想外の活躍を見せる。先を走っていた明治大学、慶應義塾大学、日歯科医専、東京高等師範学校をごぼう抜きし、日大は一気に6位から2位へとのし上がった。戸塚では先頭の中央大学に7分半近く差があったのが、平塚の中継所で4区の走者・会川源三に襷を渡すまでに2分ほどに縮めていた。しかし、会川は、「選手が来たぞ! 日大だ」と観衆が叫ぶのを聞いても信じなかったという。その上、走って来たのは顔も見たこともない男だった。会川は驚きながらも、仕方がないの

    箱根駅伝、前代未聞の“替え玉事件”とは?「誰も知らない日大ランナーが3区でごぼう抜き…」(近藤正高)
    barringtonia
    barringtonia 2021/01/03
    タイトルの事件に限らない、20世紀初頭の日本の長距離界における人力車夫の存在感の大きさについて
  • 大人気バレー漫画『ハイキュー!!』は、なぜ“立体的”に見えるのか? 「他で見たことない!」3つの表現法(黒木貴啓(マンガナイト))

    人気バレーボール漫画『ハイキュー!!』(古館春一)の最終45巻がついに発売された。 中高時代にバレーボールに打ち込んだ作者の古舘春一は「バレーボールは面白いことを漫画で証明する」ことで選手時代の未練を晴らそうと、2012年に『週刊少年ジャンプ』(集英社)で作の連載をスタートした。当時3万7000人まで下がり続けていた高校男子バレーの競技人口は、作品の人気に伴い2019年には4万5000人を超えるV字回復を達成。コミックスのシリーズ累計発行部数は2020年7月時点で3800万部を超えている。 8年半の連載期間で『ハイキュー!!』では、バレー漫画のみならず漫画史全体に残るような独特な表現がいくつも編み出されてきた。コート上でどれほど駆け引きや迫力あるプレーが行われているのか――。知られざる一面が描かれるたびに、読者は「なんてバレーボールっておもしろいんだ」と心を躍らせてきた。 物語やキャラク

    大人気バレー漫画『ハイキュー!!』は、なぜ“立体的”に見えるのか? 「他で見たことない!」3つの表現法(黒木貴啓(マンガナイト))
  • ノンスタ石田が語る漫才と競技化(1)「M-1の影響でネタ作りが変わった」(中村計)

    その年のM-1が終わると「あの人はどう思ったのだろう」と感想が聞きたくなる人がいる。石田明さんはその代表的な1人だ。 漫才に点数がついて、優劣が決まる。 「漫才で点数を競う」この競技は、2001年に『M-1グランプリ』が始まる前は今ほどメジャーではなかった。 もちろん『M-1』以前から賞レース自体は存在したが、賞を獲ったから売れるというよりは、劇場でウケている芸人に送られる賞という意味合いが強かった。 『M-1』の登場は日の漫才シーンを、漫才のあり方を、芸人の考え方を大きく変えた。 競技化することで漫才はどう変わったか、そして変わらないものは何か。 2008年のM-1王者であり、そして芸能界屈指のお笑いオタクでもある『NON STYLE』石田明さんに話を聞いた。 ――漫才という芸能は来、笑わせさえすればいいものです。なのに、M-1という賞レースになると「キャラ漫才や物まねは評価されにく

    ノンスタ石田が語る漫才と競技化(1)「M-1の影響でネタ作りが変わった」(中村計)
  • 相撲は本当に体重が重い方が有利?番付が上がるほど小さくなる影響度。(西尾克洋)

    白鵬と比べても、かなり小さく見える炎鵬は99キロ。巨漢と戦う方法論を持ち合わせた小兵はいつの時代も人気だ。 国技館で最も歓声が上がるシチュエーションの1つとして、巨漢力士と小兵力士の対戦がある。 立合いから小兵力士のスピードが上回り巨漢力士がどう立ち向かうかという展開になりがちなので、主導権は小兵力士が握ることになる。小兵力士が勝っても負けても持ち味を発揮し、巨漢力士を翻弄するのは大相撲ならではの光景だ。 幕内で結果を残す小兵力士の人気が出るのは自然なことで、場内での「敢闘力士アンケート」は彼らが勝利すれば上位にランクインしやすい。対戦前に会場の雰囲気が逆風になる分、巨漢力士は気の毒ではあるのだが……。 さて最近の大相撲では、以前と比べて軽量の力士が幕内で活躍することが多い。白鵬の内弟子の炎鵬や伊勢ケ濱部屋の新星・照強、今場所は十両だが語学留学中にハリウッド映画のスカウトを受けたこともある

    相撲は本当に体重が重い方が有利?番付が上がるほど小さくなる影響度。(西尾克洋)
  • 大谷翔平の本塁打量産を支える“最強アオダモバット”の秘密。(鷲田康)

    事件”は5月1日の練習中に起こった。 シカゴ・カブスのダルビッシュ有投手が翌日のコロラド・ロッキーズ戦に備えて打撃練習を行なっていたとき、バットがグリップのちょっと上からヘッドに向けて斜めに大きくひび割れて折れてしまった。 実はこのバットは数日前にロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平投手からもらった「大谷モデル」だったのである。ダルビッシュはこのバットで4月27日のミルウォーキー・ブルワーズ戦では今季初安打となる二塁打も放っていた。 「バットを頂いたので早速使ったら2塁打を打てました。(中略)二塁回ってこけたので次はスパイクください」 こうツイッターで報告していた矢先に、その大事なバットを打撃練習で破壊してしまったのである。 「早速折ってしまいました。。なんでバッティング練習で使ってしまったんや。。」 後悔先に立たず。ダルビッシュはすぐにツイッターでこう悲嘆にくれるコメントをアップした。

    大谷翔平の本塁打量産を支える“最強アオダモバット”の秘密。(鷲田康)
    barringtonia
    barringtonia 2018/08/10
    アオダモ製バットの使用者が激減しているとのこと。北大の修論生が力学特性の樹種間比較をしていた(http://lab.agr.hokudai.ac.jp/woosci/timeng/theses/pdf/2006/2006mutoMC.pdf)/アオダモは著しくシカに好まれるので資源量はさらに減るかも
  • ダバディだけが知る本当の「ハリル」。“鬼才”前日本代表監督との3年間。(フローラン・ダバディ)

    ハリルホジッチ監督が解任された。 田嶋会長の会見を聞いた。 東京五輪を見込んで、全員日人で団結したかったということでしょうか。21世紀にしてその発想とは、虚しい。悔しい。 私は、単一民族主義は間違っていると思う。理性を働かせて理解することはできるが、必ず失敗することも知っているから。 ハリルさんが育った旧ユーゴスラビアの黄金期は、すくなくともスポーツや文化において、あらゆる民族、宗教、文化が混ざり合った'80年代だった。彼の母国であるボスニアで開かれた'84年のサラエボ五輪はその象徴だった。 サッカーでも、マラドーナのアルゼンチンを追い詰めたオシム監督のユーゴスラビア代表は人種のるつぼだった。ハリルさん自身も異なる民族の血を引き、国際結婚をし、異国(フランス)で自分の子供たちを育てたのだ。 だからコスモポリタンなハリルさんが日本代表の監督になった時、とても嬉しかった。日サッカーが変わる

    ダバディだけが知る本当の「ハリル」。“鬼才”前日本代表監督との3年間。(フローラン・ダバディ)
  • 最年少15歳で阪神に指名と、その後。辻本賢人、再挑戦の日々に悔いなし。(酒井俊作(日刊スポーツ))

    久しぶりに彼と会ったのは夏の盛りだった。兵庫・芦屋の焼き鳥屋で知人と飲んでいると、不意に姿を見せた。あどけない表情は消え、あごひげを蓄え、ハンチング帽がすごく似合う。貫禄すら漂い、すっかり大人の男に変わっていた。 「あの後、どうしていたんだ? 」 柔らかい関西弁は相変わらずだった。懐かしさもあって、つい聞き込んでしまう。無理はない。彼と長々と話したのは、もう7年前なのだ。日付も克明に覚えている。'09年10月1日。広島カープを取材していた昼すぎ、携帯電話が鳴った。 「お世話になりました。俺、トライアウトを受けます。まだまだ頑張ります」 そうか、ダメだったのか……。辻賢人が阪神にドラフト8巡目で指名されたのは'04年秋だった。無名どころか、中学3年の学年にあたり、ドラフト史上最年少の15歳で指名されると世間は驚き、一躍、脚光を浴びた。在籍5年間の奮闘実らず、タイガースを戦力外になった。前向

    最年少15歳で阪神に指名と、その後。辻本賢人、再挑戦の日々に悔いなし。(酒井俊作(日刊スポーツ))
    barringtonia
    barringtonia 2016/11/10
    育てられなかったのも阪神だけど、再起をサポートしたのも(阪神人脈の)藪やジェフだったのね。
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