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歴史と交通に関するbruskyのブックマーク (6)

  • 処女航海で沈んでしまった船・軍艦 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Attribution: Bundesarchiv, Bild 193-04-1-26 / CC-BY-SA 3.0 鳴物入りの処女航海であっけなく沈没した船たち 処女航海で沈んだ船といえばタイタニック号が有名です。 超豪華で当時の最新の造船技術を取り入れたタイタニック号は、流氷に衝突して船底から浸水し、海水の流入に耐えきれず2時間40分後に沈没します。 事故が起きた理由はいくつかありますが、その一つが氷河の情報を事前に得ていたにも関わらず、時間を優先し危険な航路を進んだことにあります。どんなに最新技術を注ぎ込んでも、運用する側に問題があるとどうしようもないという事例です。 この記事に登場する「処女航海で沈んだ船」たちもおおむね似たようなものかもしれません。 1. イギリス商船「テイラー号」 船体設計自体に問題があった最新客船 テイラー号は1854年1月、ホワイト・スター・ライン社のために

    処女航海で沈んでしまった船・軍艦 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
  • 東急の祖「五島慶太」は本当に“強盗"だったのか

    2023年3月11日、東急の前身・目黒蒲田電鉄(以下、目蒲電鉄)の最初の開業区間である目黒―丸子(現・沼部)間の開業から100周年を迎えた。同社の創立は、開業前年の1922年9月2日であり、この日が東急の創立日とされている。 東急は、創立100周年に合わせ『東急100年史』を編纂した。1973年4月の『東京急行電鉄50年史』発行から半世紀を経て編纂された100年史は、当然のことながら新たな視点で執筆されている部分も多い。 『100年史』で見直した視点 100年史の編纂に当たった、東急広報グループ主査の竹内敏浩氏は、大学時代に交通地理・交通史の大家として知られた故・青木栄一東京学芸大学名誉教授のゼミで学んだ経歴を持つ。学生時代に東急50年史を読んで下記の点に違和感を覚えたといい、100年史の制作に携われるのならば、見直したいとずっと思っていたという。 「当社は成長の過程で、池上電気鉄道(現・

    東急の祖「五島慶太」は本当に“強盗"だったのか
    brusky
    brusky 2023/03/11
    “強盗慶太vsピストル堤”あだ名がすごいな
  • 大阪に日本一の一方通行を作った男 | NHK | WEB特集

    大阪のメインストリート“御堂筋”。 欧陽菲菲、ドリカム、関ジャニ… 世代を超えて歌い継がれてきました。 この御堂筋、6車線もありますが、すべての車線が実は南向き。 一方通行の道路としては国内最大級です。 いったいなぜ一方通行なのか。 そこには一方通行に執念をかけた男の知られざるドラマがありました。

    大阪に日本一の一方通行を作った男 | NHK | WEB特集
  • 車は通行不能、倒木や落石がゴロゴロ…国道256号の“酷すぎる分断区間”を4時間かけて踏破してみた | 文春オンライン

    そんな峠道に、暗闇のなか突入するのはやめておこう――。そこでいい抜け道はないかと、私はスマホの地図アプリを眺めた。すると、飯田市上村から進路を西に変えて国道256号に入れば、その先の飯田市街から高速道路に乗れることがわかった。 実際の地図アプリの画面。国道152号から256号へ抜けるルートがわかる 国道256号へ向かうには、上村から一旦県道に入る。その道を3キロほど北に進むと、256号に左折できるようだ。早速県道に入り、北上する。……だが、明らかに3キロを過ぎても、一向に左折できそうな道が現れない。地図アプリを確認すると、既に256号への分岐点はとうに越えている。 どれだけ走っても見つからない道 「スマホの電波状態が悪いから、きっと現在地が正確に表示されてないのだろう」。そう思い、Uターンして分岐点付近に戻ってみたが、やはり道が無い。さらにUターンして行ったり来たりを繰り返したが、結果は同

    車は通行不能、倒木や落石がゴロゴロ…国道256号の“酷すぎる分断区間”を4時間かけて踏破してみた | 文春オンライン
    brusky
    brusky 2020/11/22
    “道幅は最も狭いところで靴の幅しかない。これが国道だと言われても、信じられないだろう。”階段国道は聞いたことあったけど、登山道国道もあるのか…
  • 【独自】「海の上を走る列車」の跡 高輪ゲートウェイ駅の再開発工事で出土:東京新聞 TOKYO Web

    JR高輪ゲートウェイ駅周辺の再開発工事現場から見つかった高輪築堤跡=いずれも東京都港区で、社ヘリ「おおづる」から 1872(明治5)年の国内初の鉄道開業時、東京湾の浅瀬に線路を敷設するため造られた「高輪築堤(ちくてい)」の遺構が、東京都港区の再開発現場から出土した。かつて「列車が海の上を走る」と東京名所に数えられたが、一帯の埋め立てで姿を消していた。遺構は断続的に約1.3キロメートルにわたり確認。保存状態も良好で、開業時の鉄道の様子や土木技術を知る貴重な手掛かりになりそうだ。(梅野光春)

    【独自】「海の上を走る列車」の跡 高輪ゲートウェイ駅の再開発工事で出土:東京新聞 TOKYO Web
    brusky
    brusky 2020/11/22
    海列車ではない
  • 中山道はなぜ北寄りに膨らんでいるのか?

    米澤穂信 @honobu_yonezawa 小説を書いています。実のある話はしないことにしています。未発表の刊行予定に関するご質問にはお答え出来ません。 pandreamium.sblo.jp

    中山道はなぜ北寄りに膨らんでいるのか?
    brusky
    brusky 2020/09/27
    単純距離より高低差が少ない方というのはわからなくもない。平地のほうが街も発展するしね。
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