藤田貴大に関するdog1cat3のブックマーク (5)

  • 今日マチ子の稽古場日記。 - ほぼ日刊イトイ新聞

    こんにちは、マンガ家の今日マチ子です。 この夏、わたしのマンガ『cocoon』が、 「マームとジプシー」によって舞台化されます。 戦争と少女というテーマを描いた『cocoon』が、 20代を中心とした若い人たちによって、 どんな世界になっていくのか。 原作者として、「マームとジプシー」ファンとして、 そしてなにより、この舞台をつくる一員として、 この絵日記を通して、 舞台の魅力を伝えられればと思います。 ※公演は終了しました。 マームとジプシー8月公演 「cocoon」 日程:2013年8月5日(月)~15日(木) 会場:東京芸術劇場シアターイースト 原作:今日マチ子『cocoon』(秋田書店) 作・演出:藤田貴大 音楽:原田郁子(クラムボン) ※一般のチケット予約は、 連載開始の6月25日(火)より前の 6月20日(木)午前10時開始です。 詳細は「マームとジプシー」の公式サイトまで。

  • 藤田貴大×川上未映子の叫び「まだ全然言い足りてない」 | CINRA

    2012年、三連作『かえりの合図、まってた卓、そこ、きっと、しおふる世界。』で『岸田國士戯曲賞』を受賞した演劇作家・藤田貴大。彼が主宰を務める劇団・マームとジプシーは、音楽家の大谷能生や演出家の飴屋法水、漫画家の今日マチ子らと共作を発表し、2013年には『cocoon』を上演し多くの注目を集めた。昨年は海外公演も成功させた彼らが、初めての全国ツアーをスタートさせる。そこでタッグを組んだのは、詩人にして小説家の川上未映子だ。 二つの才能による共作が最初に実現したのは、2013年9月の『初秋のサプライズ──ユリイカ×川上未映子×マームとジプシー』。川上の過去作である『冬の扉』『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』、さらに公演のために、震災をテーマにした『まえのひ』が書き下ろされ、3篇がリーディング公演という形で上演された。川上が『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』(以下、『先端で~

    藤田貴大×川上未映子の叫び「まだ全然言い足りてない」 | CINRA
  • 『BRUTUS』

    ふたりともすごく緊張してたんですが、 仕上がり見るとなんかふじたくん妖艶だしわたしドヤ顔だし 紀信さん、すごいですね・・ よかったら見てみてください 今日は GLAYの素晴らしさを全身で表現しておりました

    『BRUTUS』
    dog1cat3
    dog1cat3 2014/02/13
    BRUTUSを見て藤田貴大とはなんぞやと思ってググってたら夢中になってしまった
  • 藤田貴大 | シーンの反復(リフレイン)で甦る少女たちの心象風景 | Performing Arts Network Japan

    藤田貴大Takahiro Fujita 1985年4月生まれ。北海道伊達市出身。劇作家、演出家。桜美林大学文学部総合文化学科にて演劇を専攻。2007年に「マームとジプシー」を旗揚げ。作品ごとにキャストとスタッフを集め、公演を行っている。作品を象徴するシーンを幾度も繰り返す“リフレイン”を創作の特徴とする。2011年に発表した3連作『かえりの合図、まってた卓、そこ、きっと、しおふる世界。』で第56回岸田國士戯曲賞を26歳で受賞。以来、様々な分野の作家との共作を積極的に行うと同時に、演劇経験を問わず様々な年代の参加者との創作にも意欲的に取り組む。太平洋戦争末期の沖縄戦に動員された少女たちに想を得て描かれた今日マチ子の漫画『cocoon』(2013年、2015年)を舞台化。同作で2016年に第23回読売演劇大賞優秀演出家賞受賞。演劇作品以外でもエッセイや小説、共作漫画など活動は多岐に渡る。 マ

    藤田貴大 | シーンの反復(リフレイン)で甦る少女たちの心象風景 | Performing Arts Network Japan
  • Produce lab 89 presents 「官能教育 藤田貴大×中勘助」 – ワンダーランド wonderland

    ◎受苦と繋がれるわたしたちの回路 鈴木励滋 藤田貴大は間違いなくこの国において現在最も演劇に愛されている青年のひとりであろう。彼が主宰する「マームとジプシー」は昨年、ほぼふた月に1という何かに憑かれたかのようなペースで作品を世に送り出した。どれもが多くの人たちから高く評価をされ、演劇評論家の扇田昭彦は『塩ふる世界。』を朝日新聞の年末恒例「私の3点」に選出したほどであった。(註1) 今年もますます演劇界においてもて囃され、彼もまた期待に十二分に応えていくのであろう。この点において疑義を呈する気は毛頭ないのであるけれども、だがしかし、どうもその辺りにわたしはあまり興味がない。それは、わたしが彼の行為を演劇という枠に納まらないものなのではないかと考えていることとも関係している。とはいえ、ここではダンスや映像という別ジャンルの表現への越境という話ではなくて、思想とか生きざまといった方への広がりの

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