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篠塚健一記者に関するgyogyo6のブックマーク (4)

  • 松竹の新喜劇、吉本との違いは? 涙と笑い、浮き沈み:朝日新聞デジタル

    「新喜劇」といえば大阪。でも吉じゃなく、松竹を知っていますか。笑いあり、涙あり。あの伝説的なスターを失って四半世紀。松竹新喜劇の歩みといまは。 その誕生は 江戸時代から「にわか」と呼ばれる滑稽な即興劇が盛んな大阪で、歌舞伎界から転じた曽我廼家(そがのや)五郎、十郎の一座が「改良大喜劇」を掲げて公演したのは1904(明治37)年のこと。日露戦争と庶民生活を絡めた「無筆の号外」を大当たりさせ、喜劇を定着させた。 だが、笑いの中にも教訓的な芝居をした五郎と、ナンセンスな面白さを追い求めた十郎は10年ほどでたもとを分かつ。喜劇団の離合集散を経て、戦後の1948年に松竹のもとに団結して生まれたのが松竹新喜劇だ。一方、吉新喜劇を吉興業が始めたのはそれから11年後。後発の立場で、独自のドタバタ路線を築きあげる。 戦前からの芝居の伝統と繰り返… こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお

    松竹の新喜劇、吉本との違いは? 涙と笑い、浮き沈み:朝日新聞デジタル
    gyogyo6
    gyogyo6 2015/05/10
    篠塚健一記者
  • 破天荒な枝雀流、原点は 弟弟子と弟子が語る:朝日新聞デジタル

    桂枝雀。破天荒な高座、伝説的な爆笑……。桂米朝門下で枝雀の弟弟子のざこばと米団治、枝雀の弟子の南光と雀三郎の4人が語る。     ◇ 〈桂枝雀〉 神戸市生まれ。1961年に桂米朝に入門し、小米を名乗る。73年に枝雀を襲名した。爆笑落語で一時代を築き、99年に59歳で亡くなった。     ◇参加者=ざ(桂ざこば)、南(桂南光)、雀(桂雀三郎)米(桂米団治)     ◇ 南 弟子の中では、私と雀さん(雀三郎)だけが小米(こよね)時代に入門してるんですよ。師匠がそんなに知られていないころに「この人はすばらしい」と見つけたんです。 雀 「べかこ(南光の前名)と雀三郎が育ってくれたらそんでええねん」。そう言われたこともありましたよね。雀々(弟弟子)はスネてましたけど。 ざ スネたといえばオレもそうやねん。焼きもち焼いて。それまでは「朝丸(ざこばの前名)、朝丸」とかわいがってもらって。弟子ができたら「

    破天荒な枝雀流、原点は 弟弟子と弟子が語る:朝日新聞デジタル
    gyogyo6
    gyogyo6 2014/07/01
    この4人が語ってるのに、文中に「(笑)」はひとつも出てこない。「(笑)」なんて記号はいらんかったんや。
  • 朝日新聞デジタル:(人生の贈りもの)西川きよし(67):1 - カルチャー

    gyogyo6
    gyogyo6 2013/08/31
    夕刊連載で西川きよしの昔語り。強烈な貧乏話からはじまるが、非常に面白いので無料登録して読みましょう。
  • asahi.com(朝日新聞社):「M―1グランプリ」 10年の歴史に幕 - 演芸 - 舞台

    最後の「M―1グランプリ」で優勝した笑い飯。ボケとツッコミを規則的に交代する「Wボケ・Wツッコミ」漫才は、この大会で全国区になった=2010年12月26日、東京・テレビ朝日  21世紀のお笑いブームをリードした「M―1グランプリ」が昨年暮れ、開催10回の節目で幕を閉じた。年が明けた8日に亡くなった元フジテレビプロデューサー横澤彪さんらが仕掛けた1980年代の「MANZAIブーム」をきっかけにお笑い芸人のテレビタレント化が急速に進んだ中、地道に漫才に取り組む芸人たちに起死回生のチャンスを作る仕掛けでもあった。  「キャラやギャグがないと、なかなか東京には行けません。M―1のおかげで、やっと行けた」。そう振り返るのは京都出身で2006年の優勝コンビ、チュートリアルの徳井義実。見た目のインパクトのある手軽な瞬間芸の方が注目されやすいテレビの世界では、作り込んだネタは敬遠されがち。タレントとして活

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