「新喜劇」といえば大阪。でも吉本じゃなく、松竹を知っていますか。笑いあり、涙あり。あの伝説的なスターを失って四半世紀。松竹新喜劇の歩みといまは。 その誕生は 江戸時代から「にわか」と呼ばれる滑稽な即興劇が盛んな大阪で、歌舞伎界から転じた曽我廼家(そがのや)五郎、十郎の一座が「改良大喜劇」を掲げて公演したのは1904(明治37)年のこと。日露戦争と庶民生活を絡めた「無筆の号外」を大当たりさせ、喜劇を定着させた。 だが、笑いの中にも教訓的な芝居をした五郎と、ナンセンスな面白さを追い求めた十郎は10年ほどでたもとを分かつ。喜劇団の離合集散を経て、戦後の1948年に松竹のもとに団結して生まれたのが松竹新喜劇だ。一方、吉本新喜劇を吉本興業が始めたのはそれから11年後。後発の立場で、独自のドタバタ路線を築きあげる。 戦前からの芝居の伝統と繰り返… こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお