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ブックマーク / anzenhoshounobenkyou.hatenablog.com (2)

  • 現代の魚雷 - 海洋立国論

    「魚雷」(ぎょらい)名前くらいはご存知でしょうか。 正しくは「魚形水雷」と呼びます。 魚雷の歴史は古いのですが、日はこの分野では先の戦争(大東亜戦争・第二次世界大戦)から現在まで最も高性能な魚雷を開発・運用し続けています。 魚雷の構造はざっと「弾頭部(炸薬が入っています)」と「機関部(エンジン・モータ)」「推進機(プロペラ・ウォータージェット)」で構成されています。 先の戦争で日は「酸素魚雷」を世界に先駆けて開発しました。 これはエンジンの酸化剤に純酸素を使用したもので他国ではなかなか実現できなかった技術です。 通常の窒素の混じった空気は燃焼後に二酸化炭素を排気するため、水面に白い泡の形で航跡が見えるため、攻撃後に発見されやすく回避される可能性が高かったのですが、酸素魚雷は燃焼後に排出するのは、水に溶けやすい炭酸ガスであるため航跡がほとんど見えないものでした。 また、空気と異なり結果的

    kamm
    kamm 2020/10/15
    良ブログだと思うのにブクマがない
  • 戦艦・大和(後編) - 海洋立国論

    大和の後半生を見ていきます。 【世界最大の巨艦就役】 ハワイ真珠湾攻撃時にはまだ就役していなかった大和ですがその後すぐに就役、翌年2月に連合艦隊旗艦になりました。兵器としてはもはや無用の長物であり貴重な燃料をうわりに低速な巨艦。 しかし威容を誇る美しい艦形はやはり多くの関係者を魅了した事でしょう。 【ミッドウェー海戦】 1942年(昭和17年)5月に連合艦隊司令長官山五十六は早期講和を目指し、ミッドウェー作戦を実施しましたが、6月5日に機動部隊の主力空母4隻(赤城・加賀・蒼龍・飛龍)を喪失しました。 この時、山長官の乗った「大和」はミッドウェー攻略隊として600キロほど後方にいましたが、空母がいなくなった艦隊ではミッドウェー攻略も難しくなり引き返しています。 その後トラック泊地に停泊する事が多くなり、前編で書いた「大和ホテル」と呼ばれます。 【戊号(ぼごう)輸送】 1943年(昭和

    戦艦・大和(後編) - 海洋立国論
    kamm
    kamm 2020/10/15
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