赤神諒さんの読切が登場!白井智之さんの人気シリーズは予想をはるかに超えるサプライズが!?相場英雄さんの新連載、今野敏さんの最終回も必読です。
突然ですが! これから「江戸時代までの日本は『性におおらかな社会』だったが、西洋的/キリスト教的価値観の輸入がそれを潰した」とかいうなぜか世間にはびこる謎幻想、およびその手の害毒史観のもとで作られた『春画先生』という映画の問題点についてキッチリ語らせていただきます。 ……つーかとっくに上映終了している映画について今さらウダウダ指摘するのもなんだと思ったけど、やっぱ今年のムカつきは今年のうちに全部吐き出しておかねば気が済まぬ。 かなり長くなるだろうけど、しばしお付き合いいただければ幸い。 そもそも。 「おおらか論」に与する人たちってのは、当時に春画・春本の類が何の制約もなく出版され、大衆がそれを白昼堂々と買うことができたと思ってるんだろうか? 例えば明和年間に京都の書店組合が発行した『禁書目録』には好色本が多く掲載されているし、為永春水ほどの才気ある戯作者も、たかが『春色梅児誉美』程度のハー
久しぶりに机の上を整理していたら、1月16日付けの朝日新聞朝刊の切り抜きが出てきた。今年は関東大震災の発生から100年にあたる。28年前に起こった阪神・淡路大震災と併せて、1月に開催された「復興・減災フォーラム」(関西学院大学災害復興制度研究所主催、朝日新聞社後援)の内容が報告されている。 私がこれを切り抜いたのは、作家で大阪芸術大学教授の玉岡かおる(1956年、兵庫県生れ。敬称略、以下同)が、「特別講演」で賀川豊彦かがわとよひこ(1888ー1960)について語っていたからだ。 農民組合・労働運動の指導者、生活協同組合の生みの親として、またミリオンセラーの自伝的小説『死線を越えて』(改造社、1920年)の作者として知られる賀川は、20代以降の10年余を、兵庫県神戸市のスラム・新川しんかわに住み込み、キリスト教伝道と救貧活動に励んだ。 そこでの見聞などを『貧民心理の研究』(警醒社、1915年
この記事は、本が読めないWEBライターが初めて芥川龍之介の本を読むだけの記事です。 <この記事に出てくる人> WEBライターなのに本が読めない。文字そのものが苦手なので自分が書いた記事を読み返すこともしない。 友達。みくのしんが本を読む手伝いをする。 今日、みくのしんが読むのは芥川龍之介の『トロッコ』 中学生の教科書に採用されているので、読んだことがある人も多いかもしれませんね。 みくのしんに見せたところ、「タイトルは聞き覚えがある!」「トロッコっていいよね!」「ドンキーコングのトロッコステージ好きだった!」と言っていたので、きっと最後まで読んでくれることでしょう。 ▼編集部注 予め申し上げておきますが、この記事はとても長いです。 普通に「トロッコ」を読むより長いです。何卒ご了承ください。 みくのしんは「芥川龍之介」って知ってる? 一回だけ観たことある。「ALWAYS 三丁目の夕日」に出て
タイトルがあまりにも物騒で申し訳ないが、このタイトルをつけたいきさつを語ろうかと思う。 あれは高校三年生の時だ。 季節は冬だった気がする。 女子高校生だった私は学校まで30分くらいの道のりを自転車で爆走して登校していた。 春の暖かな日差しも、夏の暴力的に照り付ける日差しも、秋の落ち着いた心地よい風も、冬の痛いくらいの張り詰める空気でも自転車に乗っていた。 そんな中、高校三年生の冬の時期。 自転車のサドルに跨っていた時に違和感を生じたのである。 「あれ……? なんか……」 股間部分に変な感触がある……と自転車に乗っていて気が付いたのである。 走行中に確認することもできず、学校に着いても至って普通に過ごした。 自宅に帰ってから、自転車での違和感を確認したのである。 「こ、これは……」 めちゃくちゃ際どい股間に近い部分に、しこりのようなものがあった。 それは熱を帯びていて、痛みもある。 触れてみ
●労働と読書は両立しない? 麦「俺ももう感じないのかもしれない」 絹「……」 麦「ゴールデンカムイだって七巻で止まったまんまだよ。宝石の国の話もおぼえてないし、いまだに読んでる絹ちゃんが羨ましいもん」 絹「読めばいいじゃん、息抜きくらいすればいいじゃん」 麦「息抜きにならないんだよ。頭入んないんだよ。(スマホを示し)パズドラしかやる気しないの」 絹「……」 麦「でもさ、それは生活するためのことだからね。全然大変じゃないよ。(苦笑しながら)好きなこと活かせるとか、そういうのは人生舐めてるって考えちゃう」 (坂元裕二『花束みたいな恋をした』p114、リトル・モア、2021年) 生活するためには、読んで何かを感じることを、手放さなくてはいけない。そんなテーマを通して若いカップルの恋愛模様を描いた映画『花束みたいな恋をした』は、2021年に公開され、若者を中心にヒットした。私自身は主人公の年齢とほ
LOUIS GARNEAU ルイガノ LGS-CM CARRY MEタイプ ミニベロ 8インチ いつか乗るつもりで大切に大切に保管していました。 しかし外に停めたらいつ誰かに取られるかという恐怖心が先にあり、一度も乗ることができません。 私はこの自転車をあまりにも好きすぎたのです。 先日 旦那がこの自転車を 邪魔だからと 1日外へ出しました。 私に無断で。 喧嘩になり、 価値のない自転車と言われたので、 価値のある所を旦那に見せつけようと思い出品します。 ついでにきちんと乗ってもらえる人のところへお嫁に行ってもらいたいと思います。 美品です。 タイヤに空気は入っていません。 送料込みです。 よろしくお願いします。 (2022年 3月 29日 6時 41分 追加) 追記 オークション終了が週末ですが、現在勢いで家出して来ております。 神奈川県→福岡 発送が月曜日か火曜日になると思います。 よ
かれこれ5年前くらいに息子が生まれて、かれこれ5年くらいの月日が流れたので、かれこれ息子が5歳くらいになっていて、当然自我も芽生えている。で、この息子の自我というのが、全然気が合わへんわ~、友達なれへんわ~!! 幼稚園で友達とどんな話をしてたかとか聴いてもめっちゃしょうもない話しかしない、なんでそんなしょうもない奴とつるんでるねんって思うことめっちゃある。おもんない奴の後ろをひっついて歩くなよ、もうちょっとお前がどうこうするみたいなんできひんのかい、めっちゃ思う。息子のことは素直なやつなんだなと思う。素直なやつだから、自信満々なやつが自信満々に喋ってることを「そうなんだ」と鵜呑みにして信じてしまってついていってしまうところがあるから、俺からすると「なんやそのしょうもない話」みたいな幼稚園の友達から聞き齧っただけの話を「●●くんがこういう風に言ってたんだよ」と嬉しそうに報告してくる。辟易する
苦学生を失敗させて儲けよう 明治の三〇年あたりから昭和一五年くらいまで苦学が流行し続けた。苦学とは自ら稼ぎながら学資を得て学校を卒業することである。 戦前の苦学生は基本的に失敗する。なぜなら苦学を失敗させるような仕組みが、明治三五年には構築され長く維持されたからだ。世の中の至る所に罠が仕組まれており、多くの若者たちが騙され続けた。一種の苦学失敗システムとでも呼ぶべきもので、中でも多くの苦学生を苦しめたのが苦学者支援団体だった。 こわい 苦学者支援団体の仕組 苦学者支援団体はタコ部屋労働(地獄部屋)と就職詐欺、そして偽装サークルを組合せたような組織で、ここに入った時点で八割方苦学は失敗に終ってしまう。もちろん苦学者を狙ったタコ部屋も就職詐欺も偽装サークルもあったのだが、苦学者支援団体の仕組みは少し複雑だった。 彼らがどのように苦学生たちを騙していたのか具体的に紹介すると、例えばこれを読んでい
皆さま、ごきげんよう。 それまで当たり前だったものが、ある日を境に当たり前じゃなくなる。 そこでいったん落ち込むんですけど、それを乗り越えた先に絶対に新しい出会いがあると思っている、きゃりーぱみゅぱみゅです。 例えば、紅白とか歌番組に出れなくなったり、フェスに出れなくなったり、またはフェスに出れたとしてもステージが小さくなったり…。それまで続いてたものが急になくなるとヘコみます。 でも、そこで「いや、出れてたことが奇跡だったんだ」とか「じゃあ、違うことに全力を出そう!」と思ってがんばると、別のプロジェクトがうまくいったりするもので、私は“断つ”ということは“目線を変える”ことと同じだと捉えています。 恋愛もそうです。ずっと元カレのことを引きずっているときは、いい人がなかなか現れなくて、もう忘れようと思ったタイミングでいい人が現れたりしますよね? 少なくとも私の人生ではそうでした。 だから、
IT人材が不足してるんだって。零細Web制作会社で言えば、退職者が残したubuntu12サーバーに眠るRails5アプリをすぐにDDDでマイクロサービスに再構成して、jQuery満載のコードを全て読み下したうえで、フロントエンドをReactかなんかのSPAに全部書き換えて、E2Eを含めた自動回帰テストを整備して、ついでにCIも整備して、k8sにデプロイできるようにして、ドキュメントは小まめに残し、職場の心理的安全性を落とさず、飲み会にはかかさず参加、役員との関係も良好で、定期的な勉強会も開いてくれて、それでも残ったプライベートの時間を最新の技術動向やセキュリティ情報の収集に全量突っ込んでくれる、そんなごく当たり前のエンジニアが不足している。ついでに言うと、人類の原罪を一身に贖ってくれるスキルの持ち主も不足しているらしい。多分、我々はもっと求人サイトに金を払うべきなんだろうね。 同業者から、
競技から退いて7年以上が経つ今日も、その名と演技はフィギュアスケート界に強く刻まれている。 大会の1年前には「代表候補の6番手」と評価される位置にいながらそれを覆し、2014年のソチ五輪に出場した。5位入賞を果たすと同シーズンの世界選手権では銀メダルを獲得した。鮮烈な1年を過ごし、翌シーズン、4位となった全日本選手権の会場で引退を発表した。 その後、アイスショーで活躍するかたわら研究者の道へと進み、現在は國學院大学で助教を務める。 2018年10月6日にプロを引退して以来、アイスショーのリンクには立っていない。それでもスケーターとして残してきた演技の記憶は風化することがない。町田ならではの表現とともに築かれた世界があった。それを思えば、「自己表現がまったくできなかった」というのは意外な感があった。 「学校でも手を挙げられない、何か発言をしようとすると心臓ばくばくで倒れそうになってしまうくら
さあ、行くわよ? きゃりーぱみゅぱみゅの 「大人なLADYになるわよコラム」第25回〜『インフルエンサーの闇に迫るわよ』〜 LEARN 2022.04.06 きゃりーぱみゅぱみゅが「大人なLADY」を目指す日々を綴る連載。おかげさまで、話題沸騰です。第25回は「怪しい〝Thank you〟」のお話。 皆さま、ごきげんよう。そんなにフォロワー数が多くないインフルエンサーたちが、ブランドの新作バッグをインスタのストーリーに載せてるのが不思議で仕方がない、きゃりーぱみゅぱみゅです。これ、Hanako読者の皆さんならきっとわかってくれると思っています。 だいたい、そのバッグと一緒に「Thank you」って書いてあるんですよね。要するにブランドから宣伝のためにバッグをもらって、それをインスタに載せてる(こういうのを「ギフティング」っていうそうです)というわけなんですけど、そんなにフォロワー数がいな
正確には買ったものじゃないんですが、そして良かったものでもないんですが、奇遇・遭遇したものがあります。僕は朝起きると、ノニジュースという酵素飲料を飲んで、その後でソファーにうつぶせになって二度寝する習慣があるんですよ。ある日、そろそろ起きようかと思っていたら、ひじのあたりに激痛が走って、皮膚が切れていました。しかも血がポタポタ落ちるくらいの深い傷になっていた。バンドエイドを貼って、ソファーにこぼれた血を拭いて、しばらくしてから、これはかまいたちだなと気が付きました。 室内ですが、ねずみにかじられたわけでもないですし、かまいたち以外は考えられないですね。子どものころに原っぱで野球をしていて、かまいたちに遭遇することってあったじゃないですか。あれは草で切れたのではなくて、風や温度などの条件で、空気の中に真空ができて、その真空が戻る瞬間にかまいたちという現状が起こると言われています。でも今や大人
高齢者の問題として話題になることが多かった「孤独死」だが、単身世帯(一人暮らし)が全年代で増えているいま、年齢を問わない問題になりつつある。そして2020年7月には、遺品整理や特殊清掃を行う株式会社ToDo-Companyから「オタクの孤独死が急増」と発表されたのを目にして、落ち着かない気持ちになった一人暮らしの人も少なくないだろう。俳人で著作家の日野百草氏が、好きなものに囲まれてこの世を去ったオタクの死について考えた。 * * * 「葉月のやつ、まだブラウン管だったのか、最期まで変わらないな」 限りなく埼玉に近い東京都区部、親御さんの許可をいただき見慣れたアパートの一室に入る。もう20年以上前か、このアパートでネオジオの格闘ゲームに興じたり、古いアニメを見てはああでもない、こうでもないと一晩中語り合ったのは。部屋の中は驚くほど変わっていない。時が戻ったみたいだ。このアパートの住人は、葉月
一ヶ月前、ぼくはワクチンの接種を受けた。注射器の形はわいせつな形をしていた。ぼくらの世界には表の世界との秘密コネクションがあって、品不足とされているワクチンも、独自のルートで入ってくる。日本代表のわいせつ石こう職人のぼくは、優先してワクチンの接種ができたのだ。 四年に一度の、大会が始まる。この大会の起源はわかっていない。最初の村で行われていた村祭りが大きくなったというものもいるし、村がいくつにも増え、その交流の場として生まれたという研究者もいる。 やがてこの祭りは大きくなった。日本の津々浦々に隠れ住んでいるわいせつの村の者たちが集い、その技量を比べ合う大会となった。開催は四年に一回。ひそかに日本国中からこの道の猛者たちが集い、二週間それぞれの技を競い合う。勝利者には金色に輝くわいせつな形のメダルが贈られることになった。 この大会がさらに大きくなった。世界各国にも、ぼくたちと道を同じくする村
丸山眞男(一九一四‐九六年)をめぐっては擁護論と批判論の双方の立場から膨大な量の議論があり、「丸山産業」が成り立っているという観さえもある。その膨大さおよび賛否双方の熱量は、その枠外にいる人間――私自身を含め――にとっては「食傷気味」という感覚を引き起こす面がある。それでいながら、丸山本人についても各種丸山論についても完全に無視することはできず、どこかしら気になるという感覚も去らない。私は丸山自身についてであれ、膨大な量にのぼる丸山論についてであれ、系統的に追ってきたわけではないが、それなりに気にかけてはきた。若い頃から丸山の種々の著作――『日本政治思想史研究』『現代政治の思想と行動』『日本の思想』『後衛の位置から』『戦中と戦後の間』『「文明論之概略」を読む』『忠誠と反逆』等々――を折りにふれて読んできたほか、死後にあらわれた種々の丸山論についても、網羅的にではないにせよ代表的と思われる著
「ではみなさんは、そういうふうに川だといわれたり、乳の流れたあとだといわれたりしていた、このぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか」 先生はそういった。そう問うた先生も、その白いものがなにかわからない。ぼくらの町はつねに謎の白い煙に包まれている。 その煙を出しているのは、数百本もあるえんとつだ。えんとつはどれもわいせつな形をしていて、大きなものは先端が見えないくらい長かったし、小ぶりながらもどうどうと反り返って、もくもくと煙を出しているものもある。 えんとつをようする工場では、ぼくたちの一族がわいせつ石膏を作るための、たいせつな材料を作っている。この町はそのために作られたのだ。一族のために、一般人の政治の世界で権力をにぎったものがいて、町に危険な発電所を建てたりして、海に面した山あいのこの町を、世間から隠してしまった。そして、町の内外の行き来をたいへんむずかしくしてしまった。 とは
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