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ブックマーク / diary.uedakeita.net (3)

  • かわいいは作れるけど作れない - 真顔日記

    去年の秋、近所の並木道を歩いていた。すると木の葉が落ちてきた。しかし私は気づかずに、しばらく頭に木の葉をのせたまま歩いてしまった。 その結果、化け忘れたきつねみたいになっていたんだが、あのときの自分、異常にかわいかったんじゃないか。三十すぎた男の言うことじゃないが、頭に木の葉をのせたまま歩いちゃう俺、超かわいいと思う。 もしも女の子の頭に木の葉が落ちてくる瞬間を目撃したら、それだけで好きになってしまいそうだ。たとえば対面でカフェテラスに座っていて、向こうはうれしそうに何かを話していて、その頭にひらりと木の葉が落ちてくる。その一瞬だけで恋に落ちる自信がある。その後、木の葉に気づいた女の子が、照れながら自分と視線を合わせれば最高だ。私は空を見上げて、太陽に「ありがとうッ!」と言う。なんとなく、いちばん巨大なものに感謝したいので。 大学生の頃、彼女が部屋に泊まりにきた。真夏の夜だった。私たちは二

    かわいいは作れるけど作れない - 真顔日記
    kotoripiyopiyo
    kotoripiyopiyo 2018/02/09
    わらた。書いててそういう風になることある。“激しい渦が文章を飲み込もうとしており、その渦の中心には常にaikoがいる”
  • aikoが「好きだけじゃ済まなくなりそう」と言い出した時の、まだ変身を残していたのか感について - 真顔日記

    長いタイトルがそのまま今回の要約である。 今日も日常におけるひとつの所作としてaikoを聴いていたんだが、『秘密』という曲でaikoが「なんだか好きだけじゃ済まなくなりそうで」と歌っているのを聴いて、あらためて衝撃に打たれた。 はじめにみなさんに知っておいてほしいのは、aikoの使う「好き」は、普通の人間の「好き」とは別ものだということである。普通の人間が日常的にホイホイ使う「好き」と、aikoの「好き」を同一にみなしてはならない。たとえば気まぐれで入ったカフェの珍デザートをべた女子の言う「あたしこれ好きかもー」をカナブンとするならば、aikoの「好き」は巨大なゾウの足である。ズシンという音の一発でカナブンはつぶれて死ぬ。 aikoが「好き」と言った場合、「あなたのことで18年200曲書けます」くらいの意味が平気で込められているのであり、この人が何かを「好き」と言ったならば、それはもう身

    aikoが「好きだけじゃ済まなくなりそう」と言い出した時の、まだ変身を残していたのか感について - 真顔日記
  • スラムダンクの深津をほめるおじさんについて - 真顔日記

    スラムダンクの深津をほめるおじさんについて書きたい。 そのためには、まずスラムダンクの説明をしなければいけないが、これはまあいいだろう。九十年代を代表するバスケ漫画である。読んだことのない人も題名くらいは知っていると思います。 次に深津である。これは少し説明が必要かもしれない。湘北高校が物語の最後で対戦する相手、山王工業のキャプテンだ。 深津は作中で一度も笑顔を見せない。徹底的にクールなキャラクターとして描かれている。ちなみに語尾は「ピョン」。このへんは作者のバランス感覚だろう。どこかに隙を作らないと怖すぎると思ったのではないか。 これくらいで準備はいいだろう。ということで、今回の主題である「スラムダンクの深津をほめるおじさん」の話だ。これは作中に少しだけ登場するキャラクターなのである。画像を引用しておこう。完全版20巻52ページ。 「深津だ。いつも黒子役に徹する深津のパスがあっての山王工

    スラムダンクの深津をほめるおじさんについて - 真顔日記
    kotoripiyopiyo
    kotoripiyopiyo 2016/07/28
    個人ブログってこのくらいが丁度いい
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