20世紀のアメリカを代表するジャーナリスト、ウォルター・リップマンはユダヤ系の出自だった。 だが、彼はアメリカのエスタブリッシュメントに加わることに力を注ぎ、自らがユダヤ系の生まれであることにこだわりは見せなかった。むろん、それは個人の生き方の選択なので、そのことで非難されるいわれはない。出自に関わらず、自己がどのように生きるべきかを選択する自由はあっていいとぼくは思う。 しかし、アメリカにおけるユダヤ人への差別について、リップマンの考え方には明らかな誤りがあった。このエントリでは、リップマンの間違いについて考えることで、差別の問題について改めて述べてみたい。 19世紀末から20世紀前半にかけて、東欧からのユダヤ移民が増えたこともあり、アメリカではユダヤ人に対する差別が社会全体で強まっていた。たとえば、ハーバード大学などの私立大学はユダヤ人の入学を制限する動きに出ている。 そうした状況のな
「安心のため、検査、一応やっときましょう」・・・という医師サイドの言葉が今日も日本全国各地で発せられてることだろう。 この安心効果は、医師たちの過剰評価であった。 重篤な疾患といえば、がんとか、脳動脈瘤・動脈解離とか・・・数限りない疾患がある。 「頭痛、即、頭部CT・MRI」 、「体重減少、即、全身のがん検査」、「背部痛、即、腹部CT検査」など、医療コスト増大に直結している、検査前確率低いのに行われる、患者を安心させるためだけの検査 はたして、そういう検査は、患者自身の安心につながるのだろうか? 検査前確率の低い検査は患者の恐怖感・不安感除去につながらず、検査直結兆候は持続するという報告 "Reassurance after diagnostic testing with a low pretest probability of serious disease: systematic re
たった7行の記事に、僕の心はふるえた。 2011年5月17日(火)の東京新聞の夕刊に載った哲学者、中島義道さんの「震災への『なぜ』今こそ 美談が覆う真実もある」の記事の一節にだ。 三沢典丈さんという東京新聞の記者が、中島義道さんから話を聞いてまとめた記事だ。 三沢典丈さんは、冒頭にこう記している。 「東日本大震災から2ヶ月がたった。震災を契機に戦後の日本が歩んできた道を見直そうというかけ声をよく耳にするが、その具体像は見えて来ない。 被災地の復興も遅々として進まない今、〝新しい日本〟のために何をどう考えればいいのか。『不幸論』などの著書で知られる哲学者・中島義道さんに聞いた」とある。 震災後、僕が心を痛めていたのは、何十万人という被災者の中に、何千人、何万人もの同性愛者もいるに違いないと思っていたからだ。 年配のゲイの人たちは、地方のことでもあるから、ほとんどの人は結婚しないわけにはいかな
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