自己責任論と世界公正仮説が結託すると、他者の受難を自分から完全に遮断できますもんね。「他人の痛みや辛さにうっかり共感してしまうこと」を避けたいという心性が強まってて、2つがその為の鎧となってる気がする 2 人がブックマーク・1 件のコメント
世の中 tadataru on Twitter: "俺らは「テロを取り締まる」が暴走した例は見たことがないが、「人権を守る」が暴走した例はいっぱい知っている。まずそれを認めない人の言説など聞く気にならない。"
彼女に求めているものが違う - AnonymousDiary 付き合う前に自分の短所を相手に知らせ、それを受け入れてもらえるなら付き合う、そうでないと安らぎが得られないという増田記事。ブックマークコメントでは、おまえの短所はおまえではなく相手が決めること、自分で把握できる短所などほんとの短所ではない、というようなツッコミに支持が集まっていた。 長所も短所も、この話では「(おつきあいに際しての)性格にまつわること」である。増田記事の「もちろん、直せる短所を直すようにはするよ。」という一文からも、それの元となっている「友達がなぜモテないのかわかった」からもそう判断できる。 自分の性格を何もかも知ってもらって安心して付き合いたいという気持ちはわからないでもないが、増田記事に抜けている視点が二つあるように思う。 一つは、自分にとって一番わからないのが自分であり、自分で自分の性格を完全に把握するのは
衰微した平安朝の下人の話ならぬ、衰微した平成朝の下人、もといポスドクの話。校門に捨てられたポスドクが、薄汚れた研究室で見たものとは? 本文1 ある日の暮方の事である。一人のポスドクが、大学の校門の下で雨やみを待っていた。 広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々塗装の剥げた、大きな鉄柱に、蟋蟀が一匹とまっている。校門が、キャンパスの入口にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする学部生や大学職員が、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。 何故かと云うと、この十数年、学術界には、大学院重点化とか学力低下とか国大法人化とか事業仕分けとか云う災がつづいて起った。そこでキャンパス内のさびれ方は一通りではない。旧記によると、博士論文や貴重書籍を打砕いて、そのハードカバーがついたり、箔押の金文字がついたりしたものを、路ばたにつみ重ねて、キムワイプの代わりに売
2012年08月02日08:00 ジョンレノンってたかが4,5人のグループで仲違いしてたくせに戦争反対とかよく言えるな Tweet 1:名無し募集中。。。:2012/08/02(木) 00:04:47.96 ID:0 と僕は思う 2: 名無し募集中。。。:2012/08/02(木) 00:06:17.13 ID:0 ちょっとワロタ 3: 名無し募集中。。。:2012/08/02(木) 00:06:18.04 ID:0 たしかに 5: 名無し募集中。。。:2012/08/02(木) 00:07:22.51 ID:0 今考えるとミュージシャンがポリティカルなこという胡散臭さの走りだな 6: 名無し募集中。。。:2012/08/02(木) 00:08:47.56 ID:0 凄い納得した 7: 名無し募集中。。。:2012/08/02(木) 00:09:39.20 ID:0 仲違いはいいけど暴力は
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