カエルDXのオタ活日記 すーぐなんにでもハマってしまうオタク・カエルDXの「オタ活」日記。 漫画家三人でシェアハウスしてます!!
最も大きな「無駄な支出」 無駄な支出で最も大きなものは不要な保険でしょう。 誤解のないように申し添えておきますが、私は保険というのはとても大事なものだと考えています。人類が考え出した偉大な叡智の一つだとさえ思っています。なぜなら、保険というのは自分一人の力ではどうにもならない経済的な問題が起こった時にそれを解決してくれるからです。 ということは、自分一人で解決できる経済的な問題であれば、保険に入る必要はないということですね。では、ここから具体的に考えてみましょう。 保険が必要な3つの条件 私は、保険を絶対に利用すべきなのは、次の3つの条件が揃そろったケースだと思っています。 まずはじめは「めったに起こらないこと」です。めったに起こらないからこそ、安い保険料でたくさんの補償が得られるのです。しょっちゅう起きることなら保険料がとても多額になってしまいますから、入るべきかどうかは慎重に考えるべき
6月4日発売の『女性セブン』(2020年6月18日号)で「別居婚」が報じられた大東駿介。現在は家族5人で同居しているというが、当初、別居していた理由を彼は以下のように語っている。 「ぼく自身、幼少期に家庭が崩壊していたこともあり、そのときには家庭を持つという選択肢が持てなかったんです」 「自分は家族という言葉にどうしても拒否反応があって、誰かが家でぼくの帰りを待っているというのがダメだったんです。家庭が崩壊する様を身をもって知っているので、あるものがなくなっていく絶望を子供に味わわせるくらいなら、初めからつくりたくなかったんです」 出典:「NEWSポストセブン」2020年6月4日 大東駿介は、「家族」という言葉に拒否反応を示すほどの、壮絶な家庭環境で育った。それは具体的にどのようなものだったのか、過去のテレビ番組での発言から探ってみたい。 大東が「複雑な家庭環境で育った」ということをテレビ
ニューヨーク(CNNMoney) 米国で所得上位1%の男性の平均余命は87.3歳で、下位1%の男性よりほぼ15年長い――。米スタンフォード大学などの研究チームがそんな調査結果を発表した。 米国の余命格差は他のどの国より大きいことも判明。最貧困層の男性の平均余命はスーダンやパキスタンの男性とほぼ同じだった。 女性の場合、最富裕層の平均余命は約89歳で、最貧困層の女性より10年長かった。 男女を比べると、貧困層では女性の方が男性より6年長生きなのに対し、富裕層ではその差が1.5年に縮まっている。 米国の貧富の余命格差はここ数年で拡大傾向にあった。所得上位5%の層では2001~14年の間に余命が3年伸びたのに対し、下位5%の余命は伸びなかった。
ところで、2月10日は豊浜トンネル崩落事故から20年目の日でした。20年前よりインフラが老朽化していて、崩落の予兆を観測する技術はまだ開発途上にあります。
『経済と人類の1万年史から、21世紀世界を考える』 本当は全部引用したいところ。 自分自身が存在するためには、さらには、宗教戦争の際にヨーロッパで暴力が横行したときのように、共同体のメンバーとして存在するためには、他者を殺さなければならないのだ。 平和・社会的安定・公衆衛生などの善と思われることは、呪いに変わる。なぜならば、これらすべては人口の急増を促し、人々はいずれ貧窮するからだ。逆に、戦争・暴力・粗悪な生活は、逆の状況を作り出す。これらは人口増に歯止めをかけるので、(生き残った者たちは)よりよい暮らしを送ることができる。 我々には、食べるために空腹感が必要であるように、繁栄する国家には悪徳も必要である。徳だけで名高い栄光に満ちた国家になることなどありえない。 http://gnxshop.blog.so-net.ne.jp/2014-01-25 カネゴンが常日頃気になっていたことが片っ
こどもの日ということで、例年のごとく子供の人口が過去最低、また、2012年版「子ども・子育て白書」に掲載される、2010年調査の生涯未婚率で男性が2割を超えたなどの統計がニュースになっている。 都市郊外の持ち家に生活するお父さん、お母さん、子供一人か二人という核家族は、すでに時代おくれなのだ。 このような「都市郊外の核家族」という生活形態は、企業が男性従業員の面倒を死ぬまでみる社会が成り立つ限りにおいてしか成立しない。 つまり、男性従業員とその配偶者である専業主婦ともども、定年まで、そして定年以降も厚生年金で面倒を見る、という古き良き時代の日本社会のことだ。 日本企業は戦後、製造業中心に高度経済成長をとげたが、新興国の人件費の安い製造業との競争を強いられ、労働分配率を下げつづけている。労働分配率を下げるとは、利益を株主に配分して、従業員の取り分を減らすということだ。 これは、旧通産官僚たち
「古里に必ず戻りたい」「もう一度あの桜が見たい」。毎日新聞の追跡アンケートに答えた東日本大震災の被災者たちは、病気や失業などさまざまな困難に直面しながらも、復興の日を信じ、不自由な生活に耐えている。震災発生から3カ月。被災者たちはどんな思いで過ごし、どんな支援が求められるのか。 ◇「絶望」から一筋の光--陸前高田・菅野さん 震災後は絶望していたが、3カ月がたち、一筋の光を感じている。津波で母(87)と姉(55)を亡くした岩手県陸前高田市の無職、菅野昇さん(52)。「まだ懐中電灯で無理やり照らしてるみたいですが」。避難所から仮設住宅へ移り、新しい生活を始めている。 「姉が見つからない」。大きな余震があった4月7日、避難している市立第一中学校で落胆しきっていた。埼玉に嫁いだ姉は一時帰省していた時、津波に襲われた。一緒にいたとみられる母の遺体は見つかり、姉を捜して遺体安置所を回った。1月に父も病
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