グローバル化と税率競争 1983年ころから、各国の法人税や最高所得税率が下がっていることが指摘されている。時期的に冷戦末期で、グローバル化が進展してきたころであり、国が税率を下げて人やカネを呼び込もうとする税率低下競争(tax competition)が起きたのではないかと考えられている。税率低下競争といっても単に税率が下がるだけならまだ問題は少ないが、その恩恵はいとも簡単に国境を越えられる企業や富裕層に偏って享受され、そう簡単に生活基盤を捨てられない庶民にとってはその恩恵は受けにくい。そのため、税率低下競争は実質的には累進性を緩める競争となって富裕層を利し1、不平等拡大に寄与しているという考えは根強い2。また、税収や累進性の低下により社会保障の持続性が損なわれる可能性を危ぶむ声も強い34。 人口小国がタックスヘイブン化するメカニズム 税率低下競争の中でも、租税回避地(タックスヘイブン)は
役者のキャスティングの一つの理想として、演技力のみで公平に評価する、というのがあります。しかし人種の観点から見ると、そうはなっていません。ハリウッド映画等で、有色人種の役は少なく、あっても主役級には、まずなれない。「演技力を公平に評価」どころか肌の色だけで機会を奪われているのです
僕たちは皆、生まれてほとんど間もないときから、それこそ物心つく前から夢を持て、と言われて育つ。大人たちにはしつこく将来何になりたいのか、夢はあるのか、と言われ、映画を見れば夢を持ち、それに向けて邁進し、幸福な人生を獲得せよ、と言われる。歌を聞いても、本を読んでも、成功したという人に会っても、同じことを言われる。 だが、僕らのほとんどは、つまらない事務作業をこなしたり、地面に穴を掘ったり、トイレを掃除したり、四六時中くだらない文字や記号の羅列を書かされて生活することになる。シンデレラがトイレ掃除をして金持ちの王子と結婚するのに対して、僕たちは反対に夢を持って生まれ、最終的にはトイレ掃除をして死ぬ。世の中で必要とされているのはそういう、くだらないことばかりだけれど、誰かがやらなければ回らなくなるようなことばかりだ。 古い物語のなかに登場する幸福、というものは非現実的で、いかにも気休めという感じ
これは最近になって私が発見したことなのだが、大人という存在はその人の持っている「能力」で外部から自分の価値を計られてしまうものである。そして、これも私が発見したことなのだが、多くの場合に「給料」や「報酬」にはその人の持っている能力が関わってくる。お金を稼げるようになるためには、実は、なにかの「能力」が必要とされるのだ。さらに、「能力」はお金のことだけでなく人間関係にも関わってくるし、場合によっては本人のアイデンティティにも影響を与えることがある。これも30歳を過ぎた私ならではの発見である。 就職をするためには自分にどのような能力があってどんなことができるかを会社に対して示さなければならないし、給料だって能力に左右される。雇用されていないフリーランスだって仕事を受注するためには顧客たちに能力を示さなければいけないことについては変わりない。アカデミアや芸術の世界なら、一般的な仕事の世界以上に実
組合役員と組合員の関係 いまの組合役員は、まじめで優秀な人が多い。わたしが組合役員になった半世紀前には、いまの「まじめ・優秀」規格からは逸脱している人が少なくなかったが、自分から手を挙げて組合役員選挙に立候補した。組合役員になる人には、一種の熱気が備わっていた。 熱気が嫌われたか、組合役員に「なりたい人」よりも、「ならせたい人」を選ぼうというような発言がしばしば聞かれた。いまは、大方は「ならせたい人」ばかりであろう。「ならせたい人」に組合役員をやってもらっているのに、選んだ側がそっぽを向いている(ように見える)。 いまの組合役員の大方は、自分から組合役員として活動したいと考えていなかったであろう。おそらく、先輩か仲間から勧誘され懇請されて組合役員に就任したケースが多いであろう。もともとやりたくもなくて、役に就いたのだから、組合活動に対する理解や抱負が十分とはいいがたい。しかし、まじめであっ
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