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歴史とこれはひどいに関するnekotetumamoriのブックマーク (4)

  • トンネルの壁から撲殺遺体が…「人柱」として埋められた、労働者たちの「無念」(朝里 樹) @moneygendai

    トンネルの壁から撲殺遺体が…「人柱」として埋められた、労働者たちの「無念」 この惨い犠牲を、忘れてはならない 日の近代化が進んだ明治時代、北海道を中心に「タコ」と呼ばれる労働者がいた。半ば騙すような形で勧誘され、「タコ部屋」という宿舎に詰め込まれて外部との接触を断たれた彼らの実態は、【前編】『殴る、蹴る、労働者を「生き埋め」に…明治の「タコ部屋」のヤバすぎる現実』で見た通りだ。悲惨な環境で過酷な重労働に従事する毎日だったというが、時にはさらに惨たらしい方法で死へと追い込まれていった。 地元に残されてきた「言い伝え」 「タコ」と呼ばれた人たちの幽霊。それは間近で彼らの姿を見てきた地元の人々によって伝承された。 例えば北海道の東部にある厚岸郡厚岸町には「タコがつくった人形」という言い伝えが残されている。それによれば、タコ部屋の凄惨な状況を見たひとりの労働者が、人形師であった経験を生かして死ん

    トンネルの壁から撲殺遺体が…「人柱」として埋められた、労働者たちの「無念」(朝里 樹) @moneygendai
    nekotetumamori
    nekotetumamori 2021/10/03
    常紋トンネル白骨遺体、工事現場における見せしめ目的で殺害された労働者だったとな。やはり倭人のやることは昔から酷いしゲスいな。日本は滅ばなければ彼らの無念が晴らされることもない(怒)
  • 呉座勇一先生による「女性」や「他者」への発言・批判集 - Togetter

    Yuichi Goza @goza_u1 「ヤジぐらいで涙ぐむなんて政治家に向いていない」という意見があるが、塩村議員個人の資質の有無はこの際関係ないんだよな。議会という場におけるふさわしい振る舞いとは何かが問われているのであって、仮に相手が性悪女であろうと無能議員であろうと、それによって許されるわけではない。 2014-06-20 23:31:47 Yuichi Goza @goza_u1 在特会がまさにそういう団体ですからね。「『俺たちこそ差別されている被害者だ』ということにすれば、差別発言とか何でも言いたい放題になるんじゃね?」という発想が根底にある。在特会は市民運動の醜悪なカリカチュアであり、だからこそ従来の右翼以上にリベラル派を苛立たせる。 >RT 2014-10-01 12:28:01

    呉座勇一先生による「女性」や「他者」への発言・批判集 - Togetter
    nekotetumamori
    nekotetumamori 2021/03/23
    呉座先生についてはちょっと危うい傾向あるなと薄々思ってた所があったが、根はこういう方だったとはな……
  • 「シュン」の日記主、NHKに不信感 認識に食い違い:朝日新聞デジタル

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    「シュン」の日記主、NHKに不信感 認識に食い違い:朝日新聞デジタル
    nekotetumamori
    nekotetumamori 2020/09/10
    そもそもWWⅡ末期の日本でTwitterが使えるとかいう設定からしてツッコミ所多そうと思っていたが、NHK側が近代以後の日本による加害と差別に無意識とかいう時点でどうしようもない。
  • 日雇いアルバイトでイラクへ行った。そこで見た地獄

    私たちを乗せた飛行機はパキスタンのカラチ空港で給油し、二十時間ほどのフライトでバグダッド空港に着いた。 タラップを降りたとたん、私は激しい息苦しさを覚えた。 私がアルバイトでイラクの建設現場に行くことになったのは、1980年の七月半ばのことだった。サダム・フセインが大統領になった翌年である。当時、大学を中退した私は、金がなくなると高田馬場の職安前の公園内にできる寄せ場に行き、日雇い労働でいつなぐ生活をしていた。 そんなある時、顔馴染みの手配師が、「にいちゃん、外国の現場があるんだけど、行かねかぇかい?金はいいよ」と誘ってきた。聞くと、契約期間は七月末から三か月。旅費は勿論、衣住付きで三百万円を支払う。仕事は日の大手建設会社が建てているビルに資材を運び入れる外国人労働者の監督をするのが仕事だという。 「こんなにうまい話があるのかな……」と多少疑心暗鬼にはなったが、「前金として百万円払う

    日雇いアルバイトでイラクへ行った。そこで見た地獄
    nekotetumamori
    nekotetumamori 2020/08/01
    過去の日本のODAの実態談。こういうのを読むとやはり日本の海外進出は絶対あってはならないという思いを改めて強くする。
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