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マンガに関するo_secchanのブックマーク (5)

  • 藤本タツキ×沙村広明奇跡の対談

    衝撃のダークファンタジー『ファイアパンチ』と、至高のネオ時代劇『無限の住人』。両作品のヒーローである不死身の二人が、『ファイアパンチ』5巻発売を記念して奇跡の対峙を果たす! 藤本タツキ先生が学生時代から敬愛しているという、沙村広明先生への熱烈な愛により実現した対談。お互いのヒーローを交換して描いたコラボイラストとともに、大ボリュームで大公開!! ぜひご一読ください! 藤:僕、作家さんと対談するのは初めてで。沙村先生は以前『NARUTO』の岸先生と対談されていましたよね。俺なんかが…と思いました。今日はいつも通りの姿で来ました。髭も剃らないで。 沙村:俺のスケジュールよりもあなたのスケジュールの方が絶対忙しいはずだから。気にしないでください。今回の対談で、藤先生が若いのでアドバイスを俺からしてもらえたら、という趣旨を聞いたんですが、正直俺の経験というか漫画人生は全部月刊誌のもので。こ

    藤本タツキ×沙村広明奇跡の対談
  • 宮本大人+ヤマダトモコ対談 マンガ批評とマンガ研究の結節点(前編) ――伝説の「漫画史研究会」とは何だったのか

    マンガ批評とマンガ研究の結節点(前編) ――伝説の「漫画史研究会」とは何だったのか宮大人+ヤマダトモコ対談 2019.06.21 夏目房之介『マンガ学への挑戦――進化する批評地図』(NTT出版、2004年)、伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド――ひらかれたマンガ表現論へ』(NTT出版、2005年)、秋田孝宏『「コマ」から「フィルム」へ――マンガとマンガ映画』(NTT出版、2005年)、そして『ユリイカ』2006年1月号「特集:マンガ批評の最前線」(青土社、2005年)――。 マンガをめぐる言説は、90年代に夏目房之介らによる「マンガ表現論」がマスメディアを通じて広まったのち、00年代後半から大学にマンガ学科が設立され始めることで、より精緻に磨き上げられてきた。しかしマンガ論が、そうして在野での批評・研究からアカデミズムへと移行する過程において大きな役割を果たした「漫画史研究会」の存在は、あまり

    宮本大人+ヤマダトモコ対談 マンガ批評とマンガ研究の結節点(前編) ――伝説の「漫画史研究会」とは何だったのか
  • いま縦スクロールマンガを読むことは時代の生き証人になることだ | マンバ通信

    いやしかし、いま、このタイミングで縦スクロールのマンガを読まないのは、この時代に生きている意味がないんじゃないかくらいの機会損失だと思うんですよ。歴史が生まれる瞬間を見逃しちゃうの? くらいのことだと思うんです。いま目の前で歴史が作られている! のでは?? ということであります。 手塚治虫が、マンガ文法を発明しながらマンガを描いていたようなことが、いま縦スクロールのマンガでは起こっているかもしれない、と。表現手法の発明ラッシュが起こっているんじゃないのかと。

    いま縦スクロールマンガを読むことは時代の生き証人になることだ | マンバ通信
  • 此元和津也 | Kazuya Konomoto | ホームページ

  • 「あしたのジョー」論

    『あしたのジョー』とは、1968年~1973年に『週刊少年マガジン』に連載された高森朝雄(梶原一騎)原作、ちばてつや作画の漫画です。1970年~1971年には「あしたのジョー」、1980年~1981年には「あしたのジョー2」としてアニメ化されました。1980年と1981年にはアニメ総集編版の劇場版が、1970年と2011年には実写映画版も制作されました。 お読みになったことのない方でも、「まっ白な灰だけが残る」という名言、「まっ白に燃えつきた」ラストシーンはご存じでしょう。それほど有名であり、漫画史に残る名作です。 作中の登場人物(力石徹)が死んだときに葬儀が行われたり(『北斗の拳』のラオウや、『アカギ』『天』の赤木しげるの葬儀より数十年も前です)、よど号ハイジャック事件の犯人が「われわれは明日のジョーである」と宣言したりと、大きな社会的反響を呼んだ作品でもあります。 アニメ版も、連続パン

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