一年後、僕がふたたびトーレンと会った時、彼はもうあきらめかけていた。カナダとアメリカで貯めた貯金は底を尽き、ガイジンハウスに払える家賃も滞在費もない。SF大会に来たのも大翻訳家・矢野徹さんにメシをおごって貰うためだった。 週刊アスキー4/30増刊号 MANGAを作った男が死んだ。男の名はトーレン・スミス。カナダに生まれ、地球の反対・日本のマンガに出会い惚れ込んで、コネやツテなにひとつなく日本にやってきた。1986年の夏、僕とトーレンは大阪のSF大会ではじめて会った。 「日本のマンガをアメリカで紹介したいデス」と気弱そうに彼は語った。 気弱そうに聞こえたのは日本語が苦手だったから。クイーンズ・イングリッシュで話すトーレンはものすごいタフ・ネゴシエーターで、その後僕がルーカスフィルムやユニバーサルと交渉する時に代理人を務め、ケンカ寸前までの駆け引きで驚かせてくれた。 ともかく、当時のトーレンは