平成8(1996)年2月8日の夕方、当時松島基地司令であった私のところに三沢基地司令時代のK通訳官から「訓練中のF-16・9機が、天候急変で三沢に着陸出来なくなり、松島基地に緊急着陸させてほしい、と米軍が言って来たがどうでしょうか?」と直接電話が入った。奇異に思われるだろうが、基地によっては、米軍機を軽易に着陸させ、地方議会やマスコミから騒がれることを嫌って消極的対応をとるところもあったのである。松島も小雪がちらつき始めていて多数機の緊急事態だから事は急を要する。ただちに許可して、矢本町長にその旨を電話で伝えた。基地周辺市町村との関係は極めて良好であったから、町長は快く了解してくれた。防衛部長に運用上の、装備部長には機体保管上の、人事部長には宿泊の準備を指示し、監理部長には報道各社に通知させた。 4時すぎに1番機が管制圏に入り次々と9機のF-16が着陸した。F-16のパイロット達は、米国で