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日本史の検索結果1 - 40 件 / 493件

  • 「史実では坂本龍馬は大したことしてない」という説を見かけるが、最新の歴史学を調べてみたら全然活躍してるし「司馬史観」の歪みも言語化できた話

    倉本圭造@新刊発売中です! @keizokuramoto 経済思想家・経営コンサルタント。大卒でマッキンゼー入社。その後日本らしさを活かす一貫した新しい戦略の探求を始め、社会の真のリアルを見るため時にはブラック企業や肉体労働現場等にまで潜入した後独立。コンサル業のかたわら「個人の奥底からの変革」を支援する”文通サービス”も。その他詳細や著作情報はホームページ↓へ keizokuramoto.com 倉本圭造@新刊発売中です! @keizokuramoto 史実では「坂本龍馬は大したことしてない」「実は織田信長は常識人」という話をSNSで時々見かけますが、最新の歴史学では実際はどういう説になっているのか気になって調べてみたので聞いてください。結論から言うといわゆる「司馬遼太郎史観」が「課長・島耕作」的世界観に立脚していたからこその歪みがこのギャップに繋がっているのだと私は感じました。 ・ 1

      「史実では坂本龍馬は大したことしてない」という説を見かけるが、最新の歴史学を調べてみたら全然活躍してるし「司馬史観」の歪みも言語化できた話
    • フランス人歴史家に聞く 「日本の海賊」を研究しようと思った理由 | 「渋沢・クローデル賞」受賞者

      ──フランスのどちらで生まれ育ったのですか。 フランスの南部にアルビという都市がありますが、そこから車で15分くらいのラバスティード-ガボスという、人口400人ほどの田舎で生まれ育ちましたので、けっこうな田舎者です。 そんな環境でしたので、家族も周りの人も、極東に関する知識はあまりないというか、日本と中国の区別もつかないレベルでした。高校で日本について習ったことはありましたが、本当に関心を持っていたとは言えません。 高校3年生のとき、アルビの書店で『日本語のまねきねこ』という日本語の教科書を見つけ、「面白そうだな」と買いました。最初は独学で、やがて日本の大学で学ぶことになりました。そもそもは日本語という言語に魅力を感じて始めた勉強だったんです。 ──その後、歴史の研究者を志されたわけですが、何か決定的な本との出会いがあったりしたのですか。 いろいろな本を読んで歴史への好奇心が出てきたのです

        フランス人歴史家に聞く 「日本の海賊」を研究しようと思った理由 | 「渋沢・クローデル賞」受賞者
      • “信長を気にかける貴重な資料” 義父 斎藤道三の書状を発見 | NHK

        それによりますと、この書状は今の岐阜県の美濃地方を治めていた戦国武将の斎藤道三が近隣の地域の領主に宛てたもので、その内容や署名などから、1552年ごろに書かれたと見られるということです。 道三は、織田信長に自分の娘・濃姫を嫁がせています。 書状では、「信長とあなたは大変親しいということでうれしく思う」と記したうえで、信長について「若造で至らない点もあるがご容赦いただき末永くつきあってほしい」と伝えています。 信長の人生を側近がまとめた文献「信長公記(しんちょうこうき)」ではこの書状が書かれた時期に道三は若き信長と初めて面会し、その奇抜な身なりや言動で周囲から「うつけ者」と呼ばれていた信長の才能を見抜いたとされています。 村井准教授は「道三の書状はあまり残っておらず信長に言及していることも珍しい。書状には、道三が信長のことを大事に思い気にかけていることがはっきりと記されていて『信長公記』の記

          “信長を気にかける貴重な資料” 義父 斎藤道三の書状を発見 | NHK
        • 藤原定家直筆の「古今和歌集」注釈書を発見 専門家「国宝に値」 | 毎日新聞

          冷泉家に伝わる古今伝授箱から見つかった藤原定家直筆の「顕注密勘」=京都市上京区で2024年4月16日、加古信志撮影 鎌倉初期を代表する歌人、藤原定家(1162~1241年)が自筆した「古今和歌集」の注釈書「顕注密勘(けんちゅうみっかん)」の原本が見つかった。子孫の冷泉家(京都市上京区)で保管する木箱を約130年ぶりに開けたところ、収められていた。同書の写本の中には国重要文化財に指定されているものもあり、原本について専門家は「国宝に値する」と評価している。 定家らの古典籍を研究・保存する冷泉家時雨亭文庫が発表した。 顕注密勘は、最初の勅選和歌集・古今和歌集について和歌の先人による注釈に、定家が自説を書き加えた注釈書。上・中・下の3巻からなる。木箱にあった3巻のうち中・下巻が、筆跡や紙の製法などから原本と判断された。上巻の原本は火災で焼失したと伝わっており、同時に見つかったものは写本だった。

            藤原定家直筆の「古今和歌集」注釈書を発見 専門家「国宝に値」 | 毎日新聞
          • 「教科書の記述変わるかも」 山城国一揆の古文書124通発見 | 毎日新聞

            古文書からは一揆後も国人たちがやり取りを続け、つながりが残っていたことがうかがえる=京都府庁で2024年4月2日午後3時3分、中島怜子撮影 戦国時代、自治に初めて成功したとされる「山城国一揆(やましろのくにいっき)」(1485~93年)に関する古文書が大量に見つかった。一揆の原動力となった国人(地方在住の武士)らのやり取りが克明に記された新出史料。詳しい分析はこれからだが、専門家は「将来、教科書の記述が変わる可能性もある」とみている。 見つかったのは一揆で中心的役割を担った椿井(つばい)家に伝わる書状の写し124通。馬部隆弘・中京大教授が2021年、奈良県平群町教育委員会に所蔵されていた大量の古文書を見つけた。3年かけて調査し、椿井家の関連文書と特定した。室町・戦国期の書状を江戸時代の子孫が写したものとみられ、京都市東山区の八坂神社に残る原本7通と内容が共通していることから、本物と確認した

              「教科書の記述変わるかも」 山城国一揆の古文書124通発見 | 毎日新聞
            • 教科書から幕末のヒーロー・坂本龍馬の名前が消える!?その理由と真相について考える : Japaaan

              あの偉人の名前が消える!? 歴史の研究も日進月歩で、これまでの通説やその扱われ方が大きく変わることも珍しくなくなりましたね。例えば、鎌倉幕府の成立は1192年ではないとか、「鎖国」という言葉が使われなくなるかもしれない、など……。 そんな状況の中、日本史界隈でまた衝撃的な出来事がありました。高校で使われる歴史教科書から、私たちが知っているある幕末の偉人の名前が削除されてしまうかも知れないというのです。 その偉人とは、他ならぬ坂本龍馬です。 特にエンタメ界隈では、幕末のヒーローと言えば坂本龍馬であり、幕末の歴史は彼を中心として描かれることも少なくありませんでした。私たち日本人の頭の中には「幕末イコール坂本龍馬」という図式がインプットされていると言っても過言ではないでしょう。 その龍馬の名前が、教科書に載らなくなるかも知れないのです。一体なぜ、そんなことになってしまったのでしょうか? 2ページ

                教科書から幕末のヒーロー・坂本龍馬の名前が消える!?その理由と真相について考える : Japaaan
              • 日本列島の弥生時代と古墳時代のほぼ全ての銅鏡が示された分布図が話題となる→可視化されたことで地域的な差異などが一目瞭然に、分類毎の分布図も公開される

                かぬそぬ @omisoi 🖥Simulation考古学者/📝専門は歴史地理情報処理,Agent-based model,人口動態推定等/🗾GIS開発者/📷LiDAR/⛰古墳/🎨創作/🏳️‍⚧️Nonbinary Gender/🏛歴史地図アプリ開発中: github.com/AsPJT/PAX_SAPI… github.com/AsPJT かぬそぬ @omisoi 日本列島の弥生時代と古墳時代のほぼ全ての銅鏡の分布図が完成しました〜😆 ほとんどのデータは「日本列島出土鏡集成(2016年)」です。盾形銅鏡など2017年以降の出土鏡も一部入れています。 データ内部に遺跡時期や鏡式の情報があるので、条件付きの結果も出すことができます☺️ 大きさの比較も簡単♪ pic.twitter.com/RmYCuzl5cx 2024-04-01 22:01:40

                  日本列島の弥生時代と古墳時代のほぼ全ての銅鏡が示された分布図が話題となる→可視化されたことで地域的な差異などが一目瞭然に、分類毎の分布図も公開される
                • 「ワイ、戦国武将・長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)の末裔説」を本気で検証してみた。佐賀の『はじまりの名護屋城。』をきっかけに遠い先祖(?)へ思いを馳せる

                  定説では「長宗我部氏の本流は途絶えた」とされていますが……©コーエーテクモゲームス All rights reserved.こちらは前田利家の陣跡に設置された周遊サイン! そして前田利家陣跡! 立派な石垣もあって「陣というより、もはやお城じゃん」という感覚になってしまいました。 他にも豊臣秀吉、徳川家康、伊達政宗、石田三成、加藤清正など錚々たる面子が集結しており、まさに戦国オールスター! そして名護屋城跡には今回はじめてお邪魔したのですが、めちゃくちゃデカくてびっくりしてしまいました。 それもそのはず、当時大坂城に次ぐ全国2番目の規模のお城で、日本の100名城にも選ばれているお城が名護屋城なのであります。 天守台から見た風景。眺めは最高なんだけど、海が目の前で風がすさまじいので、「こんな所で暮らすの大変ですね」って言ったら、学芸員の方も「やはり風を嫌ってか、豊臣秀吉は本丸に住まずにすこし下

                    「ワイ、戦国武将・長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)の末裔説」を本気で検証してみた。佐賀の『はじまりの名護屋城。』をきっかけに遠い先祖(?)へ思いを馳せる
                  • 蛇行剣、刀と剣のハイブリッド 富雄丸山古墳、30日から初公開

                    奈良市の富雄丸山古墳(4世紀後半、円墳)で出土した国内最大の蛇行剣は、クリーニングの結果、剣の特徴である突起がある一方で、刀の特徴であるくさび形の柄頭が付いていたことが分かった。奈良県立橿原考古学研究所と奈良市教育委員会が26日、発表した。 同研究所は「剣と刀のデザインを併せ持つハイブリッド構造だ。古墳時代中期以降に盛んになる刀装具と剣装具はこのようなものから分化していく可能性が考えられる」としている。蛇行剣は30日から研究所付属博物館で初めて一般公開する。 剣身を収めるさやは広葉樹のホオノキ製で、全長約2.5mに復元できる。剣先側のさや尻には、さやが直接地面に付かないように保護するための細長い石突(長さ18.5cm)があり、刀剣のさやでは初確認とみられる。長大な蛇行剣を立てて使用することも想定した構造という。さや尻とさや口には黒漆が塗られ、文様もあった。 また剣を握る柄は全長38cmとみ

                      蛇行剣、刀と剣のハイブリッド 富雄丸山古墳、30日から初公開
                    • 【速報】奈良・平城宮跡で木簡1000点発見  1300年前の聖武天皇即位の儀式「大嘗祭」の記録も|YTV NEWS NNN

                      奈良市にある平城京の跡地から、ちょうど1300年前の聖武天皇即位の儀式を記した記録・木簡が発見されました。 奈良市の平城宮跡の穴から見つかったのは、奈良時代に書かれた木簡、約1000点です。奈良文化財研究所が、去年10月から穴の発掘を始め、木簡を発見。土を洗い流していたところ、「大嘗分」と書かれた木簡が複数見つかりました。 「大嘗祭」とは、天皇の皇位継承にまつわる儀式で、いまの天皇陛下ご即位の際も執り行われました。国や民の安寧や農作物が豊かに実るよう祈る儀式ですが「秘儀」として、その全貌は皇室の外には明かされていません。 今回見つかった木簡は、今からちょうど1300年前、724年に聖武天皇が即位した際の「大嘗祭」に関する記録です。木簡には、聖武天皇の「大嘗祭」の為に運ばれた品々、「炭」や「魚」などの文字が確認できました。 今回の発見は、1300年前も今と同じく「大嘗祭」が執り行われていた考

                        【速報】奈良・平城宮跡で木簡1000点発見  1300年前の聖武天皇即位の儀式「大嘗祭」の記録も|YTV NEWS NNN
                      • 大河ドラマ 2026年は「豊臣兄弟!」主人公の秀長 仲野太賀さん | NHK

                        2026年放送されるNHKの大河ドラマは、兄の秀吉を支えた豊臣秀長を主人公に兄弟で天下統一を成し遂げるまでを描いた「豊臣兄弟!」に決まりました。主演は仲野太賀さんが務めます。 主演の仲野さんと脚本家の八津さん 65作目となる再来年の大河ドラマ「豊臣兄弟!」は、兄の秀吉を支えた豊臣秀長が主人公です。 戦国時代を舞台に兄弟の強い絆で天下統一を成し遂げるまでを「天下一の補佐役」と称された秀長の目線で描きます。 豊臣秀長を演じるのはNHKのドラマ10「拾われた男」で主演を務めるなどドラマや映画で活躍する若手俳優の仲野太賀さんです。 脚本は、連続テレビ小説「おちょやん」や「半沢直樹」などの人気作を手がけてきた八津弘幸さんが担当します。大河ドラマの脚本を手がけるのは初めてです。 12日東京・渋谷のNHK放送センターで開かれた記者会見で、主演を務める仲野さんは「大河ドラマの主役を演じる重みを感じるととも

                          大河ドラマ 2026年は「豊臣兄弟!」主人公の秀長 仲野太賀さん | NHK
                        • 時代考証が解く! 紫式部と道長の人生を変えた花山天皇異例の退位劇(倉本 一宏)

                          2024年大河ドラマ「光る君へ」の主人公・紫式部と藤原道長。貧しい学者の娘はなぜ世界最高峰の文学作品を執筆できたのか。古記録をもとに平安時代の実像に迫ってきた倉本一宏氏が、2人のリアルな生涯をたどる!*倉本氏による連載は、毎月1、2回程度公開の予定です。 検非違使・放免・獄 大河ドラマ「光る君へ」では、初回から検非違使(けびいし)が「活躍」している。9話では獄も出てきて、散楽(兼盗賊)の衆との関わりが描かれた。 検非違使というのは、嵯峨(さが)天皇の弘仁(こうにん)七年(八一六)が初見の宣旨職(せんじしょく)で(『日本文徳天皇実録』)、左右衛門府(えもんふ)の特定の官人に、平安京内の不法行為の取り締まりを専当させたのがその起源である。 摂関期には、別当(べっとう、左右衛門督〈えもんのかみ〉を兼帯する中納言か参議)以下、四等官の佐(すけ)・大少尉(じょう)・大少志(さかん)、下位の府生(ふし

                            時代考証が解く! 紫式部と道長の人生を変えた花山天皇異例の退位劇(倉本 一宏)
                          • 藤原北家の暗闘!権力の頂点を極めた家系の秘密

                            NHK大河ドラマ「光る君へ」で一番モヤモヤするのは、登場人物がほとんど藤原氏で、どんな関係なのか分からない点ではないでしょうか? 人間関係が分っているのは、主人公の藤原道長と姉の詮子、兄の道隆、道兼、異母兄弟の道綱、それに父の兼家くらいで、後は道長とどういう血縁関係があるか不明です。そこで今回は道長が所属する藤原北家の血縁関係を紐解きつつ、その中で起きた権力闘争を解説します。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載

                            • 【絵画史上、最大のナゾ】浮世絵師「写楽」とは、いったい何者だったのか? 1年で大量の作品を生み、姿を消した天才 | 歴史人

                              絵画史上最大の謎とされるのが、「写楽は誰か?」という命題である。2025年大河の主役・蔦屋重三郎によってプロデュースされ、スターとなった浮世絵師・写楽は、1年にも満たぬうちに忽然と姿を消した。長い間その正体は議論され、昨今はその実像が少しずつ見えてきたようである。写楽とは、いったい何者だったのだろうか? ■2025年大河ドラマの主人公・蔦屋重三郎 少し気が早いが、今回は2025年に放映される大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」にまつわるお話である。主人公は、江戸時代の敏腕プロヂューサー・蔦屋重三郎。演じるのは、横浜流星さんである。 一説によれば、彼の才能は多彩で、出版プロヂューサーとしてだけでなく、絵師としての能力にも長けていたというから、今で言うところのマルチタレントとでも言うべき存在だったことが推測される。 ただし、生まれは吉原の遊郭とあって、少年時代はおそらく、相当辛苦を舐めたに

                              • 【光る君へ】第9回「遠くの国」回想② 直秀終焉の地、鳥辺野では夕顔、道長も葬儀 為時が中国語で詠んだ漢詩は花山天皇を励ます

                                直秀ら散楽の人たちに手を合わせる道長とまひろ。道長はこれから約40年後、同じ鳥辺野に葬られることになります 京を代表する葬墓地・鳥辺野で逝った直秀 大河ドラマ「光る君へ」の第9回「遠くの国」。山の向こうの海の見える遠い国へ行きたかった直秀が、志半ばで別の「遠くの国」へと旅立ってしまいました。涙なしには見られないシーンでした。直秀が命を落としたのは京の東にあった鳥辺野(とりべの)でした。現在の京都市東山区内にあたり、鳥部野・鳥戸野とも記されました。吉田兼好が『徒然草』に「あだし野の露きゆる時なく、鳥部山の烟立ちさらで」と書いたように、化野(あだしの)とともに京を代表する葬墓地でした。『源氏物語』でも、葬墓地としてこの地域は何度か登場します。光源氏の母の桐壺更衣、正妻の葵の上らが葬られました。 鳥辺野に連れてこられた直秀たち。この時、その命運はもう尽きていたとは。 夕顔の亡骸と面会、手を取り声

                                  【光る君へ】第9回「遠くの国」回想② 直秀終焉の地、鳥辺野では夕顔、道長も葬儀 為時が中国語で詠んだ漢詩は花山天皇を励ます
                                • 「光る君へ」時代考証・倉本一宏が語る「平安時代は、本当はこんな時代だった」後編

                                  今から1000年の昔の日本は、いったいどのような社会だったのか? 天皇や貴族たちの生活は? はたまた、ドラマに登場する紫式部や藤原道長たちはどのような人物だったのか? 時代考証を担当する倉本一宏氏に、最新の研究成果も交えながら解説してもらった。その後編(前編はこちら)。 古記録から見えてくる紫式部、道長、そして晴明の実像は!? ――紫式部はどんな人物だったと思われますか? 私は歴史学者なので本当は専門外なんですけれども、一般的に歌集『紫式部集』から、ある程度少女時代と結婚・出産・夫との死別、つまり第1の人生は復元できるんです。すべてが本当の話じゃないとは思いますが。そして、夫と死別したのちに『源氏物語』と『紫式部日記』を執筆するという、世間でクローズアップされている第2の人生があります。 ですが、私はむしろ『源氏物語』を書き終わった後の人生の方が長いと考えています。これは第3の人生と言うべ

                                    「光る君へ」時代考証・倉本一宏が語る「平安時代は、本当はこんな時代だった」後編
                                  • をしへて! 倉本一宏さん ~伝説の陰陽師・安倍晴明は、実際にはどのような人? - 大河ドラマ「光る君へ」

                                    https://www.nhk.jp/p/hikarukimie/ts/1YM111N6KW/blog/bl/ppzGkv7kAZ/bp/pVEpx0NjXD/ 藤原兼家(段田安則)の陰謀の一翼を担うかのように、怪しく立ち回る安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)。数々の伝説を残している安倍晴明が実際にはどのような人物であったのかを、大河ドラマ「光る君へ」で時代考証を担当する倉本一宏さんに伺いました。 ――実際の安倍晴明は、どのような人物だったのでしょうか。 安倍晴明は官僚です。世代としては、紫式部や藤原道長よりもずっと上になります。小説や映画などをご覧になってものすごい術士のように思われている方もいると思いますが、彼は陰陽博士になったことはなく天文博士なんです。そして後年には陰陽寮から離れて、左京権大夫(さきょうのごんだいぶ)や穀倉院別当などを歴任し、組織の長官として働いています。ですから、

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                                    • 「光る君へ」時代考証・倉本一宏が語る「平安時代は、本当はこんな時代だった」前編

                                      今から1000年の昔の日本は、いったいどのような社会だったのか? 天皇や貴族たちの生活は? はたまた、ドラマに登場する紫式部や藤原道長たちはどのような人物だったのか? 時代考証を担当する倉本一宏氏に、最新の研究成果も交えながら解説してもらった(後編はこちら)。 戦もなく、人々が比較的豊かだった平安時代はもっと評価されていい ――「光る君へ」の時代考証を担当することになった経緯を教えてください 2022年5月に「光る君へ」の内田ゆきチーフ・プロデューサーからご連絡をいただき、作品の内容について相談を受けて、それに応えるという日々が続いていたのですが、そのうちにスタッフのみなさんからも相談を受けるようになって、正式に時代考証を担当することになりました。 お引き受けした理由は、平安時代史、当時の政治状況や後こう宮きゅう(天皇のきさきや女官たち)の情勢、人々の生活を、より多くの方に理解してもらえる

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                                      • 「元寇の勝因は神風ではなかった」「江戸時代の外交は出島だけではなかった」大人が知らない日本史の新常識【鎌倉時代~江戸時代】 - Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]

                                        「元寇の勝因は神風ではなかった」「江戸時代の外交は出島だけではなかった」大人が知らない日本史の新常識【鎌倉時代~江戸時代】 ライフ・マネー 投稿日:2024.02.17 06:00FLASH編集部 受験シーズンの2月が到来。現代の受験生が解く日本史の内容は、大人世代の知っているものとは大きく異なっている。専門家に、「教科書から消えた」日本史の常識を解説してもらった。 <鎌倉>鎌倉幕府の誕生は「1192年」ではない。最有力は「1185年」 鎌倉幕府の成立が「イイクニ」のゴロでお馴染みの、1192年ではなくなった。 【関連記事:「逆説の日本史」井沢元彦氏が注目する『どうする家康』の“新説”頼りない「健康オタク」の一面も】 「何を基準に武家政権が成立したと考えるか、という研究者の解釈の違いが理由です。幕府の成立については1180年から1192年まで、現状、7つほどの説があります。いまは教科書に『

                                          「元寇の勝因は神風ではなかった」「江戸時代の外交は出島だけではなかった」大人が知らない日本史の新常識【鎌倉時代~江戸時代】 - Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]
                                        • 「正直やべえなと思いました」“幻の城”が現実に『坂本城』と思われる石垣と外堀が住宅街で見つかる…井戸の跡など生活の痕跡も | TBS NEWS DIG

                                          “幻の城”が現実に!滋賀県大津市内にある住宅街で歴史的な大発見です。 (記者リポート)「“幻の城”と呼ばれる坂本城の外側と思われる30mもの石垣が初めて見つかったということです」 坂本城は1571年…

                                            「正直やべえなと思いました」“幻の城”が現実に『坂本城』と思われる石垣と外堀が住宅街で見つかる…井戸の跡など生活の痕跡も | TBS NEWS DIG
                                          • 築136年の世田谷の洋館 漫画家の山下和美さんらの尽力で保存 3月1日に「旧尾崎テオドラ邸」としてオープン、漫画文化の発信担う

                                            東京都世田谷区の住宅地の一角にあり、一時建て壊しの危機にも瀕していた築136年の2階建て洋館が、漫画家の山下和美さんらの尽力で保存され、ギャラリーやカフェを備えた「旧尾崎テオドラ邸」として3月1日、オープンすることになりました。漫画文化の発信拠点になります。2月8日、同邸で山下和美さんらが記者発表して明らかにしました。 保存活動にかかわり、記者発表に集まった漫画家。左から三田紀房、高橋のぼる、高橋留美子、山下和美、笹生那実、新田たつお、福本伸行の各氏 元は六本木交差点そばの洋館 発表によると、この建物はもともと明治21年(1888年)、現在の東京・六本木交差点のそば、現在の「アマンド」の裏あたりに男爵の尾崎三良(1842-1918)が建てた洋館でした。イギリスに留学した尾崎三良が現地女性と結婚。そこで生まれた娘、テオドラ(1870-1932)がのちに日本で暮らすことになり、彼女のために建て

                                              築136年の世田谷の洋館 漫画家の山下和美さんらの尽力で保存 3月1日に「旧尾崎テオドラ邸」としてオープン、漫画文化の発信担う
                                            • 東京藝大「大吉原展」がSNS炎上「人身売買の歴史をエンタメ化」中止求める声も…主催者「負の歴史ふまえ展示」 - 弁護士ドットコムニュース

                                                東京藝大「大吉原展」がSNS炎上「人身売買の歴史をエンタメ化」中止求める声も…主催者「負の歴史ふまえ展示」 - 弁護士ドットコムニュース
                                              • 別所長治、信長方から離反の理由は… 三木合戦の新史料発見 「上司にアピール」秀吉の弁明手紙も 姫路で展示へ(神戸新聞NEXT) - Yahoo!ニュース

                                                  別所長治、信長方から離反の理由は… 三木合戦の新史料発見 「上司にアピール」秀吉の弁明手紙も 姫路で展示へ(神戸新聞NEXT) - Yahoo!ニュース
                                                • 吉原遊廓は悲惨だったが、江戸にはそれよりもっと残酷で無常な夜鷹という存在がいた

                                                  ぼうくん | VoQn 🎨 @VoQn 遊郭に目をやるばかりに当時もっと残酷で無常な夜鷹の実態に意識が行かないのって、現代に通じる寓話性がある。 (繁華街のいかがわしい店舗を潰してったら余計に劣悪な立ちんぼ増えたみたいな) 2024-02-06 20:33:55 ぼうくん | VoQn 🎨 @VoQn 公娼制度の是非はあれども、飯盛女(って体裁にされた実務不透明な街娼)の制度の歪みと、被雇用者ですらない夜鷹などの存在を作ってしまったあたりの部分がホントの反省材料なんと思います。 2024-02-06 20:58:34

                                                    吉原遊廓は悲惨だったが、江戸にはそれよりもっと残酷で無常な夜鷹という存在がいた
                                                  • 吉原遊郭が当時どんな場所だったかは当時の地図を見ると分かりやすい「大半の遊女達の境遇は悲惨だった」

                                                    リンク daiyoshiwara2024.jp 大吉原展 大吉原展 江戸アメイヂング 2024年3月26日(火)~5月19日(日)、東京藝術大学大学美術館にて開催!桜満開の上野に江戸吉原の美が集結! 5 users 782 リンク Wikipedia 吉原遊廓 吉原遊廓(よしわらゆうかく)は、江戸幕府によって公認された、江戸の遊廓である。当初は日本橋近く(現在の日本橋人形町)にあり、明暦の大火後、浅草寺裏の日本堤に移転し、前者を元吉原、後者を新吉原と呼んだ。元々は大御所徳川家康終焉の地である駿府城下町(現在の静岡市葵区)にあった二丁町遊廓から一部が移されたのが始まりである。 本項では、江戸が東京となってからの歴史についても解説する。 徳川家康が天正18年8月1日(1590年8月30日)に江戸に入府し、その後、慶長8年(1603年)に征夷大将軍に任じられて江戸幕府 15 users 118

                                                      吉原遊郭が当時どんな場所だったかは当時の地図を見ると分かりやすい「大半の遊女達の境遇は悲惨だった」
                                                    • 残酷な過去がときに「笑い」を誘うこと。|渡辺豪

                                                      ツイート中にある『吉原花魁日記 光明に芽ぐむ日』は、大正時代に吉原遊廓で遊女として勤めた人物・森光子による手記で、遊女本人の著述や本人への聞き取りといった記録はあまり残されていない中、遊女本人のまなざしを窺い知ることができる貴重な作品の一つ。 森光子 『吉原花魁日記』 「もう泣くまい。悲しむまい。復讐の第一歩として、人知れず日記を書こう。それは今の慰めの唯一であると共に、又彼等への復讐の宣 kastoripub.stores.jp

                                                        残酷な過去がときに「笑い」を誘うこと。|渡辺豪
                                                      • 兄の道隆、道兼にはなかった弟・道長の幸運とは?(倉本 一宏)

                                                        2024年大河ドラマ「光る君へ」の主人公・紫式部と藤原道長。貧しい学者の娘はなぜ世界最高峰の文学作品を執筆できたのか。古記録をもとに平安時代の実像に迫ってきた倉本一宏氏が、2人のリアルな生涯をたどる! *倉本氏による連載は、今後月1、2回程度公開の予定です。 大河ドラマ「光る君へ」の放送が始まったが、ご覧になった方は、どのような感想をお持ちになったであろうか。くりかえしになるが、「ドラマはドラマ、史実は史実」という姿勢で、両方を楽しんでいただきたい。 脚本家や大勢の制作スタッフ、それにNHKは、全力であのドラマを作っている。前回、時代考証のほかに風俗考証、建築考証、和歌考証、漢詩考証、芸能考証の先生がおられると書いたが、ほかに料理考証と所作指導、陰陽道指導、仏事指導、医事指導の先生がおられ、私も資料に関しては平安時代資料提供として二人の優秀な後輩を頼りにしている。 ドラマの制作も制作会社で

                                                          兄の道隆、道兼にはなかった弟・道長の幸運とは?(倉本 一宏)
                                                        • 無官だった父為時に出世をもたらした花山天皇とのわずかなコネ(倉本 一宏)

                                                          2024年大河ドラマ「光る君へ」の主人公・紫式部と藤原道長。貧しい学者の娘はなぜ世界最高峰の文学作品を執筆できたのか。古記録をもとに平安時代の実像に迫ってきた倉本一宏氏が、2人のリアルな生涯をたどる! *倉本氏による連載は、毎月1、2回程度公開の予定です。 連載第1回はこちら 公卿の子弟は大学には行かなかった 大河ドラマ「光る君へ」の第4回では、十二年ぶりに紫式部の父である藤原為時が官(式部丞〈しきぶのじょう〉)職(六位蔵人〈くろうど〉)にありついたという場面が描かれたが、ここで摂関期の文人貴族の任官や昇進について、少し触れることとする。なお、官は律令に規定されたツカサ、職は律令には規定されていないツカサで、官には「任ず」、職には「補(ほ)す」と言う。 律令制の時代から、日本にも大学は存在したが、公卿の子弟などは父祖の蔭位(おんい、父祖の位階によって子孫も位階を叙される制度)によって元服直

                                                            無官だった父為時に出世をもたらした花山天皇とのわずかなコネ(倉本 一宏)
                                                          • おまえらの知らない鎌倉を歩く(GR IIIxの実用) - 関内関外日記

                                                            おれは鎌倉市で二十年近く暮らした。おまえらは鎌倉の一部しか知らない。 「鎌倉には鎌倉駅か北鎌倉駅から行けばいいんでしょう?」と思っているのか? 違う。大船から行け。 湘南モノレールに乗るのだ。 そして、「西鎌倉」へ行け。「北鎌倉」ではないぞ。おれは昔、和装をした女性二人が「西鎌倉」で降りて、「えー、お寺とかないんですか?」とか言っていたのを目にしたことがある。ここにはない。しかしなんで、あえて「西鎌倉」を選んだのか。鎖大師へ行け。 西鎌倉駅前、ここは昔コンビニだった。ニートだったおれは早朝ここに週刊ジャンプを買いにきて、車で接触事故を起こした。 とにかく湘南モノレールだよ、兄貴。え、おれの兄貴って誰だ? SUZUKIYAはおれの身体を構成する食品を供給していていたスーパー。 まあ、七分おきにモノレールはやってくる。 子供のころの外食といえば、このロイヤルホストか昔対面にあったすかいらーくだ

                                                              おまえらの知らない鎌倉を歩く(GR IIIxの実用) - 関内関外日記
                                                            • 日本史上の重要人物〈神武天皇〉を、歴史学者はなぜ無視してきたのか? (外池 昇)

                                                              政治的に「右」か、「左」か。そんなことにこだわる時代は、もう終わったのではないだろうか。日本の歴史における天皇という存在、そしてその「初代」とされる神武天皇についても、戦後歴史学が積み上げてきた成果と方法によって研究すべき課題がたくさん残っているのではないか――。講談社選書メチエの新刊『神武天皇の歴史学』は、そうした思いを新たに抱かせてくれる意欲作だ。著者の外池昇氏に話を聞いた。 そんなに毛嫌いしなくても… ――まず、最初にお聞きしたいのですが、神武天皇って、実在したのでしょうか。 外池 それがいつも、まず聞かれることなんです(笑)。私の答えは、歴史上の他の人物と同様の意味では「いない」、ということになりますね。それはつまり、同時代の史料や考古学的資料で存在が確認できない、ということです。 ただ注意したいのは、『古事記』と『日本書紀』に共通して初代天皇と位置付けられている。もちろん、記紀の

                                                                日本史上の重要人物〈神武天皇〉を、歴史学者はなぜ無視してきたのか? (外池 昇)
                                                              • 『光る君へ』で出すのは絶対無理だろうけど平安時代の女性貴族の夏服が「垣間見」じゃすまないくらい奥ゆかしかった

                                                                撫子凛4/26発売📖小袖雛形ファッションブック @nadeshicorin 画家、イラストレーター。日本美術、着物、仏像、歌舞伎、江戸時代が好き。📖『イラストでわかるお江戸ファッション図鑑』(マール社刊) など 通販BOOTH→ nadeshicorin.booth.pm お仕事のご依頼→nadeshicorin@gmail.com nadeshicorin.com リンク 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK 大河ドラマ「光る君へ」 【NHK公式】大河ドラマ「光る君へ」(2024年)。主人公は紫式部(吉高由里子)。 平安時代に、千年の時を超えるベストセラー『源氏物語』を書き上げた女性。彼女は藤原道長(柄本佑)への思い、そして秘めた情熱とたぐいまれな想像力で、光源氏=光る君のストーリーを紡いでゆく。変わりゆく世を、変わらぬ愛を胸に懸命に生きた女性の物語。キャスト相関図・見逃し配信・あらす

                                                                  『光る君へ』で出すのは絶対無理だろうけど平安時代の女性貴族の夏服が「垣間見」じゃすまないくらい奥ゆかしかった
                                                                • 貧乏学者の娘・紫式部と右大臣家の御曹司・藤原道長の本当の関係は?(倉本 一宏)

                                                                  2024年大河ドラマ「光る君へ」の主人公・紫式部と藤原道長。貧しい学者の娘はなぜ世界最高峰の文学作品を執筆できたのか。古記録をもとに平安時代の実像に迫ってきた倉本一宏氏が、2人のリアルな生涯をたどる!             *倉本氏による連載は、今後月1、2回程度公開の予定です。 平安貴族が主人公 いよいよNHKの大河ドラマとしてはじめて平安貴族を主人公とした「光る君へ」が始まる。合戦や殺人が(ほとんど)描かれない平和で雅なドラマが一年間続くことは、残虐なシーンに辟易していた身にとっては、ありがたいことであると同時に、平安時代に対する世間の誤解も、少しは解消していただくチャンスであると考えている。 私も時代考証を仰せつかっているので、ここではドラマ自体への論評や感想には言及しないこととする。ドラマはあくまで、大石静さんの脚本に基づき、内田ゆきさんをはじめとするスタッフの懸命な努力、俳優陣

                                                                    貧乏学者の娘・紫式部と右大臣家の御曹司・藤原道長の本当の関係は?(倉本 一宏)
                                                                  • どう逃げた家康 生涯最大の危機は奈良が救った? 通説に異論 | 毎日新聞

                                                                    NHK大河ドラマ「どうする家康」(2023年1~12月放送)で描かれた戦国武将、徳川家康(1542~1616年)。その天下人が生涯最大のピンチを脱した際の逃亡ルートについて、在野の研究者が通説に異論を唱えている。通説には登場しない大和の国(奈良県)を経由したというのだ。さあ、どう逃げた家康? 家康は死後に神格化され「神君(しんくん)」とも称される。武田信玄に大敗を喫した三方ケ原の戦い(1572年)などの窮地のうち、最も危なかったとされるのが江戸幕府の史書「徳川実紀」に「生涯艱難(かんなん)の第一」と記された「神君伊賀越(いがご)え」だ。 神君伊賀越えは、明智光秀が織田信長を襲って自刃させた「本能寺の変」(1582年)の直後、関西に滞在していた家康が生誕地であり本拠地の三河(愛知県東部)の岡崎まで逃亡したことを指す。同盟関係の信長が亡くなり、家康は命を狙われる立場にあった。光秀を討とうにも当

                                                                      どう逃げた家康 生涯最大の危機は奈良が救った? 通説に異論 | 毎日新聞
                                                                    • 英大使館跡地から弥生時代の集落 説明会開かずマンション建設へ | 毎日新聞

                                                                      東京都千代田区一番町の英国大使館跡地から弥生時代の集落跡が見つかったことが千代田区への取材で分かった。見つかったのは三菱地所レジデンス(東京都)などが再開発を進めている土地で、縄文時代のものも含めこれまでに竪穴住居跡が28棟確認された。ただ、遺跡として現地に残すことは難しい見込みで、調査後に埋め戻されてマンション建設が始まる予定。現地説明会も開かれない。都心における遺跡活用の難しさを改めて浮き彫りにした。 千代田区などによると、10月下旬までにこの土地で見つかった弥生時代後期前半(1~2世紀)の竪穴住居跡は21棟。縄文時代のものも3棟あり、そのうち1棟には貝が残っていた。時期が不明の竪穴住居跡も4棟あった。弥生土器や縄文土器も出土し、近世の上水木樋(もくひ)や井戸、地下室なども確認された。 調査は2024年3月まで行われる。調査対象となった約7700平方メートルのうち、まだ約3700平方メ

                                                                        英大使館跡地から弥生時代の集落 説明会開かずマンション建設へ | 毎日新聞
                                                                      • 徳川宗家当主と行く!千代田区の徳川家康聖地巡礼ツアー!_PR|ヨッピー

                                                                        ※本日の記事は千代田区観光協会の提供でお届けします。 余計な事を聞いたりもしました。最終回に向けてがぜん盛り上がっている大河ドラマ「どうする家康」(NHK)ですが、これにあやかって千代田区観光協会から「千代田区×徳川家康プロジェクト『家康、千代田城入城』のひとつとして徳川家康ゆかりの地を紹介して欲しい!」という依頼がありましたので、とある場所に早速やって来ました。 おや……? ここは……? はい。 というわけで本日は徳川宗家第19代当主、徳川家広さんにお越し頂きました。「徳川家康ゆかりの地を巡るならその子孫に案内してもらおうぜ」という雑な思い付きから飛び出した企画です。大変申し訳ございません。 徳川家広……徳川記念財団理事長、長崎大学国際連携研究戦略本部客員教授、特定非営利活動法人公共政策調査機構顧問、作家、翻訳家、徳川宗家第19代当主。 ヨッピー おおおお!なんていうか、似てますね……!

                                                                          徳川宗家当主と行く!千代田区の徳川家康聖地巡礼ツアー!_PR|ヨッピー
                                                                        • 「あるかないか言えない」 世界遺産めざす佐渡金山でお蔵入りの名簿:朝日新聞デジタル

                                                                          記者コラム「多事奏論」 論説委員・田玉恵美 図書館で奇妙な体験をした。ある資料を閲覧したいと申し出ると、しばらくしてやってきた職員にこう言われた。 「これは、所蔵しているかどうか、お答えしないことになっているんです」 私は新潟県立図書館で、来年の世界文化遺産登録をめざす佐渡金山について調べていた。検索したところ、かつての鉱山会社が提供した「佐渡鉱山史」を所蔵しているとの記述があったのだが……。 説明に出て来た職員は、隣にある県立文書館の副館長だった。この資料があるかないかすら言えないのはなぜか聞くと、「それも言えない」という。 取材すると、佐渡鉱山をめぐっては、ほかにも新潟県で「お蔵入り」になっている資料があった。 「戦時中に佐渡鉱山で働いた朝鮮人労働者の名簿を、県立文書館が持っている」 歴史研究者の竹内康人さんは、研究者仲間から以前そう聞いた。今年4月、同館に閲覧したいと申し出ると、非公

                                                                            「あるかないか言えない」 世界遺産めざす佐渡金山でお蔵入りの名簿:朝日新聞デジタル
                                                                          • 奉公構とは?お前をブッ潰してやる!武将たちの運命を変えた因習

                                                                            戦国時代は売り手市場であり、サムライ達は武力や知略があれば、次々と雇い主を変えて、さらによい待遇を求めるのが普通でした。しかし雇い主と言えど人間、なかには出奔する部下を恨んで再就職を妨害する「奉公構」を出した性格が悪い大名もいたのです。今回はサムライにとっては死刑に等しい奉公構を解説します。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。 コンテンツ制

                                                                            • 1万点余りの新資料を調査 江戸時代、お伊勢参りブーム支えた「御師」の実態明らかに:中日新聞Web

                                                                              明治初期まで存在した職で、伊勢神宮参拝者の案内などを務め、江戸期のお伊勢参りブームを支えた「御師(おんし)」に関する資料約1万数千点が、三重県伊勢市の旧宅から見つかった。調査した皇学館大研究開発推進センター(伊勢市)によると、これほど多数の資料がまとまって発見されるのは珍しい。御師の一族が家臣を雇う際に提出させた雇用誓約書などが含まれており、活動の実態を究明する糸口になるという。 発見されたのは、16~20世紀の500年分の文書で、伊勢神宮外宮の神職を兼ねた橋村一族にまつわるもの。皇学館大の小林郁(かおる)助教(32)が子孫から情報提供を受け、2018年に市内の子孫宅で資料を見つけた。小林助...

                                                                                1万点余りの新資料を調査 江戸時代、お伊勢参りブーム支えた「御師」の実態明らかに:中日新聞Web
                                                                              • 工場建設きっかけ、地中から埋蔵銭10万枚超 戦乱で急きょ埋めたか - ライブドアニュース

                                                                                前橋市総社町の「総社村東03遺跡」の発掘調査で、紀元前の中国初の統一通貨「半両銭」や、7世紀から13世紀にかけて造られた渡来銭など10万枚を超す大量の埋蔵銭が見つかった。 藁紐(わらひも)で約100枚ごとにまとめた「緡(さし)」の状態だった。藁の袋に入れられており、中世期の戦乱などで急きょ地中に埋められたと見られるという。 事業者の工場建設を機に発掘調査が行われた。市によると、埋蔵されていた範囲は、縦約60センチ、横1メートルで、約100枚単位の緡が1060見つかった。10緡にまとめた1貫文(約1千枚分)にして納められた痕跡も確認された。稲わらのむしろが残っており、この中に入った状態で埋められたとみている。 遺跡の所在地は、総社町総社大字大屋敷で、字名から、大きな屋敷があった可能性も考えられるという。 埋蔵銭のうち334枚を調査したところ、中国の前漢時代から、南宋時代までの通貨44種類が確

                                                                                  工場建設きっかけ、地中から埋蔵銭10万枚超 戦乱で急きょ埋めたか - ライブドアニュース
                                                                                • 吉田松陰の松下村塾 仲間が集まり盛り上がるだけの場説も

                                                                                  明治維新が素晴らしいものであるとの“常識”に疑義を呈したのは『明治維新という過ち』の著者で作家の原田伊織氏だ。氏は明治維新がその後の軍部の台頭を招き、また「官軍史観」が現代社会を歪めていると指摘する。 * * * 明治維新は、その後の日本の不幸な歴史に直結する。「維新の精神的支柱」とされる吉田松陰ほどウソにまみれた人物はいない。その実態は乱暴者の多い長州人の中でもとりわけ過激な若者の一人に過ぎなかった。 長州の下級藩士出身の松陰が「維新の志士」を育てたとされる松下村塾は、叔父の玉木文之進が主宰していたものであり、松陰は一時的に塾を借りただけだ。しかも何かを講義したのではなく、仲間内で集まって盛り上がるだけの場だった。 松陰がひたすら唱えたのは「暗殺」と「天誅」である。彼は老中間部詮勝や大老井伊直弼の暗殺を主張し、武力による幕府転覆を訴えて、藩に対して大砲など武器の支給を願い出たほどである。

                                                                                    吉田松陰の松下村塾 仲間が集まり盛り上がるだけの場説も