人生とアジアに関するsatoshiqueのブックマーク (4)

  • タイってやばくねえか?

    タイに異動になって 「あんなクソ暑くて不衛生な貧乏国行きたくない」 と絶望していた人 3年後、日帰還が決まったら 「俺は絶対に戻らない!!タイで一生暮らす!!」 と大騒ぎしたらしく結局タイでそのまま退職手続きしたようだ どうやらうちの会社に限らず 「タイから出たくない」と強くゴネる社員、 「数年内に必ずタイに永住してやる」と決意し着々と準備をしている社員、 こういうサラリーマンは結構あるあるらしい タイのなにがそんなにいいんだ? 俺のイメージも 「あんなクソ暑くて不衛生な貧乏国行きたくない」 なんだが

    タイってやばくねえか?
    satoshique
    satoshique 2024/01/20
    昔、東京からバンコク経由でインド行ってバンコクに戻ったとき、東京に帰ってきたような感覚になったのを覚えてる。まぁイサーンとかならまた全然違うんだろうけど。
  • 大学時代に日中韓で三国交流をしていたんだが

    大学時代にファミレスでバイトしてたんだけど、深夜帯の時間でよく被る韓国人と中国人の留学生と仲良くなった。高校時代にネットの嫌韓や嫌中に毒されてて当初、キッツイな、レジの金なくなったら俺も疑われんのかな、とか申し訳ないが思ってしまっていた。しかし話すと良い奴らだった。大学も同じだったため、すぐに仲良くなった。客のこない時間帯は事務所でコーラとタバコを楽しみながらダベるのが定番だった。 中国人はジェイ。なんでも中国では英語名を自分や友達同士でつけ、それで呼び合うのが一般的だそうだ。中国のやばい倍率の大学受験に落ち、日に留学してきた。俺らの通ってた大学は都内の私大だが、中国では東大に次ぐ大学として見られており箔がつくとのこと。親父が共産党員&国営企業の幹部で超ボンボンだった。ただ金の使いみちにうるさいため自由に使える金が欲しくてバイトしていた。大いだったが、生物が無理で寿司がべられなかった

    大学時代に日中韓で三国交流をしていたんだが
    satoshique
    satoshique 2022/03/25
    コロナによるあれこれで、今はこういうほっこり話がなくなっているのかもしれないと思うと切ない。
  • 日雇いアルバイトでイラクへ行った。そこで見た地獄

    私たちを乗せた飛行機はパキスタンのカラチ空港で給油し、二十時間ほどのフライトでバグダッド空港に着いた。 タラップを降りたとたん、私は激しい息苦しさを覚えた。 私がアルバイトでイラクの建設現場に行くことになったのは、1980年の七月半ばのことだった。サダム・フセインが大統領になった翌年である。当時、大学を中退した私は、金がなくなると高田馬場の職安前の公園内にできる寄せ場に行き、日雇い労働でいつなぐ生活をしていた。 そんなある時、顔馴染みの手配師が、「にいちゃん、外国の現場があるんだけど、行かねかぇかい?金はいいよ」と誘ってきた。聞くと、契約期間は七月末から三か月。旅費は勿論、衣住付きで三百万円を支払う。仕事は日の大手建設会社が建てているビルに資材を運び入れる外国人労働者の監督をするのが仕事だという。 「こんなにうまい話があるのかな……」と多少疑心暗鬼にはなったが、「前金として百万円払う

    日雇いアルバイトでイラクへ行った。そこで見た地獄
  • 夢破れても東京にいればいいのに

    帰る必要なくない? てか帰ったらどうにかなるの?? 地方は東京から帰ったら給料のいい仕事結婚ができるの???

    夢破れても東京にいればいいのに
    satoshique
    satoshique 2018/07/15
    20年くらい前、東京からバンコク経由でインドに旅行してバンコクに戻った時、まるで東京に帰ってきたような気がした。今はもう、デリーもバンコクもトーキョーも変わんないんだろう。
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