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人生と増田と時代に関するsatoshiqueのブックマーク (3)

  • 今日、30歳になった

    私は、1993年の1月に生まれた。1歳から大学までは、神戸市で生活していた。神戸はとてもいい場所だ。街の中心部である三宮はおしゃれな街で、大阪駅までも直通で30分。中華街で有名な豚まんをべ、旧居留地の優雅な建築を抜ければ、港から海を見渡せる。中心部から少し足を伸ばせば、B級グルメを出す飲店が立ち並ぶ下町の長田、六甲山の麓に日屈指の酒蔵を擁する灘などにも行ける。どの地域も個性にあふれた「退屈しない街」だ。この街で人生の3分の2を過ごせたことを、私は幸せに思っている。 私が住んでいた地域には大学があった。このキャンパスは自然豊かなことで知られていて、敷地内に公園や池があったので、私は物心ついたときから時々家族とこの大学内を散歩していた。子どもだった私は漠然と、大きくなったら私もこんな学校で勉強するのかな、なんて思っていたものだ。 私が小学校にあがる前のある日、父とふたりで大学の中を歩いて

    今日、30歳になった
    satoshique
    satoshique 2023/01/11
    あのとき東京に住んでいて、同じ関西出身の元カノからの電話で起きた。テレビで三宮の光景を見て少し泣いた。あの年は日本のボランティア元年と言われてたね。その後の災害支援に繋がっていった。
  • サイゼリヤのメニュー番号で貧しさを感じるという話

    PA05と注文してカルボナーラが出てくることが、貧しく恐ろしいという話を聞いて思い出したことが有る。 俺はあのオヤジのやってるA定が好きだった。 その定屋は、日替わり定が、A定、B定、C定と呼ばれていた。 ランチタイムのA定は、いつも唐揚げ定だった。B定やC定はその時々で違った。 確か、C定だけ100円か200円高くて、刺し身だの天ぷらだのはC定だったはずだ。 自分はA定が好きで通っていた。唐揚げとポテトサラダとご飯と味噌汁と胡麻団子。 だから、自分の青春は、A定とともにあった。 A定と聞いて思い出すのは、四季折々暑すぎたり寒すぎたり砂っぽかったり土砂降りだったり、そんな毎日の昼飯時だ。 治安は今よりも悪く、街並みもきれいとは言いがたかったが、やはり記憶の中の思い出は輝いている。 だからたぶん、あの定屋が小綺麗な店に変わって、唐揚げ定と、ハンバーグ定と、

    サイゼリヤのメニュー番号で貧しさを感じるという話
    satoshique
    satoshique 2022/07/08
    料理人も給仕もロボットがやるのが資本主義においては合理的なので、飲食店に限らず店員と人間的なコミュニケーションをとるのは、富裕層だけに許される贅沢になるかもしれない、まで思う。
  • 昔の人って電車のなかでなにしてたの?

    今だったらスマホで無限に時間を潰せるけど、昔の人って通学・通勤の電車のなかとか、新幹線で移動するときとか、いったいなにしてたの?

    昔の人って電車のなかでなにしてたの?
    satoshique
    satoshique 2021/10/23
    網棚は「善意のマガジンラック」だったな。よくお世話になってジャンプやスピリッツ読んでた。当時はまだ駅にゴミ箱があったんだけど、あえて捨てずに網棚に置いて降りるのが、ある意味マナーだった。
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